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サンフェルナンド駅 (パンパンガ州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 この項目では、パンパンガ州について説明しています。ラウニオン州の駅については「サンフェルナンド駅 (ラウニオン州)」をご覧ください。
サンフェルナンドP駅
保存されている旧駅舎 地図
所在地 パンパンガ州 サンフェルナンド
座標 北緯15度1分36.6秒 東経120度41分12.15秒 / 北緯15.026833度 東経120.6867083度 / 15.026833; 120.6867083 座標: 北緯15度1分36.6秒 東経120度41分12.15秒 / 北緯15.026833度 東経120.6867083度 / 15.026833; 120.6867083
所有者 フィリピン国鉄
路線 PNR北方本線
アラヤット線
カルメン線
その他
駅コード SFN
歴史
開業 1892年
閉鎖 1989年
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サンフェルナンド駅は現在利用されていないフィリピン国鉄 北方本線の駅。パンパンガ州 サンフェルナンドに位置している。

歴史的には1942年バターン死の行進でフィリピン人とアメリカ人の捕虜が立ち寄った場所である[1] [2] [3]

駅はサンフェルナンド市の史跡となっている。

ラウニオン州サンフェルナンド駅と区別するためにサンフェルナンドP駅とも表記される

歴史

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1892年2月23日、スペイン領フィリピン総督 エウロヒオ・デスポホル (英語版)とマニラ大司教ベルナルディオ・ノザレダの手によって駅が開かれた[2]

1892年6月27日、ホセ・リサールはラ・リガ・フィリピナの会員を集めるためにこの駅で降り、次の日にはバコロー (英語版)へ向かった[2] [3]

その後、最盛期には駅の北から西のフロリダブランカ (英語版)や東のアラヤット (英語版)へ分岐する支線が存在した。フロリダブランカ行は後にその北のデル・カルメンまで延長され、カルメン線と呼ばれた。いずれも後に廃止となっている。

1942年4月、バターン死の行進ではこの駅はバターンからの102kmの行進の最終目的地であった。捕虜らは、ここからさらに車両にのせられ最終目的地であるオードネル捕虜収容所 (英語版)のあるタルラック州カパス (英語版)に送られた[1] [3]

1988年にマロロス以北の北方本線の駅が閉鎖されたときのこの駅もまた閉鎖された。

計画

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現在旧PNR路線の利用券を使って再建が進んでいる南北通勤鉄道の計画ではマニラ-クラーク間の鉄道の17の駅の一つになる予定である[2] [4] 。これによってふたたびマニラとの接続を回復する。

ギャラリー

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註釈

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  1. ^ a b Orejas, Tonette. "Death March glimpses in old train station" (英語). http://newsinfo.inquirer.net/904354/death-march-glimpses-in-old-train-station 2018年7月22日閲覧。 
  2. ^ a b c d Arcellaz, Princess Clea (2017年8月20日). "San Fernando assures preservation of city's old train station" (英語). Sunstar. https://www.sunstar.com.ph/article/159609/San-Fernando-assures-preservation-of-citys-old-train-station 2018年7月22日閲覧。 
  3. ^ a b c "San Fernando train station | San Fernando, Pampanga - Baktin Corporation" (英語). Baktin Corporation. (2012年1月16日). http://www.baktincorporation.com/2012/01/san-fernando-train-station/ 2018年7月22日閲覧。 
  4. ^ "17 stations of Manila-Clark Railway announced" (英語). Rappler. https://www.rappler.com/business/173929-manila-clark-railway-stations-revealed-dotr 2018年7月22日閲覧。 

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