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ダマソ・アロンソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はフェルナンデス第二姓(母方の)はデ・ラス・レドンダスです。
ダマソ・アロンソ
ジョセップ・プラナルボナ (スペイン語版)によって描かれたアロンソ
誕生 Dámaso Alonso y Fernández de las Redondas
(1898年10月22日) 1898年 10月22日
スペインの旗 スペイン王国マドリード
死没 (1990年01月25日) 1990年 1月25日(91歳没)
スペインの旗 スペイン
職業 文献学者詩人
言語 スペイン語
国籍 スペインの旗 スペイン
最終学歴 マドリード大学
ジャンル 文体論言語学文学史
文学活動 27年世代
代表作怒りの子ら (スペイン語版)』(1944年)
主な受賞歴 セルバンテス賞(1978年)
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ダマソ・アロンソ・イ・フェルナンデス・デ・ラス・レドンダス(スペイン語:Dámaso Alonso y Fernández de las Redondas, 1898年 10月22日 - 1990年 1月25日)は、スペイン王国(現:スペイン)マドリード出身の文献学者詩人27年世代のひとり。

代表作は1944年に著された詩集怒りの子ら (スペイン語版)』で[1] [2] 、1978年にセルバンテス賞を受賞した。

主な実績に1950年に著された『スペイン詩』の他に同国出身の詩人ルイス・デ・ゴンゴラカトリック教会 司祭神秘思想家サン・フアン・デ・ラ・クルス研究がある。

生涯

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1898年10月22日、スペイン王国のマドリードに生まれ、マドリード大学で学んだ。歴史家言語学者ラモン・メネンデス・ピダルに師事した[2] 。その後、イギリスのオックスフォード大学、スペインのバレンシア大学スペイン語を教えた[2]

1927年にルイス・デ・ゴンゴラ『孤愁』に脚注を付けて刊行。1935年には『ゴンゴラの詩法』を著して。詩人・劇作家であるフェデリコ・ガルシーア・ロルカと共にゴンゴラ再評価における中心的役割を果たす[3]

欧米諸国で教えた後、長らくマドリード・コンプルテンセ大学教員としてロマンス諸語を教え[1] スペイン王立アカデミー会員となった。

脚注・参考文献

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脚注

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  1. ^ a b 万有百科大事典 1973, p. 32.
  2. ^ a b c グランド現代百科事典 1983, p. 123.
  3. ^ アロンソとは - コトバンク、2013年4月29日閲覧。

参考文献

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