アレクサンドル・クリモフ
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アレクサンドル・イグナティエヴィチ・クリモフ | |
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生誕 | (1898年09月12日) 1898年 9月12日 |
出身地 | ロシア帝国の旗 ロシア帝国,コスタナイ |
死没 | (1974年01月01日) 1974年 1月1日(75歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者 |
アレクサンドル・イグナティエヴィチ・クリモフ(露: Александр Игнатьевич Климов;英語: Alexandr Ignatievich Klimov、1898年 9月12日(ユリウス暦8月30日) コスタナイ(現カザフスタン) - 1974年 レニングラード)はソビエト連邦の指揮者。
概要
[編集 ]キエフ大学哲学部で学び1925年に卒業した後、1928年までキエフ音楽・演劇学校でヴァレリアン・ベルジャーエフに師事する。卒業後、キエフで短期間教職に就いた後、ティラスポリ(1931年 - 1933年)、スターリノ(1933年)、サラトフ(1934年 - 1937年)、ハルキウ(1937年 - 1940年)、オデッサ(1940年 - 1941年)の各都市で指揮活動を行う。大祖国戦争による疎開中は、ウクライナ交響楽団やタジク共和国歌劇場の指導を行う。戦後はオデッサ・オペラ・バレエ劇場指揮者及びオデッサ音楽院教授に迎えられ、1948年から1954年まではキエフ音楽院の校長を務めた。1954年からキエフ・オペラ・バレエ劇場の首席指揮者を務めた後、1961年、レニングラードのキーロフ歌劇場の首席指揮者に迎えられ1967年まで務めた[1] 。
1974年にレニングラードで死去。
受章
[編集 ]- レーニン勲章(1960年11月24日)
家族・親族
[編集 ]- 妻は、ハープ奏者のZinaida Omelyanivna Shekhovtsova-Klimova(1914-?)
- 息子はヴァイオリニストのヴァレリー・クリモフであり、第1回チャイコフスキーコンクール(1958)の受賞者。
脚注
[編集 ]マリインスキー劇場芸術監督 | |
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