エルズワース・ケリー
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Ellsworth Kelly | |
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2008年2月9日、LACMA(通称:ラクマ、ロサンゼルス郡立美術館)内ブロード現代美術館開館催しに到着したエルズワース・ケリー | |
生誕 |
(1923年05月31日) 1923年 5月31日 ニューヨーク州 ニューバーグ |
死没 | (2015年12月27日) 2015年 12月27日(92歳没) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
教育 |
プラット・インスティテュート パリ国立高等美術学校 ボストン美術学院 (英語版) |
著名な実績 | 絵画、彫刻、版画 |
受賞 | 高松宮殿下記念世界文化賞 |
影響を受けた 芸術家 |
アンリ・マティス パブロ・ピカソ ロマネスク美術およびビザンティン美術 シュルレアリスム ネオ・プラスティシズム |
エルズワース・ケリー(Ellsworth Kelly、1923年 5月31日 - 2015年 12月27日)は、20世紀〜21世紀のアメリカの画家。
ケリーは1923年ニューヨーク州 ニューバーグにて、保険会社の幹部をしていた父と元学校教師の母のもとに三兄弟の次男として生まれた[1] 。彼が生まれてすぐの頃に一家はニュージャージー州に引っ越し、以後も同州内で毎年引っ越しを繰り返した。彼は10代まで若干吃音気味だったと語っている[1] 。
第二次世界大戦中はゴースト・アーミーの隊員として戦術的欺瞞作戦の展開に携わる。戦後はボストン・ミュージアム・スクールに学んだ。その後、1948年から6年間はフランスに滞在し、ハンス・アルプ、ブランクーシらの影響を受け、コラージュやレリーフの作品を制作していた。
1954年アメリカへ戻り、1956年、ニューヨークのパーソンズ (英語版)画廊で初の個展を開催した。1963年のカッセルのドクメンタ、1966年のヴェネツィア・ビエンナーレにも出品している。
第二次大戦後の抽象表現主義の作家のなかで、いわゆる「ハード・エッジ (英語版)」(色面の輪郭が目立つ作風)の代表的な作家と見なされる。くっきりとした幾何学的形態の色面、色相対比を意識した色の組み合わせ、変形キャンヴァスの使用などにより、形態と色彩という絵画の根本的要素のもたらす視覚的効果を追求している。彫刻作品もある。
2015年12月27日死去[2] 。92歳没。
代表作
[編集 ]- 青・緑・赤(1962-63)(メトロポリタン美術館)
- 緑・青・赤(1964)(ニューヨーク、ホイットニー美術館)
出典
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ a b Goossen, E.C. Ellsworth Kelly, Greenwich, CT: New York Graphic Society, 1973.
- ^ 世界文化賞受賞者の画家、エルズワース・ケリーさん死去 92歳 「ハード・エッジ派」の代表的存在 産経新聞 2015年12月28日閲覧
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