オテル・デ・ザンヴァリッド
- Afrikaans
- العربية
- Asturianu
- Azərbaycanca
- Беларуская
- Български
- বাংলা
- Català
- Čeština
- Deutsch
- Ελληνικά
- English
- Esperanto
- Español
- Eesti
- Euskara
- فارسی
- Suomi
- Français
- Galego
- עברית
- Hrvatski
- Magyar
- Հայերեն
- Bahasa Indonesia
- Italiano
- ქართული
- 한국어
- Lëtzebuergesch
- Bahasa Melayu
- Nederlands
- Norsk nynorsk
- Norsk bokmål
- Occitan
- Polski
- Piemontèis
- پنجابی
- Português
- Română
- Русский
- Scots
- Srpskohrvatski / српскохрватски
- Simple English
- Slovenčina
- Slovenščina
- Српски / srpski
- Svenska
- ไทย
- Türkçe
- Українська
- اردو
- Oʻzbekcha / ўзбекча
- Tiếng Việt
- 中文
オテル・デ・ザンヴァリッド (仏: L'hôtel des Invalides) | |
---|---|
ドーム教会 | |
オテル・デ・ザンヴァリッドの位置(パリ7区内) パリ7区の地図を表示オテル・デ・ザンヴァリッド オテル・デ・ザンヴァリッドの位置(パリ内) パリの地図を表示オテル・デ・ザンヴァリッド | |
情報 | |
構造形式 | バロック建築 |
所在地 | フランスの旗 フランス・パリ7区 |
座標 |
北緯48度51分18秒 東経2度18分45秒 / 北緯48.85500度 東経2.31250度 / 48.85500; 2.31250 (オテル・デ・ザンヴァリッド ( 仏: L'hôtel des Invalides))座標: 北緯48度51分18秒 東経2度18分45秒 / 北緯48.85500度 東経2.31250度 / 48.85500; 2.31250 (オテル・デ・ザンヴァリッド ( 仏: L'hôtel des Invalides)) |
テンプレートを表示 |
オテル・デ・ザンヴァリッド(オテル・デザンヴァリッドとも表記[1] 。1680〜1735年。仏: L'hôtel des Invalides)、通称アンヴァリッド(仏: Les Invalides)は、パリにある旧・軍病院。廃兵院もしくは癈兵院とも書く。
2024年パリオリンピックではアーチェリー会場及びマラソンのゴール地点、自転車ロードレースのスタート地点としても使用された。
概要
[編集 ]1671年にルイ14世が傷病兵を看護する施設として計画し、リベラル・ブリュアン (英語版、フランス語版)[2] が設計の指揮をとり1674年に最初の傷病兵たちが入った。
建築史上有名なのは附属する礼拝堂の建築である。教会(大聖堂)は、"聖ルイ"と称えられるルイ9世の遺体安置のために建設された。教会の建設は1677年に始まり、後に兵士の教会とドーム教会に分かれ、ブリュアンの弟子ジュール・アルドゥアン=マンサールのもとで1706年に完成した。
オルレアン朝(1830-1848年)時代、ルイ・フィリップ国王により、ドーム教会に地下墓所が設けられ、ナポレオン・ボナパルト(フランス 皇帝ナポレオン1世)の柩が中央に置かれた[3] 。また、それを囲むようにして、ナポレオンの親族やフランスの著名な将軍の廟が置かれている。
21世紀当初において、100人ほどの戦傷病兵や傷痍軍人が暮らしている。一部はフランス軍事博物館として公開されている。
アンヴァリッドに廟が置かれている著名人
[編集 ]- ルイ14世関係者
- フランス革命関係者
