コンテンツにスキップ
Wikipedia

カッペル戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

カッペル戦争(: Kappelerkriege: Wars of Kappel)またはカペル戦争は、16世紀前半にスイスで起きた宗教戦争である[1] カッペル (英語版ドイツ語版)という国境の村近くで戦闘が行われたことからこの名がある。

概要

[編集 ]

この2つの戦争は、チューリッヒを本拠としたスイスの宗教改革者フルドリッヒ・ツヴィングリに率いられたプロテスタント[注 1] と森林五州を中心とするカトリック[注 2] の対立によって起きた。

この対立はスイスの内戦であり、14世紀以来スイスを結束させ、神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取ってきたスイス誓約同盟 (ドイツ語版英語版)の分裂になりかねなかった。1529年の第一次カッペル戦争では軍事衝突は回避されたが、1531年の第二次カッペル戦争では戦闘に至り、チューリッヒ側が敗れてツヴィングリも討ち取られた[1]

その後結ばれたカッペルの和議によって、新旧両派の宗教対立は凍結されることになった。また、両派がそれぞれ独自に結成した同盟も解体され、スイスの政治的分裂も回避された[3] [1] [6]

その後スイスではジュネーヴジャン・カルヴァンが現れ、カルヴァン派が成長した。一方、カッペルの和議はカトリックに有利であったため、17世紀のフィルメルゲン戦争[7] の遠因になった[1] [8]

脚注

[編集 ]

注釈

[編集 ]
  1. ^ 当時のスイスは「邦(オルト、Orte)」と呼ばれる13の勢力が盟約を結んで構成されていた(スイス13邦)[4] 。このうちチューリッヒベルンバーゼルシャフハウゼンの4邦と、これらの邦の従属邦であるザンクト・ガレンビールミュールハウゼン、それにドイツ南西部の帝国都市が加わってキリスト教都市同盟(: Christliche Burgrechte: Christian Civic Unions)を結んだ[4] [5]
  2. ^ ルツェルンウーリシュヴィーツウンターヴァルデンツークの伝統的な邦と、従属邦から格上げされて自立した新興邦であるフリブールが、ハプスブルク家オーストリアを引き入れてキリスト教連合(: Christliche Vereinigung: Christian Union)を結んだ[4] [5]

出典

[編集 ]
  1. ^ a b c d スイス・ベネルクス史』,pp.72-74
  2. ^ 瀬原義生 (2015, pp. 99–100)
  3. ^ a b 瀬原義生 (2015, pp. 102–107)
  4. ^ a b c U.イム・ホーフ (1997, pp. 70–71)
  5. ^ a b U.イム・ホーフ (1997, pp. 86–88)
  6. ^ U.イム・ホーフ (1997, pp. 88–89)
  7. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『フィルメルゲン戦争』 - コトバンク
  8. ^ 瀬原義生 (2015, pp. 83–111)

参考文献

[編集 ]

関連項目

[編集 ]

外部リンク

[編集 ]
曖昧さ回避のアイコン
このページは曖昧さ回避のためのページ です。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /