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肝付兼興

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(2019年2月)
 
肝付兼興
時代 戦国時代
生誕 明応元年(1492年)
死没 天文2年4月5日(1533年 4月29日)
別名 通称:又八郎
官位 河内 兵部少輔
幕府 室町幕府
氏族 肝付氏
父母 父:肝付兼久
兄弟 兼興兼親(兼執)、頴娃兼洪
正室:島津忠朝養女(島津久盈)
兼続 入来院重嗣正室、島津貴久正室
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肝付 兼興(きもつき かねおき)は、戦国時代武将肝付氏15代当主。大隅国 高山城主。

略歴

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明応元年(1492年)、14代当主・肝付兼久の子として生まれる。大永3年(1523年)、父の死去により家督を継ぐ。

薩摩国島津氏とは縁戚関係を結んでいたが、大永4年(1524年)、島津氏の分家である「豊州家」の岳父・島津忠朝から同族北原氏の居城であった大隅の串良城を奪還した。その後、居城を高山城に移し、島津氏と幾度も抗争して勢力拡大に努めたが、天文2年(1533年)に死去。享年42。

死後、子・兼続と兼興の弟・兼親(兼執)の間で家督争いが起こり、兼続が勝利して相続することとなる。

大隅肝付氏15代当主(1523-1533)

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