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ウィリアム・レンショー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリアム・レンショー
William Renshaw
ウィリアム・レンショー
基本情報
フルネーム William Charles Renshaw
愛称 Willie
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身地 イングランド・レミントン
生年月日 (1861年01月03日) 1861年 1月3日
没年月日 (1904年08月12日) 1904年 8月12日(43歳没)
死没地 イングランド・スワネージ
身長 177cm
利き手
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 1983年
生涯獲得賞金 値なし
4大大会最高成績・シングルス
全英 優勝(1881-86・89)
優勝回数 7(英7)
4大大会最高成績・ダブルス
全英 優勝(1884-86・88-89)
優勝回数 5(英5)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位

ウィリアム・レンショー(William Renshaw, 1861年 1月3日 - 1904年 8月12日)は、イングランドレミントン出身の男子テニス選手。フルネームはウィリアム・チャールズ・レンショー (William Charles Renshaw) という。1880年代に活躍し、黎明期のウィンブルドン選手権に「6連覇」を達成した選手として知られる。ウィンブルドン優勝7回は、ピート・サンプラス、ノバク・ジョコビッチと並んで歴代2位。1925年ビル・チルデンに抜かれるまではグランドスラム優勝回数歴代1位タイ記録を保持していた。

双子の兄であるアーネスト・レンショーもテニス選手で、兄弟でウィンブルドン選手権のシングルス優勝を争ったり、ダブルスでペアを組んで活躍した。ウィリアムは愛称の「ウィリー」 (Willie) で呼ばれることも多かった。

経歴

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1861年 1月3日イングランドのレミントンにあるレンショー家で双子の兄弟が誕生した時、先にアーネストが生まれ、15分後に弟のウィリアムが生まれた。世界最古のテニス・トーナメントであるウィンブルドン選手権は、1877年に第1回大会が行われた。双子の兄弟は1880年、19歳の時にウィンブルドン選手権のダブルスで初優勝し、以後7勝を記録する。1881年、20歳のウィリアム・レンショーは第5回大会の男子シングルス優勝者になった。当時の競技システムは、現在とは大きく異なっていた。まず「チャレンジ・ラウンド」(挑戦者決定戦)が行われ、大会前年優勝者を除くほかの選手たちがトーナメントを戦い、それを制した選手が前年優勝者と決勝を戦う「オールカマーズ・ファイナル」で優勝を決定していた。ウィリアム・レンショーは初優勝の時、チャレンジ・ラウンドの決勝でリチャード・リチャードソンを 6-4, 6-2, 6-3 で破り、オールカマーズ・ファイナルでは前年優勝者のジョン・ハートリーを 6-0, 6-1, 6-1 のストレート(試合時間37分)で圧倒した。

それから、ウィリアム・レンショーは前年優勝者としてチャレンジ・ラウンドの勝者を待つ立場に変わる。1882年1883年は、挑戦者は双子の兄のアーネスト・レンショーで、1884年-1886年の3年連続でハーバート・ローフォードの挑戦を退けた。こうしてウィリアム・レンショーはウィンブルドン選手権の男子シングルスに大会「6連覇」を達成したが、その後テニス・エルボー(テニス肘)を患い、1887年の大会出場を断念する。チャレンジ・ラウンドに戻ったウィリアム・レンショーは、1888年は準々決勝でウィロビー・ハミルトン(アイルランド)に敗れ、予想外の早期敗退を喫した。1889年のチャレンジ・ラウンドで、レンショーは決勝でハリー・バーロウに苦戦し、第4セットと第5セットの窮地から大逆転の末 3-6, 5-7, 8-6, 10-8, 8-6 で勝利を収める。3年ぶりに戻ってきたオールカマーズ・ファイナルで、ウィリアムは1888年の優勝者であった兄のアーネストを 6-4, 6-1, 3-6, 6-0 で破り、3年ぶり「7度目」の優勝を飾った。しかし1890年の大会では、挑戦者のウィロビー・ハミルトンに 8-6, 2-6, 6-3, 1-6, 1-6 のフルセットで敗れ、それ以後はもう優勝できなかった。29歳まで、10年間におよぶ君臨期間であった。

しかし、レンショー兄弟は2人とも早逝する。1899年 9月2日に兄のアーネストが38歳で亡くなり、弟のウィリアムもその5年後、1904年 8月12日に43歳で死去した。

それから77年後の1981年に、ウィリアム・レンショーの名前がテニスファンの話題として復活する。1976年から1980年までウィンブルドンの男子シングルスに「5連覇」していたビョルン・ボルグが、昔のレンショーの6連覇に並ぶかどうかに期待がかけられたが、1981年の決勝戦でジョン・マッケンローに 6-4, 6-7, 6-7, 4-6 で敗れ、大会6連覇の記録を逃したのである。オールカマーズ・ファイナルの時代に成し遂げられたレンショーの記録と、すべての選手が1回戦からトーナメントを戦う現行の方式でなされたボルグの記録とでは、条件の違いは明らかだった。しかし、あくまでも数字の記録上においては、ウィンブルドンの男子シングルス連覇記録はレンショーがトップになる。(女子シングルスでは、1987年マルチナ・ナブラチロワが6連覇を達成した。)1983年、レンショー兄弟は揃って国際テニス殿堂入りを果たす。2017年ウィンブルドンで、ロジャー・フェデラーが5年ぶり「8度目」の男子シングルス優勝を果たし、ウィリアム・レンショーを抜き優勝回数の歴代単独1位となった。

ウィンブルドン選手権の成績

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  • 男子シングルス優勝:1881年-1886年・1889年 [大会6連覇を含む7勝]
  • 男子ダブルス優勝:1880年・1881年・1884年-1886年・1888年・1889年 [総計7勝。すべてアーネストとのペア]

参考文献

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  • Lance Tingay, "100 Years of Wimbledon" (ウィンブルドンの100年史) Guinness Superlatives Ltd., London (1977) ISBN 0-900424-71-0 24-28ページまでの第2章が"The Renshaws"(レンショー兄弟の時代)という題名になっている。

外部リンク

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記録
先代
イギリスの旗 ジョン・ハートリー
グランドスラム最多タイトル獲得
1883年7月16日 – 1925年9月19日
次代
アメリカ合衆国の旗 ビル・チルデン
イギリスの旗 ウィンブルドン(1877–1967)男子シングルス優勝者
イギリスの旗 ウィンブルドン(1884–1967)男子ダブルス優勝者

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