ノート:国家有機体説
ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
表示
国家有機体説ということばなら、使用している研究者知っているんだけど、「有機的国家論」の出典は何でしょうか?--Tears for Asia 2006年10月1日 (日) 13:55 (UTC) [返信 ]
- 当項目とは無関係の者ですが、即時削除に出ていたので、気になってちょうど調べていました。はたして、おそらく何かの誤りだろうという印象を持ちました。内容からは「社会有機体論」に類するものかと思いますが、項目名からは「国家有機体説」を連想させます。どちらかに移動してはどうかと思います。電気山羊 2006年10月1日 (日) 14:08 (UTC) [返信 ]
- 「国家有機体説」にページ名を変えました。3年かけてよってたかってなおdb対象の状態でしたので、少し書き加えました。まだサブスタブなので是非加筆をお願いします。--M3HR 2006年10月1日 (日) 15:11 (UTC) [返信 ]
ブルンチュリについて
[編集 ]- ブルンチュリ「国家論」を提示のうえ「ブルンチュリは君主主権の批判のうえ立憲制度に基づく国民主権の必要を提示しており」「現実にはむしろ社会契約説に近い」、と投稿がありましたが、書籍全体の評論をwikipedia投稿者が自己の解釈により為してしまっている問題点があり(Wikipedia:独自研究は載せない)、一旦リバートしました。この書籍の解釈や解説について、信頼できる情報源を探していただいた上で改めて加筆のほどよろしくお願い申し上げます。なお日本大学法学部百地章の発言からの抜粋については、引用元から適切に引用してあるはずですので、wikipedia編集者の独自の判断で無断で体裁を変更し「要出典」を塗布しないようにお願い申し上げます。ブルンチェリが社会契約説を主に論じているのか国家有機体説を論じているのかについては我々wikipedianが直接検討したり検証したりするべき内容ではなく、あくまで「外部の信頼できる情報源」にどのように解釈されているかを持ち寄ることで、編集方針を検討していくようにしましょう。以上宜しくご検討の程お願い申し上げます。--大和屋敷(会話) 2017年4月14日 (金) 04:07 (UTC) [返信 ]
- ブルンチュリは当時において神権政治等に替わる近代的な人民政治の在り方を提起しており、法学者であると同時に政治家であり、政党政治の分析も行っていた学者ですね。彼は神権政治の長所や短所を述べていますが、「歴史の初期に未熟な人々の教育はがこのように(宗教や神権政治によって)行われてきたことは驚くべきことではない」としており、知識の必要性については否定的ではありません。同書籍のドイツ語版の「神権政治の長所と短所(Vorzuge und Mangel der Ideokratie)の章をご参照いただけますよう宜しくお願い申し上げます。日本においては1972年からドイツ法学者の加藤弘之らにより「国法汎論」(Allgemeines Staatsrecht、「一般的な憲法」)などが翻訳されるなどして選挙による議会制度の導入が行われ、同時にボアソナードや箕作麟祥らにより人の権利などを定義した民法などが設置されるなどして、ある種の国家有機体であった神権(または太政官)政治に代わり、「人民政治」が導入されてきております。またハンス・ゲルバーにつきましてはインターネット上や図書館でこれまで文献が見当たらず、赤リンクのままになる可能性があったため、リンクを外しました。引用の発言(日本大学法学部百地章など)の内容に関して信頼できる情報源が明かでないという場合は、いわゆる「外部の信頼できる情報源」とは言い難いと存じますが、発言があったことは事実なので本文に残しております。ただこの場合も、情報源は明らかでないという点は明記しておく必要があると思いますので、何卒よろしくお願いいたします。JOT news(会話) 2017年4月14日 (金) 05:54 (UTC) [返信 ]
- 申し訳ありませんがJOT newsさんの解説は(追記) JOT newsさんによるブルンチェリ「国家論」に対する個人的な解釈 (追記ここまで)でして、日本の学会で一般的に説明されているものとは異なります。「はじめ国家は有機体であるという考え方は仮説として提起されていたが、漸次その度が過ぎてドグマにまで発展し、国家は男性という性までつけられるぐらいにまで陳腐化してしまう。この段階の代表的な国家有機体論者が外ならぬブルンチェリであった」([1]PDF-P.3)と明記されています。他に[2](PDF-P.7)、[3](PDF-P.5)等。なおブルンチェリを翻訳した(追記) 加藤の有機体論はかなり法人説に近い (追記ここまで)との指摘はあります[4](PDF-P.7「自然と倫理」1912)。このあたりの切り分けを間違えておられるのではないでしょうか。もう一度ご検討下さい。申し訳ありませんが本編の編集内容については裏付けが取れておりませんので復元させていただきます。--大和屋敷(会話) 2017年4月14日 (金) 06:56 (UTC) [返信 ]
