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ピピン (イタリア王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピピン
Pépin / Pipino
イタリア王
在位 781年 - 810年
戴冠式 781年

出生 777年
フランク王国
死去 810年 7月8日
ミラノ
子女 一覧参照(庶子のみ)
家名 カロリング家
王朝 カロリング朝
父親 カール大帝
母親 ヒルデガルド
宗教 カトリック教会
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ピピン(:Pépin, :Pipino, :Pippinus, 777年 - 810年 7月8日)は、フランク王国の国王カール大帝と王妃ヒルデガルドとの間の次男であり、イタリア王(ランゴバルド王)(在位:781年 - 810年)である。

生涯

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初めの名はカールマンといったが[1] 781年4月14日、教皇ハドリアヌス1世が代父となり洗礼が授けられたとき、父カールによってピピンに改名された[2] 。同年、ピピンはイタリア王となり、教皇ハドリアヌス1世の手により戴冠された[3]

810年、ピピンはミラノにて死去。彼の死後、子供たちはカール大帝のアーヘンの宮廷に引き取られた[4]

子女

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庶出の王子1人と王女5人がいる[5]

  • ベルンハルト(797年 - 818年) - イタリア王(813年 - 818年)、子孫はヴェルマンドワ伯となった。
  • アデライーデ
  • アドゥラ
  • グンドラーダ
  • ベルトラーデ
  • テオドラーダ

脚注

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  1. ^ 五十嵐、p. 134
  2. ^ 五十嵐、p. 81
  3. ^ 五十嵐、p. 83
  4. ^ 五十嵐、p. 209
  5. ^ Settipani, p. 212

参考文献

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  • 五十嵐修『地上の夢 キリスト教帝国 カール大帝の〈ヨーロッパ〉』講談社、2001年
  • Christian Settipani, The Prehistory of the Capetian (New genealogical history of the august house of France, vol. 1), Villeneuve d'Ascq, ed. Patrick van Kerrebrouck, 1993545 p. (ISBN 978-2-95015-093-6) , p. 211-2
  • MEDIEVAL LANDS, "Carloman (Pepin)"(2016年11月20日閲覧)

関連項目

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イタリア王(781年 - 810年)
カロリング朝

カルロ・マーニョ 774-814 / ピピン (父と共治)781-810 / ベルナルド 810/3-818 / ロドヴィコ1世 818-840 / ロターリオ1世 818/22-855 / ロドヴィコ2世 844-875 / カルロ2世 875-877 / カルロマンノ 877-879 / カルロ3世 879-887

諸家対立王

ベレンガーリオ1世 888-894 / グイード 889-894 / ランベルト 891-898 / アルノルフォ 894-899 / ラトルド (父と共治)896 / ベレンガーリオ1世 (復位)896-924 / ロドヴィコ3世 900-905 / ロドルフォ 922-926/33 / ウーゴ 926-947 / ロターリオ2世 945-950

アンスカリ朝

ベレンガーリオ2世 950-961 / アダルベルト (父と共治)950-961/3

ザクセン朝
アンスカリ朝

アルドゥイーノ 1002-1014(1004より対立王)

ザクセン朝
以後、神聖ローマ皇帝参照
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