シンチェスト
シンチェスト | |||
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欧字表記 | Shin Chest[1] | ||
品種 | サラブレッド [1] | ||
性別 | 牡 [1] | ||
毛色 | 栗毛 [1] | ||
生誕 | 1983年 4月4日 [1] | ||
死没 | 2012年 5月6日(29歳没) | ||
父 | タイテエム [1] | ||
母 | ブラウンデージ[1] | ||
母の父 | ボンモー[1] | ||
生国 | 日本の旗 日本(北海道 浦河町)[1] | ||
生産者 | 宮内牧場[1] | ||
馬主 | 林幸雄[1] | ||
調教師 | 布施正(栗東)[1] | ||
競走成績 | |||
生涯成績 | 11戦3勝[1] | ||
獲得賞金 | 8034万2000円[1] | ||
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シンチェスト(欧字名:Shin Chest、1983年 4月4日 - 2012年 5月6日)は、日本の競走馬、種牡馬 [1] 。主な勝ち鞍に1987年の京都記念。
半兄に阪神大賞典2連覇のシンブラウン、半弟に京都記念など重賞2勝のテイエムジャンボがいる。
競走馬時代
[編集 ]1986年 1月25日、京都競馬場第7競走の4歳新馬戦で、岩元市三を鞍上にデビューし3着。その後折り返しの新馬戦を勝つと、すみれ賞(OP)2着、わらび賞(400万下)1着と3連対しNHK杯へ挑んだ。3番人気の支持であったがラグビーボールの2着と健闘した。続く東京優駿は4番人気で出走であったが、7着と初めて掲示板を外した。その後半年以上の休養を余儀なくされ、翌1987年の日経新春杯より復帰し4着。続く京都記念に1番人気で出走すると、2着のスピードヒーローに1馬身以上付ける走りで快勝し重賞初制覇を果たした。しかし、この後も2度休養を余儀なくされ、結果的に京都記念の後は1988年の日経新春杯(12着)、産経大阪杯(5着)、1989年の京阪杯(11着)のわずか3戦したのみで引退することとなった。
競走成績
[編集 ]以下の内容は、netkeiba.com[2] およびJBISサーチ[3] に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上り3F) |
着差 | 騎手 | 斤量 | 1着馬(2着馬) |
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1986. 01.25 | 京都 | 4歳新馬 | 芝2000m(良) | 16 | 2 | 3 | 05.5(2人) | 03着 | 2:06.1(49.4) | -0.7 | 岩元市三 | 55kg | バラモンインター | |
0000.02.08 | 京都 | 4歳新馬 | 芝1600m(良) | 9 | 5 | 5 | 02.0(1人) | 01着 | 1:37.9(48.6) | -0.5 | 岩元市三 | 55kg | (シルクホウザン) | |
0000.11.23 | 阪神 | すみれ賞 | OP | 芝2200m(重) | 7 | 5 | 2 | 02.9(2人) | 02着 | 2:18.0(47.9) | -0.0 | 岩元市三 | 55kg | ヤエシオ |
0000.04.12 | 阪神 | わらび賞 | 芝2200m(稍) | 10 | 6 | 6 | 01.3(1人) | 01着 | 2:18.1(48.4) | -1.2 | 岩元市三 | 55kg | (モガミパワー) | |
0000.05.04 | 東京 | NHK杯 | GII | 芝2000m(重) | 18 | 2 | 4 | 06.4(3人) | 02着 | 2:03.9(50.0) | -0.3 | 岩元市三 | 56kg | ラグビーボール |
0000.05.25 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 23 | 7 | 19 | 07.0(4人) | 7着 | 2:29.5(49.1) | -0.6 | 岩元市三 | 57kg | ダイナガリバー |
1987. 01.25 | 京都 | 日経新春杯 | GII | 芝2200m(重) | 7 | 6 | 6 | 09.9(5人) | 04着 | 2:17.1 (50.7) | -1.0 | 岩元市三 | 56kg | フレッシュボイス |
0000.02.22 | 京都 | 京都記念 | GII | 芝2400m(稍) | 12 | 8 | 11 | 02.3(1人) | 01着 | 2:29.3(48.9) | -0.3 | 岩元市三 | 55kg | (スピードヒーロー) |
1988. 01.24 | 京都 | 日経新春杯 | GII | 芝2200m(良) | 12 | 6 | 7 | 12.2(6人) | 12着 | 2:18.6(51.3) | -3.3 | 岩元市三 | 57kg | スピードヒーロー |
1989. 04.02 | 阪神 | 阪神大賞典 | GII | 芝2000m(良) | 13 | 5 | 6 | 51.1(12人) | 05着 | 2:02.4(49.0) | -1.0 | 田原成貴 | 58kg | ヤエノムテキ |
0000.05.14 | 京都 | 京阪杯 | GIII | 芝2000m(良) | 15 | 8 | 14 | 03.9(2人) | 11着 | 2:05.0(52.1) | -2.3 | 田原成貴 | 57kg | ニホンピロブレイブ |
種牡馬時代
[編集 ]引退後は種牡馬入りし、75頭の産駒を残した。すると、シンカイウンが1997年の朝日チャレンジカップを制し、産駒の中央重賞初制覇を果たした。その後もマグマライフが2002年の阪神スプリングジャンプを制するなど、中央競馬で活躍する馬を輩出した。2000年を最後に種付けを終え、2002年 2月12日より名馬のふるさとステーションへ移動。そこが経営難により閉鎖されたあとは、新設された新ひだか町のローリング・エッグス・クラブにミスターシクレノンやタケノハナミと移動した。2003年 12月1日に用途変更 [4] 、種牡馬としての供用が停止されたあとは、引退名馬繋養展示事業の助成対象馬となり[5] 、同地で引き続き繋養された。ダービーやNHK杯で共に走ったアサヒエンペラーもこの施設に引き取られている。
2012年 5月6日、老衰のため同地で死亡した[6] 。29歳没。スタッフによれば、同年2月にミスターシクレノンが死亡した後から弱り出し、最期はミスターシクレノンの使っていた馬房で倒れていたという[7] 。
主な産駒
[編集 ]- 1991年産
- スーパーファルド(こまくさ賞)
- 1992年産
- シンカイウン(朝日チャレンジカップ、中日新聞杯)
- シンコウバイ(阪神障害ステークス・秋3着)
- 1994年産
- カケノジンライ(ラベンダー賞)
- 1998年産
- マグマライフ(阪神スプリングジャンプ)
血統表
[編集 ]
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o "シンチェスト". JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月15日閲覧。
- ^ "シンチェストの競走成績". netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2022年8月16日閲覧。
- ^ "シンチェスト 競走成績". JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月15日閲覧。
- ^ シンチェスト(JPN) - 血統書サービス、2022年8月15日閲覧。
- ^ 平成17年度 引退名馬けい養展示事業助成対象馬一覧(2005年4月)(アーカイブ) - 軽種馬育成調教センター、2022年8月15日閲覧。
- ^ シンチェストが死亡 - 競走馬のふるさと案内所、2022年8月15日閲覧。
- ^ シンチェストのこと ご報告 - REC 厩舎日誌、2022年8月15日閲覧。
- ^ a b c "シンチェスト 血統情報:5代血統表". JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月15日閲覧。
- ^ a b "シンチェストの5代血統表". netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2022年8月15日閲覧。