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カーネル・レイク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カーネル・レイク
Carnell Lake
メンフィス・ショーボーツ
ディフェンシブコーディネーター
ポジション ストロングセイフティ
コーナーバック
生年月日 (1967年07月15日) 1967年 7月15日(57歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ユタ州 ソルトレイクシティ
身長: 6' 1" =約185.4cm
体重: 213 lb =約96.6kg
経歴
大学 UCLA
NFLドラフト 1989年 / 2巡目全体34位
初出場年 1989年
初出場チーム ピッツバーグ・スティーラーズ
所属歴
選手歴
1989-1998 ピッツバーグ・スティーラーズ
1999-2000 ジャクソンビル・ジャガーズ
2001 ボルチモア・レイブンズ
コーチ歴
2011-2017 ピッツバーグ・スティーラーズ
2022 タンパベイ・バッカニアーズ
2023- メンフィス・ショーボーツ
受賞歴・記録
オールプロ選出(計5回)
1st(1回)

1997

2nd(4回)
1992、1994、1995、1999
プロボウル選出(5回)
1994-1997、1999
その他受賞・記録
AFC最優秀守備選手(1997年)
NFL1990年代オールディケイドチーム
ジョー・グリーン・グレートパフォーマンス賞(1989年)
NFL 通算成績
(2001年終了時点)
タックル 826回
インターセプト 16回
サック 25回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

カーネル・レイク(Carnell Lake 1967年 7月15日- )はユタ州 ソルトレイクシティ出身の元アメリカンフットボール選手・コーチ。NFLピッツバーグ・スティーラーズなどで1989年から2001年までプレーした。ポジションは主にストロングセイフティコーナーバック

経歴

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プロ入りまで

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カリフォルニア州 カルバーシティの高校に通った。高校卒業後、UCLAに進学し、1985年から1988年までプレーした。1986年から1988年まで3シーズン、アウトサイドラインバッカーとして先発した[1]

3年次の1987年には、パシフィック・テン・カンファレンス最多の13サックをあげてカンファレンスのファーストチーム、オールアメリカンのセカンドチームに選ばれた。4年次の1988年には、78タックル(12.5ロスタックル)をあげて、オールアメリカンのファーストチームに選ばれた。この年、ディック・バトカス賞、ロンバルディ賞のセミファイナリストにも残った。大学通算では、歴代1位の45.5ロスタックル、歴代4位の25,5サックをあげた[1]

2000年にUCLA殿堂入りを果たしている[2]

NFL

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1989年NFLドラフト2巡34位でピッツバーグ・スティーラーズに指名された[1] 。1年目から全16試合中15試合に先発し、チームトップの5ファンブルリカバーをあげた。

1995年シーズンには、長期欠場したロッド・ウッドソンの代わりにコーナーバックを務め[3] 第30回スーパーボウルに出場している。

1997年シーズンMVPの選考でスポーツ・イラストレイテッドのピーター・キングに投票された。その選考では、バリー・サンダースブレット・ファーヴと同票を獲得した[4]

スティーラーズには1998年まで10シーズン在籍し、チーム4位の16ファンブルリカバー、同じくチーム4位の16インターセプトをあげている[2] 。この間チームはプレーオフに6回出場、AFC中地区優勝5回を数えた[1]

1998年シーズン終了後、フリーエージェントとなった彼は、1992年から1995年までスティーラーズで守備コーディネーターを務めたマービン・ルイスが守備コーディネーターを務めているジャクソンビル・ジャガーズと契約を結んだ[5] この年、チームはプレーオフに進出し、翌年1月15日のマイアミ・ドルフィンズとのプレーオフでは、スクリーンパスを受けたJ・J・ジョンソンからボールを奪った[6] 。ジャガーズは、AFCチャンピオンシップゲームテネシー・タイタンズに敗れ、2度目のスーパーボウル(第34回スーパーボウル)出場はならなかった[1]

2000年は、左足の疲労骨折のためシーズンを全休した[7] [8]

2001年9月初め、ジャガーズから解雇され、その後前年のスーパーボウルチャンピオンのボルチモア・レイブンズと契約を結んだ[7] 。そのシーズンを最後に現役を引退した[1]

現役通算では25サック、16インターセプト、17ファンブルリカバー、5タッチダウンを記録している。

コーチ歴

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2009年1月に母校、UCLAのアシスタントコーチに就任したが、家庭の事情を理由として2010年2月に退任した[9]

第45回スーパーボウル終了後にアリゾナ・カージナルスのディフェンスコーディネーターに就任するため退団した、レイ・ホートンの代わりとして、2011年3月7日、ピッツバーグ・スティーラーズのディフェンシブバックコーチに就任した[2] [10] [11] 。2017年シーズンオフに退団した[12]

脚注

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  1. ^ a b c d e f "PROFILE". UCLAブルーインズ. 2013年6月12日閲覧。
  2. ^ a b c "Steelers Hire Lake as Defensive Backs Coach". ピッツバーグ・スティーラーズ (2011年3月7日). 2013年6月12日閲覧。
  3. ^ Jason Cole (1996年1月26日). "That Xxx-tra Dimension". サン・センティネル. 2013年6月13日閲覧。
  4. ^ ピーター・キング (2009年12月4日). "The Game Plan (cont.)". スポーツ・イラストレイテッド. 2013年6月12日閲覧。
  5. ^ "Ravens-Jaguars key matchup". ボルチモア・サン (199-11-14). 2013年6月12日閲覧。
  6. ^ "Jacksonville 62, Miami 7". スポーツ・イラストレイテッド (2000年1月16日). 2013年6月13日閲覧。
  7. ^ a b "N.F.L.: ROUNDUP; Ravens Sign Lake At Safety". ニューヨーク・タイムズ (2011年9月11日). 2013年6月12日閲覧。
  8. ^ "スティーラーズ、Sローガンを獲得". NFL JAPAN (2001年). 2013年6月12日閲覧。
  9. ^ "UCLA assistant Carnell Lake resigns". bleacherreport.com (2010年2月22日). 2013年6月12日閲覧。
  10. ^ Gerry Dulac (2011年3月2日). "Steelers interview Carnell Lake for secondary coach job". ピッツバーグ・ポスト=ガゼット. 2013年6月12日閲覧。
  11. ^ "スティーラーズ、プロボウル4回のOBをコーチに招へい". NFL JAPAN (2011年3月8日). 2013年6月12日閲覧。
  12. ^ "Carnell Lake done as Steelers defensive backs coach" (英語). Pittsburgh Post-Gazette. (2018年2月8日). http://www.post-gazette.com/sports/steelers/2018/02/07/carnell-lake-steelers-defensive-backs-coach/stories/201802070110 2021年6月26日閲覧。 

外部リンク

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ピッツバーグ・スティーラーズ 75周年記念オールタイムチーム (2007)
オフェンス
ディフェンス
スペシャリスト
NFL1990年代オールディケードチーム
QB
RB
WR
TE
OL
DL
LB
DB
ST
HC
AP通信 オールプロ ファーストチーム選出(1回)
AP通信 1997 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
パンター
キックリターナー




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