ビトー・ヒベイロ
基本情報 | |
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本名 |
ヴィトール・ジ・ソウザ・ヒベイル (Vítor de Souza Ribeiro) |
通称 |
シャオリン (Shaolin) 柔術皇帝 |
国籍 | ブラジルの旗 ブラジル |
生年月日 | (1978年11月02日) 1978年 11月2日(46歳) |
出身地 | リオデジャネイロ州 リオデジャネイロ |
所属 |
アリアンシ柔術 →ノヴァウニオン |
身長 | 173cm |
体重 | 70kg |
階級 | ライト級 |
バックボーン | ブラジリアン柔術 |
テーマ曲 |
Tropa De Elite (Tijuana) |
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獲得メダル | ||
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ブラジルの旗 ブラジル | ||
男子 グラップリング | ||
アブダビコンバット | ||
銅 | 2003 サンパウロ | 77kg級 |
ビトー・"シャオリン"・ヒベイロ(Vítor "Shaolin" Ribeiro、1978年 11月2日 - )は、ブラジルの男性 柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州 リオデジャネイロ出身。ノヴァウニオン所属。ブラジリアン柔術四段。元Cage Rage世界ライト級王者。元修斗世界ライト級王者[1] 。
ブラジリアン柔術の強豪でもあり、その実績から「柔術皇帝」の異名を持つ。レオナルド・サントス、マーシオ・フェイトーザ、レオナルド・ヴィエイラと並び、黄金のレーヴィ級四天王の1人と呼ばれていた。アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラをはじめ、多くの柔術家がベストの柔術家として名前をあげるほどの技術を持っている。
来歴
[編集 ]1999年12月11日、VALE TUDO JAPAN '99に、シークレットマッチ(ブラジリアン柔術ルール)として組まれた中井祐樹戦を行うために初来日。10-0でポイント勝ち。
2003年5月、アブダビコンバット77kg未満級に出場。準決勝でマルセロ・ガッシアにバックからのチョークスリーパーで失神させられ一本負け。
2003年12月14日、修斗世界ウェルター級(-70kg)チャンピオンシップでヨアキム・ハンセンと対戦し、肩固めで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。
2004年12月14日、修斗世界ウェルター級チャンピオンシップで川尻達也と再戦し、パウンドでTKO負けを喫し王座陥落した。
Cage Rage
[編集 ]2005年9月10日、Cage Rage初参戦となったCage Rage 13の世界ライト級タイトルマッチでジーン・シウバと対戦し、肩固めで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。
2006年2月4日、初参戦となったMARSで光岡映二と対戦し、判定勝ち。
2006年9月30日、Cage Rage 18の世界ライト級タイトルマッチで英国王者アブドゥル・モハメッドと対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ちを収め初防衛に成功した。
2006年12月9日、Cage Rage 19の世界ライト級タイトルマッチで中村大介と対戦し、ストレートアームバーで一本勝ちを収め2度目の防衛に成功した。
HERO'S
[編集 ]2007年3月12日、初参戦となったHERO'Sで上山龍紀と対戦し、腕ひしぎ三角固め(腕ひしぎ裏三角固め、HERO'Sの公式記録は腕ひしぎ十字固め)で一本勝ち。
2007年7月16日、HERO'S ミドル級(-70kg)王者決定トーナメント1回戦で宮田和幸と対戦し、肩固めで一本勝ち。
2007年9月17日、HERO'S 2007 ミドル級世界王者決定トーナメント準決勝でJ.Z.カルバンと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。
DREAM
[編集 ]2008年のDREAMライト級グランプリに出場予定であったが[2] 、カルバン戦での目の負傷により出場できなかった。
2009年4月5日、1年7か月ぶりの復帰戦となったDREAM.8で永田克彦と対戦し、グラウンドの膝蹴りで永田の右こめこみをカットさせドクターストップでTKO勝ちを収めた。
2009年7月20日、DREAM.10で青木真也と対戦。スタンドでの攻防で劣勢となり、判定負け。試合後、判定基準への不満と、青木の戦法への不満を漏らした。
Strikeforce
[編集 ]2010年5月15日、Strikeforce初参戦となったStrikeforce: Heavy Artilleryでライル・ビアボームと対戦し、1-2の判定負け。試合後には結果に納得がいかずミズーリ州アスレチック・コミッションを提訴したが裁定は覆らなかった。
2010年11月19日、Strikeforce Challengers 12でジャスティン・ウィルコックスと対戦し、0-3の判定負けを喫した[3] 。
2013年8月9日、総合格闘技からの引退を表明。引退後はニュージャージー州アスレチック・コントロール・ボードでレフェリーのライセンスを取得した[4] 。
人物・エピソード
[編集 ]- 背中に「ヴィトー・ヒベイルー」とカタカナで刺青を彫っている。カタカナとしては「ヒベイロ」と書くべきなのだが、彫師のミスでこうなった。これを指摘されて、シャオリンはがっかりしたという。
- 数年前、ノヴァウニオンJAPANよりポルトガル語の発音では「ヒベイル」となるのでそのように表記してほしいとマスコミ各社に通達があったが、ノヴァウニオンJAPANのサイトでは「ヒベイロ」となっている。
戦績
[編集 ]総合格闘技
[編集 ]総合格闘技 戦績 | ||||||
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25 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
20 勝 | 2 | 12 | 6 | 0 | 0 | 0 |
5 敗 | 2 | 0 | 3 | 0 |
【Cage Rage世界ライト級タイトルマッチ】 2006年9月30日
グラップリング
[編集 ]【77kg未満級 3位決定戦】 2003年5月17日
獲得タイトル
[編集 ]総合格闘技
[編集 ]ブラジリアン柔術
[編集 ]- 世界柔術選手権 黒帯ペナ級(-67kg) 準優勝(1997年)
- 世界柔術選手権 黒帯レーヴィ級(-73kg) 優勝(1999年)
- 世界柔術選手権 黒帯レーヴィ級 優勝(2000年)
- 世界柔術選手権 黒帯メジオ級(-79kg) 優勝(2001年)
- ブラジル柔術選手権 黒帯ペナ級 優勝(1998年)
- ブラジル柔術選手権 黒帯レーヴィ級 準優勝(1999年)
- パンアメリカン柔術選手権 黒帯レーヴィ級 準優勝(1998年)
その他
[編集 ]- リオデジャネイロレスリング選手権 フリースタイル70kg級 優勝(2000年)
- 第5回アブダビコンバット 77kg未満級 3位(2003年)
脚注
[編集 ]- ^ 当時はウェルター級(-70kg)王座
- ^ ×ばつ門馬決定 BoutReview 2008年3月7日
- ^ 【Challengers】シャオリン、成す術なく落日の判定負け MMAPLANET 2010年11月20日
- ^ MMA veteran Vitor Ribeiro to referee two UFC Fight Night 45 bouts MMA Fighting 2014年7月8日