六連町
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
六連町 | |
---|---|
六連町の位置(愛知県内) 六連町 六連町 六連町の位置 | |
北緯34度39分2.45秒 東経137度19分8.51秒 / 北緯34.6506806度 東経137.3190306度 / 34.6506806; 137.3190306 | |
国 | 日本の旗 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 田原市 |
面積 | |
• 合計 | 7.172843 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,723人 |
• 密度 | 240人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
441-3413[3] |
市外局番 | 0531(田原MA)[4] |
ナンバープレート | 豊橋 |
ウィキメディア・コモンズには、六連町 に関連するカテゴリがあります。
六連町(むつれちょう)は、愛知県 田原市の地名。100の小字が設置されている。
地理
[編集 ]旧田原町東部に位置する[5] 。東は豊橋市、北は谷熊町に接する[5] 。
字一覧
[編集 ]字名は以下の通りである[6] 。
- 相生(あいおい)
- 赤石里(あかじゃり)
- 雨堤(あまづつみ)
- 新谷(あらや)
- 新谷前(あらやまえ)
- 一本木(いっぽんぎ)
- 居屋敷(いやしき)
- 居屋良(いやら)
- 大栄(おおさか)
- 大坪(おおつぼ)
- 大平(おおひら)
- 大平子(おおひらこ)
- 大松(おおまつ)
- 奥屋敷(おくやしき)
- 落合(おちあい)
- 落合沢(おちあいざわ)
- 貝場(かいば)
- 神ケ谷(かみがや)
- 神ノ釜(かみのかま)
- 狩拂(かりばらい)
- 雉子山(きじやま)
- 北枯木川(きたかれきがわ)
- 北長山(きたながやま)
- 狐川(きつねがわ)
- 切替(きりかえ)
- 久美原(ぐみはら)
- 栗穴(くりあな)
- 栗穴下(くりあなした)
- 黒福(くろぶく)
- 甲亀(こうがめ)
- 御門尻(ごもんしり)
- 権現山(ごんげんやま)
- 境川(さかいがわ)
- 坂下(さかした)
- 左車(さぐるま)
- 芝元(しばもと)
- 四本松(しほんまつ)
- 昭栄(しょうえい)
- 清三ケ谷(せいざんがや)
- 高尾(たかお)
- 高畑(たかはた)
- 長仙寺境(ちょうせんじざかい)
- 長仙寺前(ちょうせんじまえ)
- 堂下(どうした)
- 百々(どうどう)
- 道盤(どうばん)
- 富山(とみやま)
- 鳥屋ケ崎(とやがさき)
- 中切(なかぎり)
- 中郷中(なかごうなか)
- 中坪(なかつぼ)
- 中浜辺(なかはまべ)
- 中原(なかはら)
- 長山(ながやま)
- 新浜(にいはま)
- 西赤山(にしあかやま)
- 西井戸浦(にしいどうら)
- 西海岸(にしかいがん)
- 西海道(にしかいどう)
- 西海辺(にしかいへん)
- 西郷中(にしごうなか)
- 西大尺(にしたいしゃく)
- 西高尾(にしたかお)
- 西峠(にしとうげ)
- 西ノ川(にしのかわ)
- 西浜田(にしはまだ)
- 西浜辺(にしはまべ)
- 西谷ノ上(にしやのうえ)
- 花水(はなみず)
- 浜田境(はまだざかい)
- 浜辺(はまべ)
- 番場(ばんば)
- 東赤山(ひがしあかやま)
- 東海岸(ひがしかいがん)
- 東海辺(ひがしかいへん)
- 東郷中(ひがしごうなか)
- 東大尺(ひがしたいしゃく)
- 東高尾(ひがしたかお)
- 東峠(ひがしとうげ)
- 東浜田(ひがしはまだ)
- 東浜辺(ひがしはまべ)
- 聖川(ひじりかわ)
- 広表(ひろおもて)
- 前田(まえだ)
- 丸山前(まるやままえ)
- 見沢(みさわ)
- 南枯木川(みなみかれきがわ)
- 南浜辺(みなみはまべ)
- 宮ノ西(みやのにし)
- 宮狭間(みやはざま)
- 向山(むかいやま)
- 焼山(やけやま)
- 弥栄(やさか)
- 谷ノ上(やのうえ)
- 山先(やまさき)
- 山本(やまもと)
- 四ツ谷(よつや)
- 六郎次(ろくろうじ)
- 若宮前(わかみやまえ)
- 脇浜辺(わきはまべ)
歴史
[編集 ]地名の由来
[編集 ]六か村の連合であることに由来する[7] 。
沿革
[編集 ]- 1878年(明治11年) - 渥美郡久美原村・浜田村・百々村・長仙寺村・片神戸村・数原新田の6村が合併し、同郡六連村として成立[7] 。
- 1889年(明治22年) - 旧片神戸村および旧数原新田により相川村大字六連を編成し、残部が改めて町村制による六連村として成立[7] 。
- 1906年(明治39年) - 六連村が合併により、杉山村大字六連となる[7] 。また、相川村大字六連が合併により、田原町大字六連となる[7] 。
- 1955年(昭和30年) - 杉山村大字六連が合併により、田原町大字六連に統合される[7] 。
- 2003年(平成15年) - 市制施行により、田原市六連町となる。
- 2005年(平成17年) - 六連町から相川町が分離[8] 。また、一部が豊島町に統合[8] 。
世帯数と人口
[編集 ]2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2] 。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
六連町 | 405世帯 | 1,723人 |
人口の変遷
[編集 ]国勢調査による人口の推移
学区
[編集 ]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11] 。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[12] 。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
全域 | 田原市立六連小学校 | 田原市立東部中学校 | 三河学区 |
交通
[編集 ]その他
[編集 ]日本郵便
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ "愛知県田原市の町丁・字一覧". 人口統計ラボ. 2016年11月14日閲覧。
- ^ a b c 総務省統計局 (2017年1月27日). "平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等". 2019年3月23日閲覧。
- ^ a b "郵便番号". 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
- ^ "市外局番の一覧". 総務省. 2019年6月10日閲覧。
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1858.
- ^ "Yahoo!地図 愛知県田原市六連町". Yahoo!Japan. 2019年6月18日閲覧。
- ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1319.
- ^ a b "広報たはらNo.583(平成17年4月号)『おしらせ(生活) 住所表示の変更』" (PDF). 田原市. p. 17 (2015年9月4日). 2019年12月16日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). "平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等". 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). "平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等". 2019年3月23日閲覧。
- ^ "小中学校の通学区域". 田原市 (2019年4月18日). 2019年6月17日閲覧。
- ^ "平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について". 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ "郵便番号簿 2018年度版" (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
参考文献
[編集 ]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
北
豊橋市
西 六連町 東
南
スタブアイコン
この項目は、日本の町・字に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:日本の町・字/Portal:日本の町・字)。
愛知県の旗
この項目は、愛知県に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/愛知県)。