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アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン

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(2021年10月)
アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン
Agnes von Waiblingen

出生 1072年
死去 1143年 9月24日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国クロスターノイブルク
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国クロスターノイブルク修道院
配偶者 シュヴァーベン大公 フリードリヒ1世
  オーストリア辺境伯 レオポルト3世
子女 本文参照
家名 ザーリアー家
父親 神聖ローマ皇帝 ハインリヒ4世
母親 ベルタ・ディ・サヴォイア
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アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン(ドイツ語:Agnes von Waiblingen、1072年 - 1143年 9月24日)はザーリアー朝の皇族。神聖ローマ皇帝 ハインリヒ4世と、サヴォイア伯 オッドーネの娘ベルタとの間に生まれた娘。ハインリヒ5世の姉。

子女

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1089年シュヴァーベン大公 フリードリヒ1世と結婚し、11人の子女をもうけた。

1105年にフリードリヒ1世が死んだあと、アグネスはオーストリア辺境伯 レオポルト3世と再婚し、11人の子供をもうけた。

『クロスターノイブルク年代記』続編によれば、アグネスはこの他7人の子供を持ったが、死産ないし夭折によって亡くしている。

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