ニコライ・マクシュータ
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印刷用ページはサポート対象外です。表示エラーが発生する可能性があります。ブラウザーのブックマークを更新し、印刷にはブラウザーの印刷機能を使用してください。
ニコライ・マクシュータ Николай Кириллович Максюта | |
---|---|
ニコライ・マクシュータ(2009年撮影) | |
生年月日 | (1947年05月26日) 1947年 5月26日 |
出生地 | ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ウクライナ共和国 キロヴォグラード州 |
没年月日 | (2020年11月01日) 2020年 11月1日(73歳没) |
死没地 | ロシアの旗 ロシア モスクワ |
出身校 | ニコライ造船大学 |
前職 | 造船技師、ヴォルゴグラード州 知事、上院議員 |
サイン | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1997年 1月6日 - 2010年 1月12日 |
テンプレートを表示 |
ニコライ・キリロヴィチ・マクシュータ(ロシア語: Николай Кириллович Максюта、ラテン文字表記の例:Nikolai Kirillovich Maksyuta、1947年 5月26日 - 2020年 11月1日)は、ロシアの政治家。1997年から2010年までヴォルゴグラード州 知事。
生涯
ウクライナ共和国 キロヴォグラード州出身。父、キリル・ダニイロヴィチは、独ソ戦に従軍している。ニコライ造船大学(現在のウクライナ、マカロフ提督記念国立造船大学)で学び、機械技術部門で優秀な成績を修めた。1971年ヴォルゴグラード造船所勤務。1980年代には造船所所長となった。
1995年10月、ヴォルゴグラード市議会議員に当選する。1996年 12月29日ヴォルゴグラード州知事選挙に立候補して50.96パーセントを得票して当選した。知事当選後は、ロシア連邦議会 上院 連邦会議代議員にもなり、予算・財政委員会に所属した。2000年 12月24日ヴォルゴグラード州知事に再選される。一方、上院議員は辞している。2004年 大祖国戦争戦勝60周年記念式典では、モスクワおよびモスクワ州、サンクトペテルブルクの代表とともに実行委員会に名を連ねた。2004年12月、ヴォルゴグラード州知事に三選された。2005年から2006年まで、ロシア連邦国家評議会幹部会員。
2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に感染し、モスクワ近郊の病院に入院していたが、11月1日に死去。73歳没。夫人のアンドレエヴナも別に入院していたが10月8日に死去しており、その臨終に立ち会うことができなかった[1] 。
脚注
- ^ "Бывший губернатор Волгоградской области Максюта умер от коронавируса" (ロシア語). rbc.ru. (20220-11-01). https://www.rbc.ru/society/01/11/2020/5f9e8f2c9a79475b8d4d462e 20220-11-02閲覧。