アレクサンドル・オボレンスキー
2018年8月12日 (日) 02:38; 114.161.14.158 (会話) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC)
アレクサンドル・ミトロファノヴィチ・オボレンスキー(ロシア語: Александр Митрофанович Оболенский、ラテン文字表記の例:Aleksandr Mitrofanovich Obolenskii、1943年 2月19日 - )は、ソビエト連邦およびロシアの政治家、技師。オリョール出身。
経歴
[編集 ]生い立ちと初期の経歴
[編集 ]オリョール第6学校を卒業。同校で金メダルを授与されている。1960年オリョールの織物機械工場に入社し、見習いを経て旋盤工として勤務した。1961年 レニングラード大学地質学部に入学する。1962年兵役に就き、1965年まで偵察兵として東ドイツで勤務した。1971年 レニングラード鉱業大学を卒業し、鉱山技師・地質学者の学位を得る。
大学を卒業後、1993年まで20年以上に渡り北極地質学研究所コラ科学センターに勤務した。同センターでは実験助手、設計技師として勤務し、«МАМ-2»、«Аврора»など60以上の超長波、放射線実験装置の設計デザインを担当した[1] 。
人民代議員
[編集 ]1987年 ムルマンスク州で最初の政治団体、ボランティア再組織支援協会(Добровольного общества содействия Перестройке、ДОСП)を結成した。 1989年から1992年まで北極地質学研究所設計技師のまま、ソ連人民代議員に選出された。
1992年北極地質学研究所に戻り、アパチートゥイで設計の仕事についたが、同一ポストに長くいたことを理由に解任されオリョールに戻った。
1993年公開合資会社総合情報センター「テレビラジオ・ヴォストーク」(オリョール、«Телерадиокорпорация Восток»)の創設に関わる。1993年から1994年まで編成局長を務め、1994年半ばから1996年後半まで同社の社長も兼ねた。1998年公職を引退した。
私生活では夫人との間に三人の子がいる。