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キリル・サクスコブルクゴツキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 この項目では、ブルガリア王シメオン2世の次男について説明しています。ブルガリア王フェルディナントの次男については「キリル (プレスラフ公)」をご覧ください。
キリル
Кирил
サクスコブルクゴツキ家
プレスラフ公キリル・サクスコブルクゴツキ(1996年)

称号 プレスラフ公
出生 (1964年07月11日) 1964年 7月11日(60歳)
スペインの旗 スペインマドリード
配偶者 ロサリオ・ナダル
子女
一覧参照
  • マファルダ=セシリア
    オリンピア
    タッシロ
父親 シメオン2世
母親 マルガリータ・ゴメス=アセボ
宗教 キリスト教 正教会
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キリル・サクスコブルクゴツキ(ブルガリア語: Кирил Сакскобургготски, ラテン文字転写: Kiril Sakskoburggotski, 1964年 7月11日 - )は、ブルガリア王国の元国王でブルガリア共和国の元首相であるシメオン・サクスコブルクゴツキ(シメオン2世)とその妻マルガリータ (英語版)の次男。ブルガリア王族としてプレスラフ (英語版)公の儀礼称号を用いる[注釈 1]

略歴

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父シメオンのスペイン亡命時代にマドリードで生まれる。プリンストン大学物理学を学び、1986年に卒業した。

1987年 10月28日ニューヨークでのクリスチャン・ラクロワ (英語版)主催のディナーとファッションショーに、プリンストン大学の同窓生ブルック・シールズをエスコートして出席した[1] 。独身時代の恋愛の動向はヨーロッパのゴシップ誌によく追われていた。

1989年 9月15日にマリア・デル・ロサリオ・ナダル(通称:ロサリオ・ナダル)と結婚した。ロサリオは第9代オロカウ (スペイン語版)伯爵ホアキン・デ・プイグドルフィラの孫であり、アステカ皇帝モクテスマ2世の娘イサベル・モクテスマ (英語版)の子孫にあたる。

宗教婚はパルマ・デ・マヨルカにあるアルムダイナ宮殿 (英語版)のサンタ・アナ礼拝堂で東方正教会の様式で行われた[2] 。式には当時のスペイン王フアン・カルロス1世ソフィア王妃エレナ王女クリスティーナ王女アストゥリアス公フェリペ(後のフェリペ6世)などスペイン王室の高位メンバーが出席した。

妻ロサリオとの間に1男2女がいる。

以前はモデルでヴァレンティノ・ガラヴァーニのミューズだった妻ロサリオは、専門的なアート・コンサルタントとして働いている[3]

夫妻はグウィネス・パルトローヒュー・グラント、ノルウェーのホーコン王太子メッテ=マリット王太子妃夫妻、スペイン王室など、多くの著名人や王族と交流があることで知られている。

2009年10月、スペインのEFE通信は、シメオン・サクスコブルクゴツキに近い匿名の情報筋の話として、キリルとロサリオ夫妻が別居する方向だと報じた。ただし、情報筋によれば離婚の予定などはないとされる[4]

2010年 6月19日のスウェーデンのヴィクトリア王太子の結婚式には夫婦で出席した。

2017年からは、イギリスの実業家・美術史家のキャサリン・バトラー (英語版)と交際している。

脚注

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注釈

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  1. ^ この称号はボリス3世の弟でシメオン2世の在位中に摂政を務めた同名の大叔父キリル王子と同じものである。

出典

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関連項目

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ウィキメディア・コモンズには、キリル・サクスコブルクゴツキ に関するカテゴリがあります。

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