キングストンタウン
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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キングストンタウン | |
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欧字表記 | Kingston Town |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡(せん馬) |
毛色 | 青毛 |
生誕 | 1976年 8月31日 |
死没 | 1991年 3月22日 |
父 | ブレッチングリー |
母 | エイダハンター |
生国 | オーストラリアの旗 オーストラリア |
生産者 | ウィディン・スタッド |
馬主 | D ヘインズ夫妻/G モンスバラ |
調教師 | トーマス・ジョン・スミス |
競走成績 | |
生涯成績 | 41戦30勝 |
獲得賞金 | 1,605,790オーストラリア・ドル |
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キングストンタウン (Kingston Town) は、オーストラリアの競走馬である。1979年から1982年にかけてオーストラリアの大レースを勝ちまくり、コックスプレート3連覇、AJCダービー、シドニーカップなどG1競走14勝をあげた。オーストラリア競馬の殿堂馬の一頭。
経歴
神経質な気性のためかデビュー戦では最下位に敗れたが、去勢を受けた2戦目から快進撃を始めた。以後は1980年代オセアニア最強馬と呼ばれるまでに成長していく。特に右回りは大の得意で、右回りとなるシドニー開催はデビュー戦こそ負けているものの、1982年のチェルムスフォードステークスで負けるまで一度も負けなかった。対して左回りはあまり得意ではなく、コックスプレートは3連覇を達成しているが、オセアニア最大のレースとされるメルボルンカップは1度も勝つことはできなかった。これは生まれつき足が曲がっていたためと言われている[誰によって? ]。
1983年にはアメリカ遠征を敢行したが、持病であった屈腱炎を悪化させてしまい結局一度も出走することなく引退した。この屈腱炎も足が曲がっていたため負担がかかってしまったのだろうと言われている[誰によって? ]。
引退後は数々の記念行事に参加するなど功労馬としての余生を送っていたが、1991年足の怪我が手の施しようがないほど悪化し安楽死の処置が執られた。
血統表
Impromptu
Magic Symbol
Makarpura
Magic Wonder
Bridal Colors
Last Judgement
Fair Trial
Faustina
Romanella
ANgela Rucellai
Rockefella
Aristareta
Aurora
Gradisca
Goya
外部リンク
- オーストラリア競馬の殿堂のページ(レース映像有り) (英語)
- 競走馬成績と情報 JBISサーチ