コンテンツにスキップ
Wikipedia

ジェレミー・ゴンザレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はゴンザレス第二姓(母方の)はアコスタです。
ジェレミー・ゴンザレス
Geremi Gonzalez
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 スリア州 マラカイボ
生年月日 (1975年01月08日) 1975年 1月8日
没年月日 (2008年05月25日) 2008年 5月25日(33歳没)
身長
体重
183 cm
99 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1997年5月27日
NPB / 2007年6月14日
最終出場 MLB / 2006年9月26日
NPB / 2007年7月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

ヘレミス・セグンド・ゴンサレス・アコスタ(Geremis Segundo González Acosta, 1975年 1月8日 - 2008年 5月25日)は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手(投手)。読売ジャイアンツ時代の登録名はGG(ジージー)。

経歴

[編集 ]

速球はフォーシームとツーシームを投げ分け、時速140km後半に達する。チェンジアップカーブも有し、セットポジションからの投球も得意(だが、巨人入団後、セットポジションからの投球に課題が残った)。

プロ入りとカブス時代

[編集 ]

コレグロ・ラ・チニータ高校を卒業後、1991年ドラフト外のフリーエージェントとして、シカゴ・カブスと契約した。将来を嘱望されていたが、1997年にデビューを果たし1998年にも投げた後は、3つの手術を含む複数の怪我により、およそ5年のブランクを経験する。

レイズ時代

[編集 ]

2003年、ゴンザレスは6勝11敗に終わるも、タンパベイ・デビルレイズでもっとも好調の投手だった。先発したうち17回で3失点以下に抑えたものの、アメリカンリーグ東地区の先発投手中、1試合平均3.91得点と最低の援護しかもらえなかった。防御率3.91、156投球回で97奪三振を記録する。

レッドソックス時代

[編集 ]

2005年シーズン初頭には、ボストン・レッドソックスで3試合先発するも、1勝1敗、防御率6.65に終わる。5月下旬にはマイナーリーグポータケット・レッドソックスに降格されたものの、7月上旬に中継ぎ要員として昇格した。

2006年シーズン、ゴンザレスはニューヨーク・メッツで3試合先発した。

ブルワーズ時代

[編集 ]

2006年オフにマイク・アダムスとのトレードでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍。

巨人時代

[編集 ]

2007年 5月9日、読売ジャイアンツと契約。背番号は94[1] 。当時巨人には同姓のルイス・ゴンザレスファーストネームの同じ[2] ジェレミー・パウエルがいたため、登録名は「GG」とされた。ニックネームの登録は巨人にとって初めてのことで、後付けで清武球団代表は「『グレートジャイアンツ』という意味でもある」と述べている。5月17日に入団会見を行い、「巨人は日本で一番人気のあるチーム。先発でも中継ぎでもアジャストしたい」と意気込みを語った。

6月14日オリックス戦(スカイマークスタジアム)に初登板初先発。6回4失点自責点2という内容で打線の活躍もあり来日初勝利をあげた。しかしその後の登板試合では5回持たずにKOされるなど、先発・リリーフともに打ち込まれた。またこの頃にはパウエル・上原の穴を埋める投手が台頭、緊急補強の意義も薄まっていた。7月8日の二軍降格以降は一軍に上がることなくシーズン終了後に戦力外通告を受けた。

10月21日の帰国直前に「苦しんだ部分もあったけどいい経験ができたと思う。チャンスがあれば来年も日本でプレーしたいし、巨人相手に投げて力があることを証明してみたい」とコメント。「巨人に復讐を宣言し、横浜が興味を示した」といった報道もあったものの、結局どの球団も獲得には動かなかったため帰国となった。

巨人退団後

[編集 ]

2008年5月25日、実家付近のベネズエラ西部スリア州マラカイボ湖水上オートバイを操縦していたところ、落雷を受け死亡したと地元のスポーツ紙が伝え[3] 翌日にはゴンザレスのマネージメント会社がそれを認めた[4] (なお、この時にはどの球団にも所属していなかった)。

エピソード

[編集 ]

日本時代の登録名は「GG」であるが、ユニフォームの背ネームでは「G.GONZALEZ」である。

2004年3月31日のMLB開幕戦(デビルレイズヤンキース)で東京ドームのマウンドを経験済みで、その時には松井秀喜に凱旋ホームランを打たれている。その記録は「松井秀喜ホームランカード」の日米通算349号(メジャー通算17号)のカードに収録されている。

詳細情報

[編集 ]

年度別投手成績

[編集 ]




















































W
H
I
P
1997 CHC 23 23 1 1 0 11 9 0 -- .550 613 144.0 126 16 69 5 2 93 1 1 73 68 4.25 1.35
1998 20 20 1 1 0 7 7 0 -- .500 493 110.0 124 13 41 5 3 70 2 3 72 65 5.32 1.50
2003 TB 25 25 2 0 0 6 11 0 0 .353 668 156.1 131 18 69 1 12 97 3 2 71 68 3.91 1.28
2004 11 8 0 0 0 0 5 0 0 .000 235 50.1 72 9 20 0 3 22 4 0 42 39 6.97 1.83
2005 BOS 28 3 0 0 0 2 1 0 1 .667 244 56.0 64 7 16 2 2 28 1 0 39 38 6.11 1.43
2006 NYM 3 3 0 0 0 0 0 0 0 ---- 67 14.0 21 4 6 1 0 8 0 0 12 12 7.71 1.93
MIL 21 1 0 0 0 4 2 0 0 .667 193 42.0 50 6 17 1 2 36 0 0 31 24 5.14 1.60
'06計 24 4 0 0 0 4 2 0 0 .667 260 56.0 71 10 23 2 2 44 0 0 43 36 5.79 1.68
2007 巨人 5 4 0 0 0 1 2 0 0 .333 86 19.1 22 4 6 0 1 17 0 0 17 14 6.52 1.45
MLB:6年 131 83 4 2 0 30 35 0 1 .462 2513 572.2 588 73 238 15 24 354 11 6 340 314 4.93 1.44
NPB:1年 5 4 0 0 0 1 2 0 0 .333 86 19.1 22 4 6 0 1 17 0 0 17 14 6.52 1.45

記録

[編集 ]
NPB

背番号

[編集 ]
  • 54(1997年、2003年 - 2004年)
  • 30(1998年)
  • 32(2006年)
  • 94(2007年)

脚注

[編集 ]
  1. ^ これに伴い、木樽正明育成担当コーチが背番号を94から125に変更した。
  2. ^ 日本語音写は同じだが、アルファベットではスペイン語「Geremi González」と英語「Jeremy Powell」で異なっている。
  3. ^ "Un rayo dio muerte a Géremi González". El Universal. 2008年5月26日閲覧。
  4. ^ "Former pitcher Geremi Gonzalez dies Right-hander, who pitched for five teams, killed by lightning". AP通信(mlb.com). 2008年5月27日閲覧。

関連項目

[編集 ]

外部リンク

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /