伊勢国造
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伊勢国造 | |
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本姓 | 伊勢氏 |
家祖 | 天日別命 |
種別 | 神別(天神) |
出身地 | 大倭国 |
主な根拠地 | 伊勢(のちの伊勢国) |
著名な人物 | #人物参照 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
伊勢国造(いせのくにのみやつこ、いせこくぞう)は、のちに伊勢国となる地域を支配した国造である。
概要
[編集 ]表記
[編集 ]『先代旧事本紀』「国造本紀」に伊勢国造とある。
祖先
[編集 ]- 『先代旧事本紀』「国造本紀」には、神武天皇の御代に天日鷲命を伊勢国造に定めたと伝わる。
- 『伊勢国風土記』逸文には、神武天皇が天日別命 を伊勢に遣わし、伊勢津彦を平定したとされる。子の彦国見賀岐建与束命(伊勢神宮外宮摂社・度会国御神社の祭神)の後裔が伊勢国造という。
氏族
[編集 ]伊勢氏 (いせうじ、姓は直)。後裔は中臣伊勢を氏とし、天平19年(747年)に連姓に、天平宝字8年(764年)に朝臣姓となり、天平神護2年(766年)には伊勢朝臣に改姓された。また、中臣伊勢宿禰の氏姓も見える。伊勢神宮外宮祠官の磯部氏(後の度会氏)も同系統とされる。
本拠
[編集 ]支配領域
[編集 ]国造の支配領域は、北の伊賀国造(伊賀国)、南の島津国造(志摩国)を除く地域であり、かつ伊勢国南部の川俣県造、阿野県造、飯高県造、度会神主などの諸豪族の領域を除いた地域であったと考えられる。そうした場合、河曲郡、鈴鹿郡、三重郡などが国造の領域であったと見られる。
氏神
[編集 ]国造の奉斎社は不明。ただし伊勢国内の天日別命を祭る神社としては桑名宗社 (三重県 桑名市)などがある。
関連神社
[編集 ]墓
[編集 ]系図
[編集 ]『群書類従』に所収されている「豊受太神宮禰宜補任次第」によれば、系図は以下の通りである[1] 。
- 実線は実子、点線は養子。
天嗣桙命
天鈴桙命
天御雲命
彦国見賀岐建与束命
彦多都久禰命
彦楯津命
彦久良為命
爾佐布命
彦和志理命
阿波良波命
乙乃古命
人物
[編集 ]子孫
[編集 ]脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 豊受太神宮禰宜補任次第 No.133『群書類従』「豊受太神宮禰宜補任次第」
関連項目
[編集 ]参考文献
[編集 ] スタブアイコン
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