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ジ・アイリー・ヴィンヤーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジ・アイリー・ヴィンヤーズ
所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オレゴン州 マクミンビル
原産地 ウィラメット・ヴァレーAVA
創設 1966年
醸造開始 1970年
主要人物 デヴィッド・レット
著名な点 ピノ・ノワール
品種 ピノ・グリ ピノ・ブラン ピノ・ムニエ
販売 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カナダの旗 カナダイギリスの旗 イギリス日本の旗 日本大韓民国の旗 韓国
テイスティング 一般客でも可能
ウェブサイト www.eyrievineyards.com

ジ・アイリー・ヴィンヤーズ(: The Eyrie Vineyards)は、アメリカ合衆国 オレゴン州ウィラメット渓谷に計49エーカー(20ヘクタール)の葡萄園を構えるワイナリーである。設立者にして初代オーナーは、アメリカ合衆国で初めてピノ・グリの栽培を行ったデヴィッド・レットである。レットは、カリフォルニア大学デービス校で葡萄栽培を研究する諸教授の忠告を無視し、妻ダイアナと共にオレゴン州に移住し、1965年にピノ・ノワールの栽培を開始した。1966年にジ・アイリー・ヴィンヤーズを設立し、1970年が同ワイナリーで最初のヴィンテージとなった。

1979年に開催されたワインオリンピックで、1975年産「アイリー・ヴィンヤーズ・リザーブ・ピノ・ノワール」はブラインド・テイスティングのピノ・ノワール部門で第10位の成績を収めた。

ブルゴーニュのワイン醸造家であったロベール・ドルーアンは、フランスのメゾン・ジョセフ・ドルーアンにて再試合を手配した。そして、1975年産「アイリー・ヴィンヤーズ・リザーブ」は、ロベール・ドルーアンが所有する1959年産「シャンボール=ミュジニィ」に0.2点差で軍配を譲った。ドルーアンはその後オレゴン州に土地を購入し、同地にドメーヌ・ドルーアン・オレゴンを設立した。

現地で「パパ・ピノ」の異名で知られたデヴィッド・レットは、色がピノ・ノワールにおける質の指標にはならないと信じ、強い香りとタンニン、色を抽出するという当時の流行を追わない丁寧なピノ・ノワールを維持した。そのため、一部のワイン評論家から不評を買うことになった。[1] デヴィッド・レットは2008年10月9日に心不全のため歿した。[2] 後任はデヴィッドの息子ジェイソン・レットが引き継いだ。ジェイソン・レットはかつて、独自のラベル「ブラック・キャップ」・ピノ・ノワールで知られた。

ジ・アイリー・ヴィンヤーズの葡萄園は、ウィラメット・ヴァレーAVA(アメリカ葡萄栽培地域)の下位AVAであるダンディー・ヒルズAVAに所在する。ワイナリーそのものはマクミンビルにある。マクミンビルでは年に一度(7月の最後の週末)、国際ピノ・ノワール祭がリンフィールド・カレッジのキャンパス内で開催されている。

参考文献

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脚注
  1. ^ Robisnon, Jancis, jancisrobinson.com (October 11, 2008). "Papa Pinot passes on". August 8, 2009閲覧。
  2. ^ Asimov, Eric, The New York Times (October 13, 2008). "David Lett, Oregon Wine Pioneer, Dies at 69". August 8, 2009閲覧。

外部リンク

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座標: 北緯45度12分51秒 西経123度11分18秒 / 北緯45.2143度 西経123.1884度 / 45.2143; -123.1884

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