カリンガ戦争
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カリンガ戦争 Kalinga War | |
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カリンガ戦争の舞台 カリンガ戦争の戦地となったダヤー川流域 | |
戦争:カリンガ戦争 | |
年月日:紀元前265年頃 | |
場所:インド・カリンガ国 | |
結果:マガダ国 マウリヤ朝軍の決定的勝利 カリンガ国がマウリヤ朝に服属 | |
交戦勢力 | |
マガダ国 マウリヤ朝 | カリンガ国 |
指導者・指揮官 | |
アショーカ | ラーニー・パドマーヴァティー (英語版) ナンディデーヴァ |
戦力 | |
カリンガの総兵力以上 | 歩兵 60,000人 馬曳戦車 1,000台 戦象 700頭 |
損害 | |
不明 | 壊滅的 |
カリンガ戦争(カリンガせんそう;サンスクリット語 कलिन्ग युद्धम्、Kalinga War)は、古代 インドにおいて、マガダ国 マウリヤ朝とカリンガ国の間で行われた戦争。カリンガ国(主に現在のオリッサ州)が戦地となった。
概要
[編集 ]アショーカの祖父にあたるチャンドラグプタも、カリンガ国を征服する戦を起こしていたが、撃退されていた。父であるビンドゥサーラの死後の壮絶な後継者争いに勝利したのち、アショーカは、ラーニー・パドマーヴァティー (英語版)(アナンタパドマナーバ)王治下のカリンガ国併合へと動いた。アショーカの治世9年目に、戦争が始まった。
ダウリ山 (英語版)周辺が戦場となったと考えられている。ダウリ山は、カリンガ国の首都ブヴァネーシュヴァラから南に 8km ほどのところにあり、ダヤー川 (英語版)の河畔に位置して、広い裾野を有している。頂上に向かう山道に沿った岩には、アショーカ王碑文が刻まれている。
この戦争も凄惨を極め、戦場となったダヤー川の下流は、戦闘による人血によって真っ赤に染まったという。カリンガ国民は100,000人が死亡し、マウリヤ朝軍も10,000人の死者を出したとされる。戦後に刻まれた碑文によると、アショーカはこの戦いによって戦争の悲惨さを痛感したとされ、戦後に不殺生・不戦を誓い、より深く仏教に帰依した。