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ひとりで生きてゆければ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「ひとりで生きてゆければ」
オフ・コース シングル
初出アルバム『SONG IS LOVE
B面 あいつの残したものは
リリース
規格 7"シングルレコード
録音 1976年2月26日 – 29日 (1976年02月26日 – 1976年02月29日)
ジャンル ポップス
ロック
フォーク
レーベル EXPRESS ⁄ 東芝EMI
ETP-20259
作詞・作曲 小田和正 (ひとりで生きてゆければ)
鈴木康博 (あいつの残したものは)
プロデュース 武藤敏史
小田和正
鈴木康博
オフ・コース シングル 年表
  • ひとりで生きてゆければ
  • (1976年 (1976))
SONG IS LOVE 収録曲
SIDE A
  1. ランナウェイ
  2. ピロートーク
  3. こころは気紛れ
  4. ひとりで生きてゆければ
  5. ひとりよがり
  6. 青春
SIDE B
  1. めぐる季節
  2. おもい違い
  3. 青空と人生と
  4. 恋はさりげなく
  5. 冬が来るまえに
  6. 歌を捧げて
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ひとりで生きてゆければ」(ひとりでいきてゆければ)は、1976年 5月5日に発売されたオフコース(当時の表記はオフ・コース)通算8枚目のシングル

解説

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「ひとりで生きてゆければ」はアルバム『SONG IS LOVE[注 1] に収録されるが、アルバム収録曲と同内容。この曲は後に小田がシングル「遠い海辺[注 2] のカップリング曲としてセルフ・カヴァーしているが、歌詞が一部書き換えられている。ベスト・アルバム自己ベスト-2[注 3] 収録に際し、再び元の歌詞に戻された。

このシングルより、プロデューサー武藤敏史の紹介で、武藤が以前ディレクターを担当していた"ザ・ジャネット"の元メンバー大間ジローがレコーディングに初めて参加した。そして発売日の1976年5月5日、オフコースに加入する。1975年12月、渋谷ジァン・ジァン、新宿ルイードでのコンサートをもって解散したザ・ジャネットは、最大の理解者だった武藤にとって、彼が初めて一から育て上げたミュージシャンだった。彼らの道が開けるように尽力したが及ばず、解散を思い留まらせることもできなかった。特に大間と松尾一彦の力を評価していた武藤は、彼らが再び音楽をできる場を掴めるように望んでいた。1976年 2月25日、その頃喫茶店やスナックで昼夜掛け持ちのアルバイトをしていた大間を久しぶりに誘った酒の席で、武藤は彼を明日行われるレコーディングに誘った。「俺、叩くなら無理ですよ。ロックンロールしか叩けないし、いろんなことできないから」と渋る大間に武藤は「いいから、とにかくスティックだけ持って、来い」と言った。翌日、東芝EMIスタジオに来た大間に武藤は「わからないことがあったら何でも、小田さん、鈴木さんに聞けばいい」と言い、鈴木の曲(「あいつの残したものは」)を一曲目、二曲目に小田の曲(「ひとりで生きてゆければ」)をそれぞれレコーディングした[1] 。武藤によれば「この曲は『歌を捧げて』や『老人のつぶやき』のような静かな曲の系統に近いが、その中に新鮮なビートもあり、彼らの多様な音楽的な側面のうち、"静"の傾向の曲を代表するもの、その真髄を示す曲だといえるとも思うし、僕の大好きな曲のひとつでもある」[2] と振り返っている。また、大間の加入については「この曲のレコーディングからドラムの大間ジローが参加していることも、オフコース史のひとつのエポックになったと言えると思う。僕も小田、鈴木の両氏も常々、レコーディングのたび考えていたことなのだが、『ハイ、やりましょう』と言ってスタジオ・ミュージシャンが入って来て音を録る。そして終わったら『お疲れさま』と言って別れるというのじゃ、音楽を創造する人間としてはあまりに寂しい話じゃないだろうか。やはり作者の意図を充分に汲みとって、より完全な表現をしてもらうためには、普段から人間的な面での付き合いもあるミュージシャンの方がいいし、さらにステージでいつも一緒に演奏してくれるミュージシャンが必要でなかろうかと...。そのための第一弾として、僕が(大間)ジローを紹介し、オフコースに加入する橋渡しをしたわけである」[2] と当時を振り返っている。

