ヒロセ元美
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ヒロセ もとみ ヒロセ 元美 | |
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本名 | 廣瀬 元美 |
生年月日 | (1926年04月29日) 1926年 4月29日(98歳) |
出生地 | 中華民国の旗 中華民国 上海市 |
職業 | ストリッパー、女優 |
ジャンル | ストリップ、映画 |
活動期間 | 1949年 - 1950年代前半 |
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ヒロセ 元美(ヒロセ もとみ、1926年 4月29日 - )は、日本のストリッパー、女優である[1] 。本名廣瀬 求美(読み同)[1] 。
人物・来歴
[編集 ]1926年(大正15年)4月29日、中華民国 上海市(現在の中華人民共和国上海市)に生まれ、両親の経営する日本料理屋で育つ[1] 。1946年(昭和21年)、日本に帰国する。
1949年(昭和24年)、ダンサーとしてデビュー、翌1950年(昭和25年)、日劇小劇場(のちの日劇ミュージックホール)のストリップショーに出演する[1] 。同年2月、「わいせつ物陳列罪」(わいせつ物頒布等の罪)で検察庁に送られ、「劣情を催すかどうかは見る人の勝手」と主張して、不起訴処分となる[1] 。
人気絶頂の同年、新東宝が製作・配給した『青春のデカメロン』を初めとして、4本の映画に出演した。作家の坂口安吾も、1950年(昭和25年)8月1日発行の『文藝春秋』に掲載された『安吾巷談 ストリップ罵倒』で、ダンサーのなかでもヒロセに注目している[2] 。
フィルモグラフィ
[編集 ]- 『青春のデカメロン』 : 監督加戸野五郎、製作・配給新東宝、1950年5月9日公開
- 『裸の天使』 : 監督中川順夫、製作シネアート、配給松竹、1950年8月12日公開
- 『わたしは女性No.1』 : 監督中村敏郎、製作日本映画社、配給東京映画配給、1950年9月30日公開
- 『ストリップ東京』 : 監督・脚本大谷俊夫、製作銀星プロダクション/東宝芸能、配給東京映画配給、1950年10月28日公開
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- 『坂口安吾全集 17』、坂口安吾、ちくま文庫、1990年12月 ISBN 4480024778
- 『ヌードさん - ストリップ黄金時代』、橋本与志夫、筑摩書房、1995年4月 ISBN 4480856862
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- デジタル版 日本人名大辞典+Plus『ヒロセ元美』 - コトバンク
- Motomi Hirose - IMDb (英語)
- ヒロセ元美 - 映連データベース(日本映画製作者連盟)
- ヒロセ元美 - 日本映画データベース
- ヒロセ元美 - allcinema