コンテンツにスキップ
Wikipedia

ドリームキャスト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。211.5.16.157 (会話) による 2012年7月1日 (日) 08:37 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎撤退後 )であり、現在の版 とは大きく異なる場合があります。

211.5.16.157 (会話)による2012年7月1日 (日) 08:37時点の版 (→‎撤退後 )
ドリームキャスト
メーカー セガ・エンタープライゼス
種別 据置型ゲーム機
世代 第6世代
発売日 日本の旗 1998年 11月27日
アメリカ合衆国の旗 1999年 9月9日
欧州連合の旗 1999年 10月14日
CPU 200MHz Hitachi SH-4 RISC
GPU VideoLogic PowerVR2 CLX2
対応メディア GD-ROM
CD
対応ストレージ ビジュアルメモリ
メモリーカード4X
売上台数 日本の旗 225万台
世界 1045万台
最高売上ソフト 日本の旗 シーマン
アメリカ合衆国の旗 ソニックアドベンチャー
互換ハードウェア CX-1[1]
前世代ハードウェア セガサターン
テンプレートを表示

ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(現 : セガ)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCドリキャス(drecas)の略称で呼ばれる。

ソニー・コンピュータエンタテインメントプレイステーションに劣勢を強いられていたセガサターンの次世代機として社運を賭けて開発され、第6世代ゲーム機の先陣として投入された。

発売時期の近いゲーム機には、前世代機セガサターンのライバル機のひとつであったNINTENDO64や、本機より後に発売され本機のライバル機となるプレイステーション2などが挙げられる。

本機の販売終了と同時にセガは家庭用ゲーム機の開発・販売から撤退しており、ドリームキャストは事実上セガ最後のゲーム機となった。

ハードウェア

外装はプラスチックのみで構成され、天板にはロゴマークの「渦巻き模様とDreamcast」、本体真正面中心に「SEGA」同じく右側には「Windows CE」のロゴがそれぞれプリントされている。また、ゲームソフトを挿入するドライブの蓋は上に開く。本体には正面から見て左側に電源ボタンと、右側に蓋を開くボタンがついており、電源が入ると中心の三角形の部分がオレンジ色に光る(ただし蓋の部分の半透明のパーツは単に装飾として糊付けしてあるだけなため光らない)。右側面に1か所、背面に1か所、底面に3か所、それぞれ排熱用の通気口が設けられ、後方左側面には初期装備のモデムが搭載されている。

コントローラポートは前面に4つあり、分配器を用意しなくても同時に4個までコントローラなどの機器を接続できる。また背面にはシリアルコネクタが1つある。当時はまだUSB接続は未だ黎明期であっため、キーボードやマウスもコントローラーポート接続のものが発売された。

映像処理用のチップが2基搭載された特異な設計のため、製造コスト高となったセガサターンに対する反省と、競合製品の初代プレイステーションを研究した結果、日立製作所が新開発したCPU・SH-4と、ビデオロジックNECのグラフィック描画エンジンPowerVR2を採用し、3DCG処理に特化した単純な設計になっている。

ソフトウェア供給媒体はヤマハと共同開発し、倍密CD-ROMとしての機能と同等形状で1GBの容量を持つ独自規格GD-ROMを採用した。その他でGD-ROMを再生する機器はアーケードゲーム媒体以外ではほとんど存在せず、事実上ドリームキャスト用ゲームソフト専用規格のディスクとなった。

他機種にはない機能として、対応したゲームに限られるものの周辺機器の「VGAボックス」を使用してパソコン用のディスプレイに接続し、31kHz出力のVGA解像度画面でゲームを遊ぶことができた。また、この「VGAボックス」はS端子に接続する機能も搭載されており、スイッチによりパソコンのディスプレイとTVからの出力を切り替えることができた。

本機を象徴する最大の特徴として、インターネット通信用のアナログモデムを標準搭載した点が挙げられる。初期装備のモデムの最高通信速度は日本国内向け純正品の場合33.6Kbpsで、本体からの着脱が可能だった。2000年7月に、モデムと交換して使える100BASE-T(ソフト側では10BASE-Tとしか使われなかった)LANアダプタ・「ブロードバンドアダプタ」が通販専売品ながら発売された。なお、モデムを標準搭載した家庭用ゲーム機は1996年3月にバンダイから発売されたピピンアットマークに次いで本製品が2番目である。

