コレット・ディケンソン・ピアース
コレット・ディケンソン・ピアース&パートナーズ(Collett Dickenson Pearce、CDP、1960年 - 2000年) はイギリスの広告代理店。ジョン・コレットの会社をジョン・ピアースとロニー・ディケンソンが買収して創立。1960年代の文化革命で重要な役割を果たし、同社を経て国際的に活躍したクリエイターも多い。
沿革
[編集 ]創立
[編集 ]1960年4月、コールマン・プレンティス・ヴァーリー社(1934年創立)からピアースとディケンソン、コリン・ミルワードが退職し、前者2名がジョン・コレット所有のピクトリアル・パブリシティを買収して設立。コリン・ミルワードは第二次世界大戦の退役軍人であったが、CDPの初期20年間のクリエイティブ・ディレクターを務めており、天才として名を馳せた[1] [2] [3]
。
1960年代のスイング・ロンドン革命 (英語版)で頭角を現し、イギリスで最も影響力のある広告代理店となった。
1970年代にはカラーテレビの普及により洗練された広告映像の需要が生じ、経営者フランク・ローのもとでイギリス広告業界の黄金時代を築いたと言われている。このときには世界でも主要な広告代理店のひとつとされていた。
ただ最高幹部の役職は軍の元役人タイプが占めていたとアラン・パーカーは回想している[4] 。
主な顧客は、パーカー、フィアット、フォード、ランドローバー、ハイネケン、ロンソン、チンザノ、ベンソン&ヘッジス 、バーズアイ (英語版)、ジョン・ハーヴェイ&サンズ (英語版)、ホヴィス (英語版)、他。ベンソン&ヘッジズ(ギャラハー)の煙草ハムレットの1974年のキャッチコピー「幸せとはハムレットと呼ばれる葉巻」(Happiness is a cigar called Hamlet)などがイギリス国内では有名である。
電通による買収
[編集 ]1980年代後半から1990年代には勢いを失い、2000年には世界第5位の広告代理店である電通に買収され、CDP・トラヴィスサリー、次いでトラヴィス・サリーと改称。
2010年にはイギリス広告ビジネス界からジム・ケリーを経営者に起用し、その後には欧州での事業の拡大にともない、社名を電通ロンドン、次いで電通UKと改称した[5] [6] 。
出身者
[編集 ]CDPは若者を国際的なクリエイターに育てた「保育所」でもあった。
- フランク・ロー (英語版)
- デヴィッド・パットナム (英語版):映画『炎のランナー』、『キリング・フィールド』プロデューサー[7]
- アラン・パーカー (英語版): 映画『ミッドナイト・エクスプレス』監督
- ジョン・ヘガーティ (英語版)
- チャールズ・サーチ (英語版)
- リドリー・スコット:映画『ブレードランナー』、『エイリアン (映画)』、『グラディエーター』の監督、CDPの広告作品、他
- ヒュー・ハドソン:映画『炎のランナー』監督
参考文献
[編集 ]- The Men From the Agency BBC Four documentary examining the influence of CDP.
- Authors, John Salmon and John Ritchie. (2001). Inside Collett Dickenson Pearce, London: Batsford. ISBN 0-7134-8403-9
- ^ CDP genius Colin Millward dies, 79, Campainge, May 14, 2004.
- ^ 'Colman Prentis and Varley; CPV History'
- ^ Obituary in London Times, 1 June 2004
- ^ The demise of a once-great advertising agency, FT. 2009.
- ^ "Jim Kelly to lead Dentsu assault on Europe". Campaign . (23 July 2009). http://www.campaignlive.co.uk/analysis/922241/
- ^ 『欧州事業再編推進を目的に、英国拠点を改編』、電通。2009年7月23日。
- ^ Account of his time at CDP in Speech by Lord Puttnam of Queensgate CBE to London Metropolitan University Honorary Degree Holders Dinner, 10 March 2004, pp 3-7