ガラッパ
ガラッパは、南九州に伝わる河童の一種[1] 。鹿児島県 薩摩川内市の川内川に生息しているというのが全国的に有名。
概要
[編集 ]川辺に住み、頭に皿があり、春と秋に山と川を行き来するといわれている[1] 。
目に見えずに声や音だけが聞こえる正体不明の化け物とも言われている[2] 。特定の人にしか見えないともいう[3] [4] 。 熊本県の八代・人吉球磨などの県南部では河童、山童のことを「ガラッパ」と呼ぶ。また鹿児島県本土全体でも河童をガラッパと呼ばれている[5] 。 八代市本町にはかっぱの渡来の碑が建てられている。仁徳天皇の時代には九千坊が率いたかっぱの集団が中国から上陸した説がある。また熊本県南の人吉球磨地方では「山ん太郎」「川ん太郎」と呼び分けられている[6] 。
外見
[編集 ]一般の河童より手足が長いのが特徴で、座ると膝が頭より高い位置にくる[7] 。全身に毛があり、後ろ足で立って歩く。皮膚の色は人間と同じ茶褐色である[8] 。
性格
[編集 ]悪戯が大好き。山中で驚いたり道に迷ったりするのはすべてガラッパの仕業とされる[1] 。 頭に水が入っている[9] 。相撲を取るときには一本背負いをしない。左右に引っ張ってはいけない。手が伸びる。頭を触られるのを嫌がる[9] 。人間を見ると無性に相撲を取りたくなる[8] 。
人間から理不尽な攻撃を受けた場合は必ず仕返しをしたと伝えられている。山でガラッパの悪口を言うと必ず仕返しされ、特に悪口を言った者が靴を履かずに裸足だった際には、その悪口は数kmまで離れたガラッパの耳にも届くという[1] 。
悪戯好きの反面、恩義を忘れない性格とされる。熊本県では、川で悪さをしたガラッパをある者が懲らしめ、もう悪さはしないよう言い聞かせた上で許して逃がしてあげたところ、その川では水難が起きなくなったという[10] 。
また、かつてガランデンドンというガラッパの神が、鹿児島の神社でガラッパたちを集めて悪事を働かないよう説得し、戒めの文字を石に刻み、その石がある限りガラッパは悪さができないとされている[11] 。
人間の仕事を手伝う話も多い。熊本には薬売りに膏薬の作り方を教えた話や[10] 、魚採りを手伝ってくれる話がある[10] 。特に魚については、ガラッパと友達になることで面白いように魚が沢山取れるという。また鹿児島の薩摩川内市では、田植えを手伝った話が残されている[12] 。
声
[編集 ]「ヒョーヒョー」「キーキー」「ヒューヒュー」「ホイホイ」[13] と鳴くとされる。実際にはこの声の主は小鳥のトラツグミとされるが、一説によればガラッパの神秘性を保つため、敢えてこのことは公にされていないという[2] 。他に大正時代に鹿児島で、夜来て倒木や矢を射る音をさせたり、フンフンフンと鳴いたという話もある[14] 。
嗜好
[編集 ]一般の河童に増して女好きであり、鹿児島の伊佐郡などでは、ガラッパが人間の色気に惑わされて川に落ちたという、「河童の川流れ」ならぬ「ガラッパの川流れ」の伝承がある[15] 。
同じく鹿児島の熊毛郡 屋久島町では、ガラッパに犯されて妊娠した女の話が伝わっており、その女は胎内のガラッパに肝を食べられたため、やがて死んでしまったという。産まれた子は焼き殺されそうとしていたところ、どこかへ消えたという[16] 。
趣味
[編集 ]種子島には、ガラッパに相撲を挑まれた子供の逸話がある。その子供はガラッパを投げ飛ばしたものの、次から次へとガラッパが現れ、何度投げ飛ばしてもきりがない。遂に相撲に負けた子供は、妙な色を口に塗られて家に帰り、長い間目を覚まさなかったという[17] 。
薩摩川内市の五代町では、何日もガラッパの相撲につきあっていた者が、やがて病気になって死んでしまったとも伝えられている[18] 。
民話
[編集 ]「月の美しい日には多くのガワッパが出てきて彦一は15匹のガワッパを仕留めた。その後彦一はそれらのガワッパを『でっかいやつが釣れた』と魚とだまかして殿様に差し上げた。」という逸話がある。このような彦一とガワッパとの逸話は数多く残っている[8] 。
関連する建物