- 申し訳ありませんが大和屋敷さんの述べられたご理由は、ブルンチェリ「国法汎論」の翻訳・導入に関する背景知識が欠けていると言わざるを得ませんで、ご自分で原書を読まれることをお勧めします。(追記) 加藤弘之の国法汎論 (和訳版)は編集され、あるいは独自の説が追加されたもの (追記ここまで)であり、元の論文の意味を損ねています(追記) (1章の入替え、2章の削除、3章の追加、等 [5]) (追記ここまで)。その後に翻訳された「国家論」も同様です。安世舟、国分典子の説は原書を参照した上でのものかもしれませんが、その後になっても「Allgemeines Staatsrecht」の完訳版が出版されていないことからしても、切り分けを間違えておられるのではないでしょうか。もう一度ご検討下さい。申し訳ありませんが本編の編集内容については裏付けが取れておりませんのでリバートさせていただきます。JOT news(会話) 2017年4月14日 (金) 08:13 (UTC) [返信 ]
- Wikipedia:独自研究は載せないをお読みください。wikipediaは信頼できる情報源に記述されている内容をもとに、その情報を引用する方式で編集される百科事典です。JOT newsさんはご自身でブルンチェリ「国法汎論」をお読みになり、ご自身の解釈で百科事典(wikipedia)を編集なさろうとされています。これはwikipedia編集方針(Wikipedia:独自研究は載せない)で禁止されています。大和屋敷に【ブルンチェリ「国法汎論」の翻訳・導入に関する背景知識が欠けている】点があろうがなかろうが、「はじめ国家は有機体であるという考え方は仮説として提起されていたが、漸次その度が過ぎてドグマにまで発展し、国家は男性という性までつけられるぐらいにまで陳腐化してしまう。この段階の代表的な国家有機体論者が外ならぬブルンチェリであった」([6]PDF-P.3)と明記されており、他の複数の文献でも同様に記述されています([7](PDF-P.7)、[8](PDF-P.5)等)。JOT newsさんの編集行為をこのまま推し進めていかれますとwikipedia的に大事(おおごと)になりますのでこのあたりで当記事の編集をいちど停止して頂けませんでしょうか。くりかえしますが大和屋敷のブルンチェリ「国法汎論」に対する理解はこのさい関係ありません。詳しくはWikipedia:独自研究は載せないをお読み頂くようお願い申し上げます(wikipediaには他にも重要な編集方針があります)。--大和屋敷(会話) 2017年4月14日 (金) 08:26 (UTC) [返信 ]
- 返信 Wikipedia:検証可能性及びWikipedia:中立的な観点をお読みください。第一に、ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。また第二に、すべての記事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書かれていなければならず、また、あらゆる観点からの描写を平等に扱わなければならないということです。大和屋敷さんはご自身でブルンチェリーや法学者ハンス・ゲルバーと称されている人物、オットー・フォン・ギールケの文献を確認しないまま、百地章やその他の人物の独自説を、論者が論じた時期・場所なども記載せずに、論のみを事実であるかのように記載した部分のみを残しています。これはwikipedia編集方針(Wikipedia:中立的な観点)でも禁止されています。(追記) 加藤弘之の1874年版国法汎論 (和訳版)は加藤によって編集され、あるいは植民地主義などの独自説が追加されたもの (追記ここまで)であり、元の論文の意味を損ねています(追記) (1章の入替え、2章の削除、3章の追加、等 [9]) (追記ここまで)。その後に翻訳された「国家論」も同様です。安世舟、国分典子の説は原書を参照した上でのものかもしれませんが、その後になっても「Allgemeines Staatsrecht」の完訳版が出版されていません。くりかえしますがJot_Newsのブルンチェリ「国法汎論」に対する理解はこのさい関係ありません。百地章のいう「ハンス・ゲルバー」は存在が確認できないということは現在のところ事実であり、またJot_Newsがただブルンチェリの文献の内容を記載したことを独自研究だというのであれば、大和屋敷さんが残した部分の記述も当然に独自研究に他なりません。また、リンク先の英語版は「Geopolitik」ですが「地政学」の「geopolitics」とは異なるということ、国家有機体説がナチスの思想であったという英語版に記載されている基本的な事実が記載されていないことは、「あらゆる観点からの描写を平等に扱」っているとはいえず、内容に中立性が見られないと言わざるを得ません。大和屋敷さんの編集行為をこのまま推し進めていかれますとwikipedia的に大事(おおごと)になりますので大和屋敷さんのアカウントをいちど停止すること、本記事の編集制限を解除し、リバ-トされた記事を復活させることを検討して頂けませんでしょうか。詳しくはWikipedia:検証可能性、Wikipedia:中立的な観点をお読み頂くようお願い申し上げます。--JOT news(会話) 2017年4月14日 (金) 16:10 (UTC) [返信 ]
- 投稿者個人による独自研究の投稿がやみませんので再び保護依頼を提出いたします。--大和屋敷(会話) 2017年9月20日 (水) 15:42 (UTC) [返信 ]