カーネル・レイク
Carnell Lake | |||||||||||||||||
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メンフィス・ショーボーツ ディフェンシブコーディネーター | |||||||||||||||||
ポジション |
ストロングセイフティ コーナーバック | ||||||||||||||||
生年月日 | (1967年07月15日) 1967年 7月15日(57歳) | ||||||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ユタ州 ソルトレイクシティ | ||||||||||||||||
身長: | 6' 1" =約185.4cm | ||||||||||||||||
体重: | 213 lb =約96.6kg | ||||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||||
大学 | UCLA | ||||||||||||||||
NFLドラフト | 1989年 / 2巡目全体34位 | ||||||||||||||||
初出場年 | 1989年 | ||||||||||||||||
初出場チーム | ピッツバーグ・スティーラーズ | ||||||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||||||||||
オールプロ選出(計5回) | |||||||||||||||||
1997
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プロボウル選出(5回) | |||||||||||||||||
1994-1997、1999 | |||||||||||||||||
その他受賞・記録 | |||||||||||||||||
AFC最優秀守備選手(1997年) | |||||||||||||||||
NFL1990年代オールディケイドチーム | |||||||||||||||||
ジョー・グリーン・グレートパフォーマンス賞(1989年) | |||||||||||||||||
NFL 通算成績 (2001年終了時点) | |||||||||||||||||
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Player stats at PFR |
カーネル・レイク(Carnell Lake 1967年 7月15日- )はユタ州 ソルトレイクシティ出身の元アメリカンフットボール選手・コーチ。NFLのピッツバーグ・スティーラーズなどで1989年から2001年までプレーした。ポジションは主にストロングセイフティ、コーナーバック。
経歴
[編集 ]プロ入りまで
[編集 ]カリフォルニア州 カルバーシティの高校に通った。高校卒業後、UCLAに進学し、1985年から1988年までプレーした。1986年から1988年まで3シーズン、アウトサイドラインバッカーとして先発した[1] 。
3年次の1987年には、パシフィック・テン・カンファレンス最多の13サックをあげてカンファレンスのファーストチーム、オールアメリカンのセカンドチームに選ばれた。4年次の1988年には、78タックル(12.5ロスタックル)をあげて、オールアメリカンのファーストチームに選ばれた。この年、ディック・バトカス賞、ロンバルディ賞のセミファイナリストにも残った。大学通算では、歴代1位の45.5ロスタックル、歴代4位の25,5サックをあげた[1] 。
2000年にUCLA殿堂入りを果たしている[2] 。
NFL
[編集 ]1989年のNFLドラフト2巡34位でピッツバーグ・スティーラーズに指名された[1] 。1年目から全16試合中15試合に先発し、チームトップの5ファンブルリカバーをあげた。
1995年シーズンには、長期欠場したロッド・ウッドソンの代わりにコーナーバックを務め[3] 、第30回スーパーボウルに出場している。
1997年、シーズンMVPの選考でスポーツ・イラストレイテッドのピーター・キングに投票された。その選考では、バリー・サンダース、ブレット・ファーヴと同票を獲得した[4] 。
スティーラーズには1998年まで10シーズン在籍し、チーム4位の16ファンブルリカバー、同じくチーム4位の16インターセプトをあげている[2] 。この間チームはプレーオフに6回出場、AFC中地区優勝5回を数えた[1] 。
1998年シーズン終了後、フリーエージェントとなった彼は、1992年から1995年までスティーラーズで守備コーディネーターを務めたマービン・ルイスが守備コーディネーターを務めているジャクソンビル・ジャガーズと契約を結んだ[5] 。この年、チームはプレーオフに進出し、翌年1月15日のマイアミ・ドルフィンズとのプレーオフでは、スクリーンパスを受けたJ・J・ジョンソンからボールを奪った[6] 。ジャガーズは、AFCチャンピオンシップゲームでテネシー・タイタンズに敗れ、2度目のスーパーボウル(第34回スーパーボウル)出場はならなかった[1] 。
2000年は、左足の疲労骨折のためシーズンを全休した[7] [8] 。
2001年9月初め、ジャガーズから解雇され、その後前年のスーパーボウルチャンピオンのボルチモア・レイブンズと契約を結んだ[7] 。そのシーズンを最後に現役を引退した[1] 。
現役通算では25サック、16インターセプト、17ファンブルリカバー、5タッチダウンを記録している。
コーチ歴
[編集 ]2009年1月に母校、UCLAのアシスタントコーチに就任したが、家庭の事情を理由として2010年2月に退任した[9] 。
第45回スーパーボウル終了後にアリゾナ・カージナルスのディフェンスコーディネーターに就任するため退団した、レイ・ホートンの代わりとして、2011年3月7日、ピッツバーグ・スティーラーズのディフェンシブバックコーチに就任した[2] [10] [11] 。2017年シーズンオフに退団した[12] 。
脚注
[編集 ]- ^ a b c d e f "PROFILE". UCLAブルーインズ. 2013年6月12日閲覧。
- ^ a b c "Steelers Hire Lake as Defensive Backs Coach". ピッツバーグ・スティーラーズ (2011年3月7日). 2013年6月12日閲覧。
- ^ Jason Cole (1996年1月26日). "That Xxx-tra Dimension". サン・センティネル. 2013年6月13日閲覧。
- ^ ピーター・キング (2009年12月4日). "The Game Plan (cont.)". スポーツ・イラストレイテッド. 2013年6月12日閲覧。
- ^ "Ravens-Jaguars key matchup". ボルチモア・サン (199-11-14). 2013年6月12日閲覧。
- ^ "Jacksonville 62, Miami 7". スポーツ・イラストレイテッド (2000年1月16日). 2013年6月13日閲覧。
- ^ a b "N.F.L.: ROUNDUP; Ravens Sign Lake At Safety". ニューヨーク・タイムズ (2011年9月11日). 2013年6月12日閲覧。
- ^ "スティーラーズ、Sローガンを獲得". NFL JAPAN (2001年). 2013年6月12日閲覧。
- ^ "UCLA assistant Carnell Lake resigns". bleacherreport.com (2010年2月22日). 2013年6月12日閲覧。
- ^ Gerry Dulac (2011年3月2日). "Steelers interview Carnell Lake for secondary coach job". ピッツバーグ・ポスト=ガゼット. 2013年6月12日閲覧。
- ^ "スティーラーズ、プロボウル4回のOBをコーチに招へい". NFL JAPAN (2011年3月8日). 2013年6月12日閲覧。
- ^ "Carnell Lake done as Steelers defensive backs coach" (英語). Pittsburgh Post-Gazette. (2018年2月8日). http://www.post-gazette.com/sports/steelers/2018/02/07/carnell-lake-steelers-defensive-backs-coach/stories/201802070110 2021年6月26日閲覧。
外部リンク
[編集 ]- 通算成績と情報 NFL.com, or ESPN, or Pro-Football-Reference (英語)
ピッツバーグ・スティーラーズ 75周年記念オールタイムチーム (2007) | |
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オフェンス |
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NFL1990年代オールディケードチーム | |
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ST | |
HC |
AP通信 オールプロ ファーストチーム選出(1回) | ||||||
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