コンテンツにスキップ
Wikipedia

七覚支

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2023年1月5日 (木) 11:13; Baudanbau20 (会話 | 投稿記録) による版 (内容: テンプレートの値の終わりにある<br>タグ)(日時は個人設定で未設定ならUTC)

Baudanbau20 (会話 | 投稿記録)による2023年1月5日 (木) 11:13時点の版 (内容: テンプレートの値の終わりにある<br>タグ)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
瞑想する僧侶(シリキット・ダム, タイ)

七覚支(しちかくし、: satta bojjhaṅgā, サッタ・ボッジャンガー)とは、仏教における修行内容の1つ。悟りの7つの支分をなす項目。「七等覚支」(しちとうがくし)[1] 、「七菩提分」(しちぼだいぶん)[2] とも。「三十七道品」の中の1つ。

釈迦は五上分結の証知、遍知、遍尽、断捨のため、七覚支を修習すべきと説いている[3]

内容

[編集 ]

Imesaṃ kho bhikkhave, pañcannaṃ uddhambhāgiyānaṃ saṃyojanānaṃ abhiññāya satta bojjhaṅge bhāvetabbo katamo satta bojjhaṅge:
idha bhikkhave, bhikkhu satisambojjhaṅgaṃ bhāveti vivekanissitaṃ virāganissitaṃ nirodhanissitaṃ vossaggapariṇāmiṃ. Dhammavicayasambojjhaṅgaṃ bhāveti vivekanissitaṃ virāganissitaṃ nirodhanissitaṃ vossaggapariṇāmiṃ. Viriyasambojjhaṅgaṃ bhāveti vivekanissitaṃ virāganissitaṃ nirodhanissitaṃ vossaggapariṇāmiṃ. Pītisambojjhaṅgaṃ bhāveti vivekanissitaṃ virāganissitaṃ nirodhanissitaṃ vossaggapariṇāmiṃ. Passaddhisambojjhaṅgaṃ bhāveti vivekanissitaṃ virāganissitaṃ nirodhanissitaṃ vossaggapariṇāmiṃ. Samādhisambojjhaṅgaṃ bhāveti vivekanissitaṃ virāganissitaṃ nirodhanissitaṃ vossaggapariṇāmiṃ. Upekhāsambojjhaṅgaṃ bhāveti vivekanissitaṃ virāganissitaṃ nirodhanissitaṃ vossaggapariṇāmiṃ.
Imesaṃ kho bhikkhave pañcannaṃ uddhambhāgiyānaṃ saṃyojanānaṃ abhiññāya ayaṃ satta bojjhaṅge bhāvetabboti.

比丘たちよ、これら五つの上分結の証知・遍知・遍尽・捨断のため、七覚支が修習されるべきである。いかなる七の成熟か?
比丘たちよ、ある比丘は離(viveka)を拠りどころとし、離貪(virāga)を拠りどころとし、滅尽(nirodha)を拠りどころとし、棄捨する念覚支を修習する。
離を拠りどころとし ...(中略)...棄捨する択法覚支を修習する。
離を拠りどころとし ...(中略)...棄捨する精進覚支を修習する。
離を拠りどころとし ...(中略)...棄捨する喜覚支を修習する。
離を拠りどころとし ...(中略)...棄捨する軽安覚支を修習する。
離を拠りどころとし ...(中略)...棄捨する定覚支を修習する。
離を拠りどころとし ...(中略)...棄捨する捨覚支を修習する。
比丘たちよ、これら五つの上分結の証知・遍知・遍尽・捨断のため、七覚支が修習されるべきである。

七覚支の内容は以下の通り[4]

  1. 念覚支(sati-sambojjhaṅga) - 気づき(サティ)。心で今の瞬間の現象を自覚すること
  2. (ちゃくほう)覚支(dhamma-vicaya--sambojjhaṅga) - 法(ダルマ)の中から真実のものを選ぶ
  3. 精進 (しょうじん)覚支(viriya-sambojjhaṅga) - 努力
  4. 覚支(pīti-sambojjhaṅga) - 喜びに住する
  5. 軽安(きょうあん)覚支(passaddhi-sambojjhaṅga) - 心身に軽やかさ・快適さを感じる
  6. 定覚支(samādhi-sambojjhaṅga) - 心が集中して乱れない
  7. 捨覚支(upekkhā-sambojjhaṅga) - 。対象に囚われない

パーリ仏典

[編集 ]
悟りの要因と妨げのバランスをとる
  • 喜 (pīti)
  • 択法 (dhamma vicaya)
  • 精進 (viriya)
沈滞 (thīna-middha)
怠惰と無気力に陥った時
マインドフルネスを取り戻す
  • マインドフルネス(念,sati)
バランス状態
  • 軽安 (passaddhi)
  • 禅定 (samādhi)
  • 対象にとらわれない (upekkha )
掉挙 (uddhacca-kukkucca)
落ち着きを失い、心配事が心にある時
マインドフルネスを取り戻す

パーリ仏典相応部「火経」において釈迦は、心が怠惰・無気力(līnaṃ)を経験しているとき、喜・択法・精進の修習(バーヴァナー)を行う適時であり、一方で落ち着きのなさや心配(uddhataṃ)を経験しているとき、軽安・定覚・捨の修習を行う適時であると説いている[5]

Yasmiṃ ca kho bhikkhave, samaye līnaṃ cittaṃ hoti kālo tasmiṃ samaye dhammavicayasambojjhaṅgassa bhāvanāya. Kālo viriyasambojjhaṅgassa bhāvanāya. Kālo pītisambojjhaṅgassa bhāvanāya.
Yasmiṃ bhikkhave, samaye uddhataṃ cittaṃ hoti akālo tasmiṃ samaye dhammavicayasambojjhaṅgassa bhāvanāya. Akālo viriyasambojjhaṅgassa bhāvanāya.

比丘たちよ、心が沈滞(līnaṃ)しているとき、そのときは択法覚支の修習(bhāvanāya)に適している。精進覚支の修習に適している。覚支の修習に適している。
比丘たちよ、心が掉挙(uddhataṃ)しているとき、そのときは軽安覚支の修習に適している。定覚支の修習に適している。捨覚支の修習に適している。

脚注

[編集 ]
  1. ^ 玄奘 訳『大般若波羅蜜多経』(大正蔵220)
  2. ^ 地婆訶羅 訳『方広大荘厳経』(大正蔵187)
  3. ^ パーリ仏典, 相応部 46.覚支相応 暴流品, Sri Lanka Tripitaka Project
  4. ^ P.A.パユットー 著、野中耕一 訳『ポー・オー・パユットー 仏教辞典(仏法篇)』、2012年2月、サンガ、p.159-160
  5. ^ パーリ仏典, パーリ仏典 相応部 覚支相応 53.火経 Aggisuttaṃ, Sri Lanka Tripitaka Project

関連項目

[編集 ]
四念処(四念住)

身念処 | 受念処 | 心念処 | 法念処

四正勤(四正断)

断断 | 律儀断 | 随護断 | 修断

四神足(四如意足)

欲神足(欲如意足) | 精進神足(精進如意足・進如意足) | 心神足(心如意足・念如意足) | 観神足(観如意足・思惟如意足・慧如意足)

五根
五力
七覚支(七菩提分)

念覚支 | 択法覚支 | 精進覚支 | 喜覚支 | 軽安覚支 | 定覚支 | 捨覚支

八正道(八聖道)
解脱への道 - ウィキポータル 仏教

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /