コンテンツにスキップ
Wikipedia

池田邦照

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印刷用ページはサポート対象外です。表示エラーが発生する可能性があります。ブラウザーのブックマークを更新し、印刷にはブラウザーの印刷機能を使用してください。
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"池田邦照" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2016年2月)
 
池田邦照
時代 江戸時代前期
生誕 万治元年(1658年)
死没 寛文10年1月28日(1670年 3月19日)
改名 又八郎、邦照
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
播磨 新宮藩
氏族 池田氏(重利流)
父母 池田薫彰戸川正安
兄弟 邦照重教
テンプレートを表示

池田 邦照(いけだ くにてる)は、江戸時代前期の大名播磨国 新宮藩4代(最後の)藩主。下間系池田家4代。

生涯

万治元年(1658年)、3代藩主・池田薫彰の長男として誕生。母は戸川正安の娘。幼名は又八郎。

寛文3年(1663年)に父が早世したため、家督を継いだ。しかし生来病弱で、寛文10年(1670年)1月28日に13歳で死去した。子がなく、弟の重教の相続は許されず、新宮藩は無嗣改易となった。ただし、池田光政光仲の尽力で、重教は3,000石の寄合として存続を許された。

池田氏播磨新宮藩4代藩主 (1663年 - 1670年)

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /