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池田由孝

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曖昧さ回避 池田よしたか」、「池田慶栄」、「池田佳隆」、「池田幹幸」、あるいは「池田禎孝」とは別人です。
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(2020年9月)
 
池田 由孝
時代 江戸時代前期
生誕 寛永18年10月2日(1641年 11月4日)
死没 元禄9年11月14日(1696年 12月8日)
改名 通称は主水。初名は由昌。は由孝、由方、成方。
墓所 天城池田家墓所(岡山県 倉敷市)
幕府 江戸幕府
備前 岡山藩
氏族 池田氏天城池田家
父母 池田由成、上月三郎右衛門の娘
兄弟 由貞由有由孝、千子(池田直長室)、百子(岡田元昌室)、夏子(池田信成室)、益子(栗津元房室)、熊子(大石良昭室)
正室:斎藤九右衛門の娘・光
由勝 由道、竹子(岡田元豊室)、本子(土肥忠平室)
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池田 由孝(いけだ よしたか)は、江戸時代前期の岡山藩家老天城池田家3代当主。

生涯

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寛永18年(1641年)、岡山藩家老・池田由成の三男として生まれる。寛文4年(1664年)、幕府の証人(人質)として江戸に下る。同年知行1,000石を賜る。寛文5年(1665年)7月、大名証人制度が廃止されたため、許されて岡山に戻る。寛文8年(1668年)2月に兄・由有が死去したため嫡男となり、同年7月1日、父の隠居に伴い家督と知行3万2,000石を相続し、備前 天城邑主となる。

門閥家老として津田永忠と激しく対立し、その排除を諫言書をもって藩主 綱政に訴えた。

元禄9年(1696年)11月14日、天城で没した。享年56。家督は嫡男由勝が相続した。

赤穂事件で知られる大石良雄(大石内蔵助)は、姉熊子の子で甥にあたる。

参考文献

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  • 『池田老臣累記』
  • 『備前家老略伝』
池田由孝夫妻の墓
備前蝶紋 天城池田家3代当主(1668年 - 1696年)

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