チャド・フォンビル
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 |
出身地 | ノースカロライナ州 オンスロー郡 ジャクソンビル |
生年月日 | (1971年03月05日) 1971年 3月5日(53歳) |
身長 体重 |
5' 6" =約167.6 cm 155 lb =約70.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 二塁手、遊撃手、外野手 |
プロ入り | 1992年 MLBドラフト11巡目 |
初出場 | 1995年4月28日 |
最終出場 | 1999年7月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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チャド・エバレット・フォンビル(Chad Everette Fonville, 1971年 3月5日 - )は、アメリカ合衆国 ノースカロライナ州 オンスロー郡 ジャクソンビル出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投両打。
経歴
[編集 ]1992年のMLBドラフト11巡目(全体299位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、プロ入り。
1994年12月に行われたルール・ファイブ・ドラフトでモントリオール・エクスポズから指名され、移籍した。
1995年はエクスポズで開幕ロースター入り及びメジャーデビューを果たし、5月31日にウェイバー公示を経てロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。ドジャース加入後は内外野をこなせるユーティリティープレイヤーとして重宝され、攻撃面でも内野安打42本(この年ナショナルリーグ2位)、20盗塁(全てドジャースで記録)と持ち前の機動力を見せた [1] 。
1996年も103試合に出場したが、1997年は出番が激減した。メジャーでの出場は1999年のボストン・レッドソックス在籍時が最後だった。
その後は2001年から2年間と2004年に独立リーグであるカナディアン・アメリカン・リーグのナシュア・プライドでのプレーを最後に引退した。
引退後は母校であるホワイトオーク高等学校 (英語版)(ノースカロライナ州)のコーチとなった。
プレースタイル
[編集 ]公称168cmでバットボーイかと思うほどの小兵だが、身体能力の高さと俊足を売り物としていた[2] 。
詳細情報
[編集 ]背番号
[編集 ]- 15(1995年 - 同年途中)
- 22(1995年途中 - 同年途中、1997年途中 - 同年終了)
- 3(1995年途中 - 1997年途中)
- 50(1999年)
脚注
[編集 ]- ^ 「ロサンゼルス・ドジャース」『1996大リーグ全28球団主力選手カラー写真名鑑』 週刊ベースボール 1996年6月26日増刊号 ベースボール・マガジン社 10頁
- ^ 「野茂とともに戦った懐かしのドジャー・ナイン」『週刊ベースボール 別冊空風号 大リーグ激動の90年代』ベースボール・マガジン社 17頁
関連項目
[編集 ]外部リンク
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