カッペル戦争
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カッペル戦争(独: Kappelerkriege、英: Wars of Kappel)またはカペル戦争は、16世紀前半にスイスで起きた宗教戦争である[1] 。カッペル (英語版、ドイツ語版)という国境の村近くで戦闘が行われたことからこの名がある。
概要
[編集 ]この2つの戦争は、チューリッヒを本拠としたスイスの宗教改革者、フルドリッヒ・ツヴィングリに率いられたプロテスタント派[注 1] と森林五州を中心とするカトリック派[注 2] の対立によって起きた。
この対立はスイスの内戦であり、14世紀以来スイスを結束させ、神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取ってきたスイス誓約同盟 (ドイツ語版、英語版)の分裂になりかねなかった。1529年の第一次カッペル戦争では軍事衝突は回避されたが、1531年の第二次カッペル戦争では戦闘に至り、チューリッヒ側が敗れてツヴィングリも討ち取られた[1] 。
その後結ばれたカッペルの和議によって、新旧両派の宗教対立は凍結されることになった。また、両派がそれぞれ独自に結成した同盟も解体され、スイスの政治的分裂も回避された[3] [1] [6] 。
その後スイスではジュネーヴにジャン・カルヴァンが現れ、カルヴァン派が成長した。一方、カッペルの和議はカトリックに有利であったため、17世紀のフィルメルゲン戦争[7] の遠因になった[1] [8] 。
脚注
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注釈
[編集 ]- ^ 当時のスイスは「邦(オルト、Orte)」と呼ばれる13の勢力が盟約を結んで構成されていた(スイス13邦)[4] 。このうちチューリッヒ、ベルン、バーゼル、シャフハウゼンの4邦と、これらの邦の従属邦であるザンクト・ガレン、ビール、ミュールハウゼン、それにドイツ南西部の帝国都市が加わってキリスト教都市同盟(独: Christliche Burgrechte、英: Christian Civic Unions)を結んだ[4] [5] 。
- ^ ルツェルン、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデン、ツークの伝統的な邦と、従属邦から格上げされて自立した新興邦であるフリブールが、ハプスブルク家のオーストリアを引き入れてキリスト教連合(独: Christliche Vereinigung、英: Christian Union)を結んだ[4] [5] 。
出典
[編集 ]- ^ a b c d 『スイス・ベネルクス史』,pp.72-74
- ^ 瀬原義生 (2015, pp. 99–100)
- ^ a b 瀬原義生 (2015, pp. 102–107)
- ^ a b c U.イム・ホーフ (1997, pp. 70–71)
- ^ a b U.イム・ホーフ (1997, pp. 86–88)
- ^ U.イム・ホーフ (1997, pp. 88–89)
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『フィルメルゲン戦争』 - コトバンク
- ^ 瀬原義生 (2015, pp. 83–111)
参考文献
[編集 ]- U.イム・ホーフ 著、岩井隆夫・米原小百合・佐藤るみ子・黒澤隆文・踊共二 訳『スイスの歴史』森田安一 監訳、刀水書房〈刀水歴史全書43〉、1997年5月。ASIN 488708207X。ISBN 4-88708-207-X。 NCID BA30509419。OCLC 675959550。全国書誌番号:97076605。
- 森田安一 編 編『スイス・ベネルクス史』(1版3刷)山川出版社〈新版世界各国史14〉、2009年(原著1998年4月)。ASIN 4634414406。ISBN 978-4-634-41440-2。 NCID BA35755183。OCLC 676419563。全国書誌番号:99000735。
- 瀬原義生『精説スイス史』文理閣、2015年9月。ASIN 4892597708。ISBN 978-4-89259-770-1。 NCID BB19566551。OCLC 927133145。全国書誌番号:22647215。
関連項目
[編集 ]- フィルメルゲン戦争
- 第一次フィルメルゲン戦争 (ドイツ語版、英語版)(1656年)
- 第二次フィルメルゲン戦争 (ドイツ語版、英語版)(1712年)
外部リンク
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