- ルージェ・ド・リール (1760 - 1836) - フランスの国歌ラ・マルセイエーズの作者
- ナポレオン関係者
- ナポレオン・ボナパルト (1769 - 1821)
- ナポレオン2世 (1811 - 1832) - ナポレオンの長男
- ジョゼフ・ボナパルト (1768 - 1844) - ナポレオンの兄
- ジェローム・ボナパルト (1784 - 1860) - ナポレオンの末弟
- アンリ・ガティアン・ベルトラン (1773 - 1844) - ナポレオンの最側近の軍人
- ジャン=バティスト・ジュールダン(1762 - 1833) - 革命戦争期に活躍した帝国元帥
- 近現代以降
- フォッシュ (1851 - 1929) - 第一次大戦時の将軍
- フィリップ・ルクレール (1902 - 1947) - 第二次大戦時の将軍
施設
[編集 ]- 開園時間
- 博物館は毎日午前 10 時から午後 6 時まで開館している。[4]
見取り図
[編集 ]ギャラリー
[編集 ]-
ナポレオンの棺
-
アンヴァリッド全景
-
アンヴァリッド全景
-
アレクサンドル3世橋から見たアンヴァリッド
-
アンヴァリッド正面
-
中庭(La cour d'honneur)
-
中庭の夜景
-
アンヴァリッドの聖ルイ教会(サン=ルイ教会)。隣接するナポレオンの棺の場所と併せて"ドーム教会"と呼ばれる。
脚注
[編集 ]- ^ 佐藤達生『新装版 図説 西洋建築の歴史』河出書房新社、2022年、80頁。
- ^ サルペトリエール病院等を設計した。
- ^ 『パリ まっぷるマガジン 海外』昭文社、2016年、19頁。ISBN 978-4-398-28129-6。
- ^ "Les Invalides in Paris" (2023年1月7日). 2023年2月26日閲覧。
関連項目
[編集 ]政治指導者の遺体保存施設 | |
---|---|
現存 | オテル・デ・ザンヴァリッド(ナポレオン・ボナパルト)- ムハンマド5世廟 - アタテュルク廟 - ジンナー廟 - ブットー廟 (英語版) - ムジブル・ラフマン廟 (英語版) - ジアウル・ラフマン廟 (英語版) - ニヤゾフ廟 (ロシア語版) - カリモフ廟 (ロシア語版) - ブルギーバ廟 (英語版) - ホメイニー廟 - アサド廟(ハーフィズ・アル=アサド) - 中山陵(孫文) - レーニン廟 - ホー・チ・ミン廟 - 毛主席紀念堂(毛沢東)- 錦繍山太陽宮殿(金日成 - 金正日)- アゴスティニョ・ネト廟 (ポルトガル語版) - カラカス革命博物館 (スペイン語版)(ウゴ・チャベス) - 花の家 (英語版)(ヨシップ・ブロズ・チトー) - ベネズエラ国立祠堂 (英語版)(シモン・ボリバル) - ブエノスアイレス・メトロポリタン大聖堂 (英語版)(ホセ・デ・サン・マルティン) - ラパス・平和の聖母大聖堂 (英語版)(アンドレス・デ・サンタ・クルス)- パラグアイ国立英雄祠堂 (スペイン語版)(カルロス・アントニオ・ロペス - フランシスコ・ソラーノ・ロペス) - ペルー独立英雄祠堂 (スペイン語版) - メキシコ独立記念碑(ミゲル・イダルゴ)- メキシコ革命記念塔 - 祖国の祭壇 (スペイン語版)(ベルナルド・オイギンス) - ブラジル独立記念碑 (ポルトガル語版)(ペドロ1世) - エンクルマ記念碑 (英語版) - アスタナ・ギリバングン(スハルト) |
仮安置 | 慈湖陵寝(蔣介石) - 大渓陵寝(蔣経国) - ヤーセル・アラファートの墓 |
廃止 | ゲオルギ・ディミトロフ廟 (英語版) - ヴィトコフ国立記念碑 (英語版)(クレメント・ゴットワルト) - スフバートル廟 - カロル公園 (英語版)(ゲオルゲ・ゲオルギュ=デジ)- フェルディナンド・E・マルコス大統領センター(フェルディナンド・マルコス)- 戦没者の谷(フランシスコ・フランコ) |
この項目は、フランスに関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フランス)。