アウン・ナイン
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曖昧さ回避
この項目では、ミャンマーの軍医、駐日大使、在カンボジア大使について説明しています。ミャンマーの投資・対外経済関係大臣 (ビルマ語版、英語版)については「アウン・ナイン・ウー」をご覧ください。
ウ・アウン・ナイン[1] (ビルマ語: ဦးအောင်နိုင် U Aung Naing、1947年 - 2008年 10月8日)は、ミャンマーの軍医、外交官。元駐日大使、元在カンボジア大使。妻は元教育者の慈善活動家で敬虔な仏教徒のドー・アイ・ミ [2] 。
経歴
[編集 ]アウン・ナインは軍医として28年間にわたって奉職した後、外交界に転身[2] 。軍医時代には、タン・シュエ 上級大将の主治医を務めたこともある[3] 。
1999年12月24日、皇居で天皇 明仁(当時。令和時代の上皇)に信任状を捧呈し、駐日大使として正式に就任[4] 。この年は4月22日に別の駐日ミャンマー大使が信任状を捧呈したばかりだが[4] 、前任者キン・マウン・ティンは軍政幹部より「おしゃべりが過ぎて外交官として不適格」との理由で解任されている[5] 。2003年12月14日、次期駐日大使にソウ・フラ・ミンが指名された[6] 。
駐日大使を務め上げた後、2004年より在カンボジア大使[3] 。2007年12月にテイン・セイン 首相がカンボジアを訪問した際には、フン・セン 首相を筆頭とするカンボジアの要人と共にアウン・ナイン大使とドー・アイ・ミ夫人もテイン・セイン首相を迎接している[7] 。
2008年10月8日、大使在任中のままカンボジアで亡くなった[3] [8] 。
インタビュー
[編集 ]- 株式会社重化学工業通信社『アジア・マーケットレヴュー 2003年3月1日 Vol.15 No.4』pp.14-16 所収「潜在能力秘めた資源大国ミャンマー――「未開の大国」、「陸と海のアジアの交差点」 アウンナイン駐日ミャンマー連邦大使」[9]
出典・脚注
[編集 ]- ^ 「ウ」(ビルマ語: ဦး U)は年配の男性に付ける敬称なので、ミャンマー国外では省略されることも多い。
- ^ a b Daw Aye Mi | The Japan Times (英語)
- ^ a b c Burmese Ambassador to Cambodia Dies | Khmerization (英語)
- ^ a b 信任状捧呈式(平成11年) - 宮内庁
- ^ NEWS-Myanmar Ambassador to Japan was dismissed (英語)
- ^ Burmese PM meets Japanese House of Representatives members, officials (英語)
- ^ Cambodian Prime Minister welcomes Prime Minister General Thein Sein and party | The New Light of Myanmar, p.8 (英語)
- ^ In brief: Myanmar ambassador dies | Phnom Penh Post (英語)
- ^ 潜在能力秘めた資源大国ミャンマー--「未開の大国」、「陸と海のアジアの交差点」 アウンナイン駐日ミャンマー連邦大使 : 2003年03月01日|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
公職 | ||
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先代 ソウ・フラ・ミン |
ミャンマーの旗 在カンボジアミャンマー大使 カンボジアの旗 2004年 - 2008年 |
次代 ウィン・シェイン |
先代 キン・マウン・ティン |
ミャンマーの旗 駐日ミャンマー大使 日本の旗 1999年 - 2003年 |
次代 ソウ・フラ・ミン |