桑田健秀
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2009年2月7日 大田区立大森スポーツセンター | ||||||||||||||||||
引退 | ||||||||||||||||||
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日本語 | 桑田 健秀 | |||||||||||||||||
国籍 | 日本の旗 日本 | |||||||||||||||||
生年月日 | (1953年01月03日) 1953年 1月3日(71歳) | |||||||||||||||||
出身地 |
東京都 大田区 (熊本県 山鹿市生まれ) | |||||||||||||||||
身長(現役時) | 190cm (6 ft 3 in) | |||||||||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||||||||
出身 |
慶應義塾高校 慶應義塾大学 | |||||||||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||||||||
1976-1983 | 日本鋼管 | |||||||||||||||||
指導者経歴 | ||||||||||||||||||
2005-2012 | エバラヴィッキーズ | |||||||||||||||||
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桑田 健秀(くわた きよひで、1953年 1月3日 - )は、熊本県 山鹿市生まれ東京都 大田区馬込出身[1] のバスケットボール選手・指導者である。現役時代はシューティングガードからセンターまでこなした。
来歴
[編集 ]熊本で生まれ、1歳で東京に移住。大田区立馬込東中学校でバスケを始め、慶應義塾高校に進み、能代工業高校監督加藤廣志が率いる全日本ジュニアに選出される。
その後慶應義塾大学では谷口正朋(中大)が持っていた得点記録を更新。1973年夏季ユニバーシアードにも出場[2] 。
1975年に慶應義塾大学商学部を卒業後、日本鋼管(NKK)に入社[3] 。1976年にはモントリオール五輪に出場するなど全日本で11年間プレーした[2] 。NKKでも日本リーグ1度、オールジャパン2度の優勝に貢献する[2] 。
1983年現役引退[2] 。バスケットボールからも離れるが、NKK会長の日本協会会長就任を機にバスケ界に復帰。
1990年から1992年まで男子全日本ジュニアのアシスタントコーチに就任し、アジアジュニア優勝・世界ジュニアに導く[2] 。
1997年にバスケットボール日本リーグ機構(JBL)が発足されると、翌年には常務理事に就任[2] 。プロ化実現へ向けて奔走した[1] 。
2002年退任。
2005年、W1リーグに所属するエバラヴィッキーズのヘッドコーチに就任[2] (前任者の坂根茂は中学・高校・大学の後輩)。チアリーディングチームをピボットフットで結成した[1] 。
2008年のチャレンジ!おおいた国体 バスケットボール競技で優勝に導いた[2] 。
2012年、退任。
経歴
[編集 ]- 慶應義塾高校 - 慶應義塾大 - 日本鋼管(1976年〜1983年)
日本代表歴
[編集 ]- 1970アジアジュニア選手権
- 1973ユニバーシアード
- 1973アジア選手権
- 1975アジア選手権
- 1976モントリオール五輪
- 1977アジア選手権
- 1978アジア競技大会
- 1979アジア選手権
脚注
[編集 ][脚注の使い方]