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カトマンズ・トロリーバス

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カトマンズ・トロリーバス
カトマンズ市内を走るトロリーバス(1993年撮影)
カトマンズ市内を走るトロリーバス(1993年撮影)
基本情報
ネパールの旗 ネパール
所在地 カトマンズ
種類 トロリーバス [1] [2] [3]
起点 スルヤビナヤク (英語版)[1] [3]
終点 トリプレシュナール (英語版)[1] [3]
停留場数 15箇所[1] [3]
開業 1975年 [1] [2] [3]
休止 2001年2008年 [1] [2]
廃止 2009年 [1] [2]
再開 2003年 [1] [2]
路線諸元
営業キロ 13 km[1] [3]
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この項目では、かつてネパール首都カトマンズ に存在したトロリーバス について解説する。中国からの支援により1975年に開通したが、長期の休止を挟んだ後2009年に廃止された[1] [2] [3]

概要

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カトマンズ市内のトロリーバスは、豊富な水資源を活かした電力事業促進の一環として1975年に営業運転を開始した経緯を持つ。建設に際しては中国から4,000万ネパール・ルピーの援助や技術支援を受けており、施設や車両も中国からの輸入で賄われた。スルヤビナヤク (英語版)からトリプレシュナール (英語版)を結ぶ、15の停留所を有する全長13 kmの路線を有しており、最盛期には1日の利用客が20,000人に達し、運行時間も1日16時間となっていた[1] [2] [3]

開業以降、トロリーバスはネパール交通公社のトロリーバス運営部門(Nepal Trolley Bus Service)によって運営されていたが、1990年代以降の民主化運動(ジャナ・アンドラン)の中で、ネパール王国の重要プロジェクトの1つであったトロリーバスは頻繁に槍玉に挙げられた。更に、1980年代まで高い収益を誇っていたトロリーバスは政府関係者の天下り先となり、必要以上の従業員を抱える事となった。その結果、トロリーバスの経営状況は悪化の一途を辿り、本数減少を始めとしたサービス低下も相まって利用客も大幅に減った。更にメンテナンス面も劣化し、1997年に導入された中国製の新型車両5両が複雑な機構により営業運転に使用できず、既存の車両についても老朽化が進む事態となった。そして2001年 12月、ネパール交通公社は財政悪化を理由にトロリーバスの廃止を決定した[1] [2] [4]

その後、カトマンズを始めとした沿線自治体の活動により2003年 9月からカトマンズ広域都市公社(Kathmandu Metropolitan City)によってトロリーバスの運行が再開し、翌10月から全線の復旧が完了した。だが廃止前のトロリーバスの利用客は戻らず、毎月200万ネパール・ルピーもの赤字が生じる不採算事業になった事から翌2004年にトリプレシュナール - コテショール (英語版)間に縮小した。そして2008年 11月にトロリーバスの運行は完全に停止し、翌2009年に正式な廃止が決定した。廃止後も残されていた架線柱についてはアルニコ・ハイウェイ (英語版)のカトマンズ市内における拡張計画に合わせて撤去されている[1] [2]

脚注

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ウィキメディア・コモンズには、カトマンズ・トロリーバス に関連するカテゴリがあります。

注釈

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Peter Francon-Smith (2018年5月4日). "Kathmandu-Bhaktapur Trolley Bus". Nepali Times. 2020年9月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Suraksha Adhikari. "WHY THE TROLLEY BUS PHASED OUT". Business360. 2020年9月6日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h Alan Murray (2000). World Trolleybus Encyclopaedia. Trolleybooks. pp. 84. ISBN 0-904235-18-1  
  4. ^ Bhushan Tuladhar (26 June 2019). E-Mobility in Kathmandu Challenges & Way Ahead (PDF) (Report). UN-Habitat. pp. 2–3. 2020年9月6日閲覧

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