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ノート:不要不急線

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恐れ入ります。 御殿場線が、類型3若しくは4により単線化されたと聞いたことがあります。どなたか御存じありませんでしょうか? AEIA 2005年9月21日 (水) 15:34 (UTC) [返信 ]

類型4かと思います。御殿場線で少し触れています。追加しておきました。210. 2005年9月21日 (水) 18:50 (UTC) [返信 ]

>太平洋戦争中の1941年8月30日に とありますが、太平洋戦争は1941年の12月からなので、おかしいかと思います。 しかし、正しい日付を知らないので、どなたかお願いします。--Ich57 2006年4月2日 (日) 13:48 (UTC) [返信 ]

確かに太平洋戦争は1941年12月開戦ですね。少し直してみました。しかし、金属回収令は1941年8月30日公布であっています。1937年の日中戦争(あるいは1931年の満州事変)から引き続いて日本は戦時体制にあり1938年公布の国家総動員法によってこの間様々な統制令が出されています。210. 2006年4月2日 (日) 21:13 (UTC) [返信 ]

鞍馬線

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と修正されましたが、二軒茶屋は市原より宝ヶ池寄りにあります。1939年に市原まで単線化されているのに、1944年に二軒茶屋〜市原が再び単線化されたようになっています。で、ここは当初書かれていたように1939年に二軒茶屋〜市原が先に単線化され、1944年に山端〜二軒茶屋が単線化されたのではないでしょうか。ソースは寺田裕一著『データブック日本の私鉄』(2002年 ネコ・パブリッシング)p.244です。叡山電鉄公式サイト 2002年10月14日版 昔話では、昭和19年に鞍馬線「山端〜市原間」が単線化と書かれています。

城東貨物線

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城東貨物線は開業当初から単線で(信号場構内除く)、複線化用の用地だけが確保されているだけではないでしょうか。210. 2006年12月23日 (土) 19:00 (UTC) [返信 ]

樺太の2線について

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この編集により、不要不急線として樺太の樺太西線豊真線が追加されましたが、出典自体の誤りおよび事実誤認とみられるため、差し戻しました。樺太西線については、当方の手元にある復刻版時刻表(昭和19年12月号)に路線の記載があり、列車についても記載されています。これから判断して、編集の出典とされた「日本鉄道旅行地図帳 満州 樺太」の方が誤りと考えます。

豊真線については、当該区間の線路が付け替えられたのにともない、旧線が廃止となったもので、確かに戦時中の廃止には違いありませんが、不要不急線とは関係ないものと考えます。--Kone 2010年10月18日 (月) 03:50 (UTC) [返信 ]

当時の用語としては『不用不急』だったはずでは?

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『不用不急の旅はやめませう』などの例にもあります通り、当時の用語としては『不用不急』を用いていたはずで、どうも『不要不急』の表示に違和感を覚えるのですが、この辺はいかがでしょうか? 拘り過ぎと言われればそれまでかも知れませんが、この場で議論いただければ幸いです。--青鯰 2010年12月2日 (木) 07:24 (UTC) [返信 ]

これらの廃止路線に関しては、少なくとも現在においては「不要不急線」と言い表されています()。当時どちらだったのかは、ちょっとわかりません。余談ですが、Googleで「不用不急」と検索すると、「もしかして:不要不急」となるのが気になります。--Jkr2255(Talk/History) 2010年12月2日 (木) 07:32 (UTC) [返信 ]

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