[編集 ]ガワッパ神社‐ 旧田浦町(現芦北町)の樋ノ口水源にある樋ノ口神社。別名「ガワッパ神社」とも呼ばれている[19] 。
弱点
[編集 ]仏飯(仏壇に供えるご飯)が弱点。熊本では、仏飯を口にしたガラッパが力を失ってしまったという伝承がある[10] 。また伊佐郡や薩摩川内市では、仏飯を食べた人間や動物に対しては、ガラッパは恐れて近寄らないと言われている[15] [18] 。
光り物の金属類も大の弱点のひとつで、ガラッパの難を避けるにはこれを身に付けると良いとされる[15] 。
その他、伊佐郡では人間の歯を恐れているとも言われている[20] 。また、鹿児島の大島郡では網が嫌いとされ、網をかぶることでガラッパの難を逃れた者の話が伝わっている[7] 。
その他
[編集 ]大島郡の瀬戸内町では、善行を行なわなかった人間が海で死ぬと、その霊魂がガラッパになると伝えられている[21] 。
川内市(現在の薩摩川内市川内地域)では、赤ちゃんの歯が生え始める際に下より上の方が先に生えると、川でガラッパに引きずり込まれるとされ、赤ちゃんの名前を改名すると共に、人形を作って川に流すという[18] 。
奄美大島や吐噶喇列島(トカラ列島)などの南の島々に住むとされる[22] 。
脚注
[編集 ]- ^ a b c d 村上健司編著『妖怪事典』毎日新聞社、2000年、120頁。ISBN 978-4-620-31428-0。
- ^ a b 山田慶晴「川内のガラッパ」『鹿児島民俗』通巻75号、鹿児島民俗学会、1982年3月、31-36頁。
- ^ 中田敬子他「浦田部落」『種子島研究』通巻2号、鹿児島県立種子島高等学校郷土研究部、1964年8月、11頁。
- ^ 今野円輔編著『日本怪談集 妖怪篇』社会思想社〈現代教養文庫〉、1981年、61頁。ISBN 978-4-390-11055-6。
- ^ 石川純一郎『新版河童の世界』時事通信社、1989年5月25日、259頁。ISBN 4788785153。
- ^ 河童連邦共和国『日本の河童』桐原書店、1991年7月25日、104頁。ISBN 4342803704。
- ^ a b 三宅宗悦「南島の旅」『ドルメン』3巻9号、岡書院、1934年9月、65頁。
- ^ a b c 久本三多『九州の河童』葦書房有限会社、1986年1月15日、173頁。全国書誌番号:86037307。
- ^ a b 人吉市『九州相良むかしがたり』人吉市長福永浩介、1994年10月、47頁。
- ^ a b c d 丸山学「肥後葦北のヤマワロ」『民間伝承』14巻8号、日本民俗学会、1950年8月、18-24頁。
- ^ 小野重郎. "民間伝承 31巻3号 ガランドン(伽藍様)". 怪異・妖怪伝承データベース . 国際日本文化研究センター. 2010年12月12日閲覧。
- ^ 丸山学. "みんぞく 通巻16号 民俗信片 七". 怪異・妖怪伝承データベース. 2010年12月12日閲覧。
- ^ 和田寛『河童伝承大辞典』岩田書院、2005年6月。
- ^ 松谷みよ子『現代民話考』 1巻、筑摩書房〈ちくま文庫〉、2003年、199頁。ISBN 978-4-480-03811-1。
- ^ a b c 松崎正治「伊佐の民話(八)」『南九州郷土研究』通巻11号、南九州郷土研究会、1971年2月、85-86頁。
- ^ 安山登「口永良部島の伝説(下)」『南九州郷土研究』通巻15号、1971年10月、18頁。
- ^ 浦口チズ子他「塰泊の民俗」『種子島研究』通巻1号、1963年11月、22頁。
- ^ a b c 山田慶晴「川内のガラッパ(後編)」『鹿児島民俗』通巻76号、1982年9月、38-47頁。
- ^ 横田次男 (1959年7月15日). "郷土物語田浦百話". 田浦町公民館: p. 2
- ^ 松崎正治「伊佐の民話(三)」『南九州郷土研究』通巻4号、1970年1月、36頁。
- ^ 登山修「奄美大島瀬戸内町の民間信仰」『南島研究』通巻22号、南島研究会、1981年12月、32頁。
- ^ 水木しげる『妖怪伝』(1985年11月、講談社) p.75