「あいつの残したものは」は、「ひとりで生きてゆければ」と同じセッションでレコーディングされたが、このシングルのみでの収録曲。歌詞は、アルバム『ワインの匂い[注 4] 収録曲「あれから君は」の後日談のような内容になっている。

ジャケット裏面には両曲の歌詞と「ひとりで生きてゆければ」の楽譜が掲載されているほか、現在は非喫煙者の小田がタバコを手にしている写真が使われている[注 5]

収録曲

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SIDE A

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  1. ひとりで生きてゆければ (3'42")
    作詞・作曲 : 小田和正、編曲 : オフ・コース、歌 : オフ・コース

SIDE B

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  1. あいつの残したものは (3’20")
    作詞・作曲 : 鈴木康博、編曲 : オフ・コース、歌 : オフ・コース
    アルバム未収録曲

参加ミュージシャン

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ひとりで生きてゆければ

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スタッフ

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カヴァー

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ひとりで生きてゆければ

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アーティスト 収録作品(初出のみ) 発売日 生産番号
SALT&SUGAR 21世紀への贈りもの 1999年 11月10日 CD:WPCV-10044

脚注

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注釈

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  1. ^ SONG IS LOVE1976年 11月5日発売 EXPRESS ⁄ 東芝EMI LP:ETP-72212
  2. ^ 遠い海辺1997年 5月21日発売 Little Tokyo ⁄ ファンハウス SCD:FHDL-1105
  3. ^ 自己ベスト-22007年 11月28日発売 Little Tokyo ⁄ BMG JAPAN CD:FHCL-2024
  4. ^ ワインの匂い1975年 12月20日発売 EXPRESS ⁄ TOSHIBA EMI LP:ETP-72123
  5. ^ 自著『キャディ』(1994年 3月25日 スタジオシップ刊)によれば、禁煙したのは29歳のとき。

出典

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  1. ^ 『オフコースの道 はじめの一歩(1)』株式会社サンリオ、1983年、191-207頁。全国書誌番号:84007237 
  2. ^ a b 『オフコース / Three and Two』株式会社八曜社、1979年、235-239頁。 

外部リンク

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シングル
エキスプレス ⁄ 東芝EMI
(1969年 (1969) – 1982年 (1982))
エキスプレス ⁄ ファンハウス
(1984年 (1984))
ファンハウス
(1985年 (1985) – 1989年 (1989))
ボックス・セット
アルバム
オリジナル
エキスプレス ⁄ 東芝EMI
エキスプレス ⁄ ファンハウス
ファンハウス
ベスト
公認
非公認
ライブ
ボックス・セット
映像作品
  • NEXT VIDEO PROGRAM(1982年11月21日 (1982年11月21日))
  • Off Course 1982・6・30 -Concert in Budokan-(1983年4月21日 (1983年04月21日))
  • Movie The Best Year of My Life(1984年12月1日 (1984年12月01日))
  • RUNNING THROUGH '84(1985年4月 (1985-04))
  • OFF COURSE TOUR 1987 as close as possible(1987年11月25日 (1987年11月25日))
  • Off Course 1969-1989 Digital dictionary(2001年9月26日 (2001年09月26日))
  • 若い広場 オフコースの世界 1981.Aug.16〜Oct.30(2002年1月30日 (2002年01月30日))
  • Off Course 1982年6月30日 武道館コンサート(2007年6月27日 (2007年06月27日))
関連人物
関連項目
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