今までのセガのゲーム機とは異なり、後付の大きなオプションや、本体性能を底上げするオプションツール(メガドライブで言うところのメガCDスーパー32X、NINTENDO64の拡張パック等)は一切発売されず、前述したブロードバンドアダプタも必需品ではないため、あくまでドリームキャスト本体と後述するゲームコントローラ用拡張スロットオプションのみですべてのゲームを再生する事が可能である。

仕様と性能

コントローラ

コントローラ

付属の標準コントローラはセガサターンのマルチコントローラのデザインを基とした大き目のもので、上部に2つの拡張スロットを装備しているのが特徴。形状の制約と「利用者に引っ張られている感じを与えない」という理由でケーブルはコントローラの下側から繋がっているが、上側からケーブルが出た形状に慣れている人は、コントローラ背面に用意されているスリット(凹部)にケーブルをはさみ込むことで、擬似的にコントローラ上側からケーブルが出ているようにすることもできる。

アナログ入力のスティックと、アナログ入力のL・Rトリガー(一般的なLRボタンとは異なり、比較的ストロークが深く、押し込み具合で入力が異なる)、十字キー、X・Y・A・Bの4個の丸型のボタンと、三角形のスタートボタンが採用されている。十字キーは任天堂が特許を持ち自社製ハードで採用されていたものと見た目が似ていたため「正式に任天堂と契約し、許可を取ったもの」という噂が立っていたが、実際には十字キーの特許は形状によるものではなく、その内部構造についての特許であり、本機のコントローラーは構造が異なっていたため抵触していない。

なお、初期型はトリガーの支点部にスリットが入っていて耐久力が低く、破損による故障が多発した。そのため、トリガーにスリットが無く、十字キーを少し高めにセットした後期型が生産され、セガのカスタマーサポートは修理に出された初期型を不良品として後期型に無償交換していた。

また、本体にはリセットボタンが搭載されてないため、ゲームのリセットはXYAB同時押し+スタートボタンで行う。

拡張スロット

拡張スロットには液晶表示付メモリカード「ビジュアルメモリ」、振動パック「ぷるぷるパック」、音声入力機器「マイクデバイス」などが装着できる。

これらの組合せで、ビジュアルメモリの液晶画面にキャラクターを表示させながら、ぷるぷるパックで振動させるなどの表現ができた。反面、接続された各種デバイスによるコントローラ経由の消費電力が増えた。

当初は画面に向かってダイレクトに座標指示するライトガンの機能を追加する「ポインティングデバイス」、コントローラ自体の動きを検出して操作を行う「Gセンサーデバイス」(後に登場することとなるWiiのコントローラPS3SIXAXIS相当の機能をつけるオプション品)も企画されていたが、発売はされていない。ケーブルが後ろ側から出ているのには、そのときに操作しやすいように、という意図もあった。

ビジュアルメモリ

本機のゲームデータを記録する媒体として採用されたのはモノクロの液晶と十字キー、およびA・Bボタンと、背面にビープ音のスピーカーが搭載された「ビジュアルメモリ」、通称"VM"である。旧来のゲーム機ではゲームカートリッジ、本体ROM、外部メモリ等が採用されていたが、ビジュアルメモリはその内の外部メモリに相当し、任意で着脱可能である。

ビジュアルメモリには専用のソフトウェアを1つだけダウンロードして再生する機能が組み込まれており、それ自体をゲーム機として利用することも可能である。こうしたミニゲームをダウンロードできる家庭用ゲーム機用の外部メモリはビジュアルメモリが初であり、後に似た製品としてプレイステーション用の周辺機器「ポケットステーション」が発売された。

また、コントローラにセットすることで手元の画面にゲームと連動した映像(ゲーム中のキャラクタの生命力やコンパスなど)を表示させることもできる。この際、ビジュアルメモリは上下逆様に接続されることになるので、接続中に表示される画像もそれにあわせて逆転して表示される。

