テヘラーン裁判所
テヘラーン裁判所(ペルシア語: کاخِ دادگستریِ تهران , ラテン文字転写: Kāx-e Dādgostari-ye Tehrān)は、イランの首都テヘラーンにある歴史的建造物である。大通りが四方から集まる場所に建っており、現在は最高裁判所の建物として利用されている。パフレヴィー朝時代に、第二代最高裁判所所長であったモフセン・サドル (ペルシア語版)時代に、この建物を建設する提案がなされ、チェコスロヴァキアの企業連合体シュコダ財閥に建設が任された。建造はイラン暦1317年(西暦1938年)に始まったが、第二次世界大戦により建設が二年中断した。1325年(1946年)に完成し、当時の皇太子モハンマド・レザー臨席の下、開所した。[1]
なお、1324年エスファンド月20日(西暦1946年3月11日)には、アフマド・キャスラヴィーという法の支配を説く思想家が、テヘラーン裁判所3階の第7訊問室の中で、自身に向けられた反イスラーム思想疑惑に対して釈明していたさなか、兵士に偽装して侵入してきたイスラーム主義者集団「フェダーイヤーネ・エスラーム (ペルシア語版)」の構成員二人により銃で撃たれた上、27か所を刺されて暗殺されるという事件があった[2] 。
テヘラーン裁判所の建築は、イスタンブール生まれテヘラーン育ちのアルメニア人 建築家、ガブリエル・ゲヴレキヤーンにより、新古典主義の様式で設計された。建物の細部の装飾として、イランの偉人たちの巨大な彫像があり、その中で、正義の女神の彫像はアボルハサン・サディーギー (ペルシア語版)の、アヌーシールワーン公正王(ホスロー1世の別名)の彫像はゴラームレザー・ラヒームザーデ・アルジャング (ペルシア語版)の作品である。
ギャラリー
[編集 ]-
2013年撮影
-
正義の女神の彫像、アボルハサン・サーディーギー作
-
アヌーシールワーン公正王の彫像、ゴラームレザー・ラヒームザーデ・アルジャング作
-
2004年撮影
-
2004年撮影
脚注
[編集 ]- ^ Hassan Mohseni (2011年7月2日). "کاخ دادگستری، معماری و نحوه ساخت". 2016年1月19日閲覧。
- ^ "Ahmad Kasravi". Eminent Persians. 2016年1月19日閲覧。
座標: 北緯35度40分53.65秒 東経51度25分7.95秒 / 北緯35.6815694度 東経51.4188750度 / 35.6815694; 51.4188750