エリーザベト・ルドヴィカ・フォン・バイエルン
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エリーザベト・ルドヴィカ・フォン・バイエルン Elisabeth Ludovika von Bayern | |
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プロイセン王妃 | |
在位 | 1840年 6月7日 - 1861年 1月2日 |
出生 |
1801年 11月13日 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領、ミュンヘン |
死去 |
(1873年12月14日) 1873年 12月14日(72歳没) ドイツの旗 ドイツ帝国 ザクセン王国の旗 ザクセン王国、ドレスデン |
埋葬 |
1873年 12月21日 ドイツの旗 ドイツ帝国 プロイセン王国の旗 プロイセン王国、ポツダム、サンスーシ公園 |
結婚 | 1823年 11月29日 |
配偶者 | プロイセン王 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 |
家名 | ヴィッテルスバッハ家 |
父親 | バイエルン王 マクシミリアン1世 |
母親 | カロリーネ・フォン・バーデン |
宗教 | カトリック→プロテスタント |
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エリーザベト・ルドヴィカ・フォン・バイエルン(ドイツ語: Elisabeth Ludovika von Bayern, 1801年 11月13日 - 1873年 12月14日)は、プロイセン王 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の妃。
生涯
[編集 ]バイエルン王 マクシミリアン1世とその2度目の妃カロリーネ・フォン・バーデンの間に生まれる。双子の姉妹にザクセン王妃アマーリエ・アウグステがいる。
1823年に再従兄(祖母同士が姉妹)のプロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムと結婚したが、その際にカトリックからプロテスタントに改宗している。
2人の間に子は生まれず、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の崩御後、その弟ヴィルヘルム1世がプロイセン王位を継承した。王太后エリーザベト・ルドヴィカは、ドイツ統一後の1873年 12月14日に崩御した。
ギャラリー
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アマーリエと(1820年代画)
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制作時期不明(シュティーラー画)
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60歳頃(1861年撮影)
関連項目
[編集 ]- オーストリア大公妃ゾフィ― - 同母妹。オーストリア大公 フランツ・カール妃(オーストリア皇帝 フランツ・ヨーゼフ1世、メキシコ 皇帝 マクシミリアンの母)
- ルドヴィカ・フォン・バイエルン - 同母妹。バイエルン公 マクシミリアン妃(オーストリア皇后エリーザベト、両シチリア王妃マリーア・ソフィアの母)
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