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赤羽賢司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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曖昧さ回避 この項目では、天文学者について説明しています。声優については「赤羽根健治」をご覧ください。
赤羽 賢司(あかばね けんじ)
生誕 (1926年11月20日) 1926年 11月20日
日本の旗 日本 長野県 東筑摩郡 寿村
(現松本市)
死没 (2015年04月22日) 2015年 4月22日(88歳没)
研究分野 電波天文学
研究機関 東京大学
富山大学
松商学園短期大学
出身校 東京大学
主な受賞歴 紫綬褒章(1989年)
勲二等 瑞宝章(1997年)
プロジェクト:人物伝
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赤羽 賢司(あかばね けんじ、1926年(大正15年)11月20日 - 2015年(平成27年)4月22日)は、日本の天文学者東京大学 名誉教授。専門は電波天文学日本物理学会および電子情報通信学会のフェロー会員。

長野県 東筑摩郡 寿村(現松本市)生まれ。旧姓は青木

略歴

業績

  • 日本最大の電波望遠鏡計画である45mミリ波電波望遠鏡および野辺山ミリ波干渉計(NMA)のプロジェクトマネージャーとして、その実現に尽力した。東京大学教授に昇進してから野辺山宇宙電波観測所長となるまでの13年間は、主にシステム設計や観測機器製造メーカーとの調整に当たっており、多くの弟子が製造機器メーカーに就職するなど、技術者を多数育てた。
  • 理学部出身者の多い東京天文台(現:国立天文台)の中では珍しく工学部出身の技術畑の研究者であり、装置系の設計や観測機器の整備計画などでも多大な業績を残した。ただし、論文が日本語で書かれていたため、その業績は日本国外ではあまり知られていない。
  • 天文台の建設計画では、工程管理を重視して事前の計画通りに建設作業を進め、プロジェクトを成功に導いた(一部、グレゴリアン式の光学系での設計を承認したため、その後に改良などのシステム変更を余儀なくされたことを残念に思っている)。

教え子

赤羽の弟子には川尻矗大 [1] 大師堂経明 [1] 海部宣男 [1] 平林久 [1] 井口哲夫 [1] 稲谷順司 [1] 福井康雄 [1] 長谷川哲夫 [1] 佐藤文男 [1] 加藤隆二 [1] 長井嗣信 [1] 春日隆 [1] 土井恒久 [1] らがいる。

著書

単著

共著

共訳書

  • 『銀河系の彼方』(共立出版)

脚注・出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本の天文学者の系図 - 福江純公式サイト内のページ。
  2. ^ 「97年秋の叙勲受章者勲三等以上の一覧」『読売新聞』1997年11月3日朝刊
  3. ^ 【訃報】赤羽賢司氏=東京大名誉教授 読売新聞 2015年4月24日閲覧
  4. ^ 2015年5月27日官報

参考文献

  • 『アルペン颪 旧制高等学校物語 松本高校編』(財界評論新社 1967年)
学職
先代
松﨑一
松商学園短期大学学長
第8代:1993年 - 1999年
次代
中野和朗

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