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ウード1世 (ヴェルマンドワ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウード1世
Eudes Ier
ヴェルマンドワ伯
ヴァロワ伯
在位 1080年 - 1085年

称号 サン=シモン領主
出生 1059年ごろ
死去 1085年以降
配偶者 エドヴィジュ・ド・サン=シモン
家名 ヴェルマンドワ家(エルベール家)
父親 ヴェルマンドワ伯 エルベ―ル4世
母親 アデライード・ド・ヴァロワ
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ウード1世・ド・ヴェルマンドワ(Eudes Ier de Vermandois, 1059年ごろ - 1085年以降)またはオトン2世・ド・ヴェルマンドワ(Otton II de Vermandois)、リンサンセ(l'Insensé, 狂人伯)と称された。ヴェルマンドワ(在位:1080年 - 1085年)及びヴァロワ伯であり、1085年からサン=シモン(フランス語版)領主。カール大帝の次男ピピンの庶子であるイタリア王 ベルナルドの子孫であり、カロリング家直系のエルベール家(フランス語版)最後の人物。

生涯

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ウードはおそらく精神を患っていたとされており、父エルベール4世からヴェルマンドワ伯位の相続人から排除されていたが、1080年に父が亡くなった後、統治権を得てヴェルマンドワ伯となった。

また、ヴァロワ伯ラウル4世の娘であった母アデライード・ド・ヴァロワ(フランス語版)の実家からヴァロワ伯位を受け継いだ。

5年後、貴族議会においてウードから両伯位を剥奪し、姉妹アデライードの夫であるフランス王 アンリ1世の王子ユーグ・ド・ヴェルマンドワに伯位を与えた。

ウードは、ヴェルマンドワの騎士サン=シモン卿の娘エドヴィジュ・ド・サン=シモンと結婚し、妻を通してサン=シモンを手に入れた。その後1085年以降に死去している。

17世紀ルイ13世の寵臣クロード・ド・ルヴロワは、偽の文書で自分がウード1世の子孫であると主張した。その結果、彼と彼の子孫はサン=シモン公を名乗った。

参考文献

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