ノート:植村甲午郎
矛盾した誕生日
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Language | Subject | Birthday |
---|---|---|
ja | ja:植村甲午郎 | 1894年03月12日 |
en | en:Kōgorō_Uemura | 1894年02月12日 |
- どちらかの日付が間違いであると判明した場合は、訂正して引用を含めてください。
- その代わりに、両方に信頼できるバックアップ元があることが判明した場合は、両方を保存して追加します。
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本人が書いた「私の履歴書」[1] によると、明治27年(1894年)2月12日東京生まれ。母と祖母はお産のため東京に来ていたが、父・植村澄三郎が北海道にいたので、名前がなかなか決まらず、1カ月たってしまったとのことです。また、生後約百日たって北海道へ渡ったときのことについて、「5月の末だったという」とあります。生後約百日たって5月の末なら、2月12日生まれで間違いないのだろうと思います。しかし、名前がなかなか決まらなかったことで出生届が遅れ、戸籍上は3月生まれなのではないかと想像します。--C2BK(会話) 2021年4月24日 (土) 15:05 (UTC) なお、人事興信所・編『人事興信録』(第12版上)の「植村澄三郎」の項には、「男 甲午郎 明27・3生」とあります。--C2BK(会話) 2021年4月24日 (土) 15:13 (UTC)上で引用したページの右上、前のページから続いている植村甲午郎の項に「明治二十七年三月出生」とありますね。今気づきました。--C2BK(会話) 2021年4月30日 (金) 17:21 (UTC)奥田良三『こころ、祈り、歌、わが人生』(芸術現代社、1989年)35頁に、植村甲午郎は「明治27年2月12日(戸籍は3月12日)」生まれとあります。--C2BK(会話) 2021年5月2日 (日) 13:50 (UTC) [返信 ]
- ^ 日本経済新聞1968年1月9日