キン・ニュン
キン・ニュン ခင်ညွန့် Khin Nyunt | |
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キン・ニュン(2012年撮影) | |
生年月日 | (1939年10月11日) 1939年 10月11日(84歳) |
出生地 | ヤンゴン管区、チャウタン |
出身校 | ヤンゴン大学 |
前職 | ミャンマー連邦首相、国家平和発展評議会(SPDC) 第一書記 |
称号 | 大将 |
在任期間 | 2003年 8月25日 - 2004年 10月18日 |
SPDC議長 | タン・シュエ |
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キン・ニュン(ビルマ語: ခင်ညွန့် 、慣用ラテン文字表記: Khin Nyunt、ALA-LC翻字法: Khaṅʻ Ññvanʻ'、IPA: [khɪ̀ɲ ɲʊ̰̃]; 中国語: 欽紐; 1939年 10月11日 - )は、ミャンマーの軍人、政治家。階級は大将。軍事政権の序列3位として国家平和発展評議会(SPDC)第1書記および首相を務めた。
経歴
[編集 ]祖籍は広東省 梅県区の客家系である。ヤンゴン大学 (英語版)卒業。 特別作戦室担当官及び第44軽歩兵師団のTOC("Tactical Operational Commander")を経て、1983年に秘密警察に相当する軍情報局長に就任。1988年 9月のクーデターで軍事政権の国家法秩序回復評議会(SLORC)第1書記となり、1997年 11月にSLORCがSPDCに改組するとその第1書記に。シャン州において長らく対立関係にあったビルマ共産党が内部クーデターで崩壊後、ワ州連合軍など分裂した後身の私兵組織と次々に休戦協定を結んだ。2002年 9月、大将に昇格。2003年 8月から首相を務め、穏健派・国際協調派で柔軟派かつ軍政きっての切れ者として知られた。
2004年10月、首相を解任された。 軍事政権からは「健康上の理由」による引退と発表されたが、政権の保守派との政争の結果、失脚したとみられる。彼の失権後、軍情報局は解体された。
解任後はヤンゴンの自宅にて軍の軟禁下にあったが、2012年1月13日にテイン・セイン大統領が大規模な恩赦を実施し、キン・ニュンも軟禁を解かれた[1] 。
出典
[編集 ]- ^ "ミャンマーで恩赦、政治犯ら651人を一斉釈放". 読売新聞 . (2012年1月13日). オリジナルの2012年1月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120128120348/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120113-OYT1T01047.htm 2012年1月14日閲覧。
2021年ミャンマークーデター以降、ミャンマーには国家行政評議会と連邦議会代表委員会・国民統一政府の二つの政府が並立している。 本表では国家行政評議会の人事に「軍」、連邦議会代表委員会・国民統一政府の人事に「民」と表記している。 | |
首相 | ウー・ヌ 1948-1956 / バー・スエ 1957 / ウー・ヌ 1957-1958 / ネ・ウィン 1958-1960 / ウー・ヌ 1960-1962 / ネ・ウィン 1962-1974 / セイン・ウィン 1974-1977 / マウン・マウン・カ 1977-1988 / トゥン・ティン 1988 / ソウ・マウン 1988-1992 / タン・シュエ 1992-2003 / キン・ニュン 2003-2004 / ソー・ウィン 2004-2007 / テイン・セイン 2007-2011 / 廃止2011-2021 / 軍:ミン・アウン・フライン 2021-(暫定) / 民:マン・ウィン・カイン・タン 2021- |
国家顧問 | アウンサンスーチー 2016-2021 / 軍:廃止2021- / 民:アウンサンスーチー 2021- / 民:マン・ウィン・カイン・タン 2021(代行) |
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