電源としてボタン型電池(CR2032、もしくは同等品)を2個使用する上に、下手な使い方をすると数時間も持たないほど電池の消耗が異常に早く、ビジュアルメモリ単体で使用しなくとも待機電力として電力を消費するため半年以内で自然消耗してしまう。ただし記憶媒体はフラッシュメモリであるため電池が切れてもセーブデータなどは消えず、電池をはめていなくてもドリームキャスト本体が通電している限りはメモリカードやゲームのサブ画面として利用可能である。また、ボタン電池が切れると「ピー」という警告音が長く鳴る。初期製品と後期製品では電池消耗具合が異なり改善はされていたが、それでも長時間のゲームプレイに耐えられるほどのものではなかった。

また、ビジュアルメモリは保存容量に対する不満の声も多く、搭載されているフラッシュメモリの容量に比して使用されていない予約エリアがかなり大きかったため、ユーザファイル容量を少なくしていた。そういった事情を背景に、携帯ゲーム機としての機能を削除し、バンク切り替え方式によりビジュアルメモリの4倍の容量を持った純粋なセーブ用媒体である「メモリーカード4X」が発売されたが、投入時期が遅すぎた感は否めず、すでに同等、もしくは、それ以上の機能を持つサードパーティ製のメモリーカードが市場を支配していた。また、メモリーカード4Xのアーキテクチャはビジュアルメモリのそれと異なっているため、ソフトウェアによっては必ずしも同じ挙動をしないこともあった。その性質上、メモリーカード4Xはビジュアルメモリ同士の接続やミニゲームのダウンロード、液晶画面による情報表示には対応していない。

ドリームキャストと互換性のあるアーケード基板NAOMIにもビジュアルメモリ差込口が存在するタイプが登場し、ゲームの個人的なデータをセーブしたり、NAOMI版とドリームキャスト版でデータを連動したプレイをすることが可能となるゲームも存在した。筐体によっては、ドリームキャストのコントローラそのものを使用してプレイできるものもあった。

ビジュアルメモリ自体はドリームキャスト本体よりも先に発売されており、あつめてゴジラという名称で、専用のミニゲームが初期搭載されていた緑色のビジュアルメモリがアメリカ版ゴジラの公開劇場などで先行発売された。このミニゲームはビジュアルメモリ上で消すことは出来ないが、ドリームキャスト上から削除することが可能で、元に戻すことは出来ないが、削除すれば以降は通常のビジュアルメモリとして利用することができる。後にもこのような「ミニゲームとバンドルされた」ビジュアルメモリは複数登場しており、大半はオリジナルカラーで発売された。

今まで発売されたミニゲームバンドル版VM

[icon]
この節の加筆が望まれています。
あつめてゴジラ〜怪獣大集合〜
1998年7月30日発売。トライスター版ゴジラの映画公開に合わせて発売された。緑色の本体に、「あつめてゴジラ」という怪獣を育成・対戦できるミニゲームが内蔵された。本機のローンチタイトルGODZILLA GENERATIONS」と連動
モスラ ドリームバトル
1998年12月23日発売。通常カラーだが、関連するフィギュアが同梱されていた。ゲーム内容は「あつめてゴジラ」のマイナーチェンジ版。
ガメラ ドリームバトル
映画「ガメラ3 邪神覚醒」とのタイアップで1999年3月25日発売。 ゲーム内容は「あつめてゴジラ」のマイナーチェンジ版。
超発明BOYカニパン あそんでキッドDCDC(デシデシ)
1999年4月22日発売。『超発明BOYカニパン』に登場するキーアイテムであるメモリと同じく半透明のグリーンカラー。『超発明BOYカニパン』とのタイアップ企画商品で、登場人物であるキッドを主役にしたミニゲームが内蔵されていた。1999年7月発売のソフト「超発明BOYカニパン〜爆走ロボトの謎!?〜」と連動。
ジャイアントチャンネル
1999年5月20日発売。真っ赤に着色されている。プロレスを題材にしたミニゲーム内蔵で、ジャイアント馬場が前面にプッシュされている。

内蔵ソフト

本体の起動時のデモンストレーションは涼しげな音色にあわせてオレンジ色の玉が画面を跳ね回り、最後に渦を巻いて「Dreamcast」と表示され、ゲームソフトか内蔵のシステムソフトが起動する。この起動音は坂本龍一が作曲したもので、その音声はアルバム『CM/TV』に収録されている。

内蔵のシステムソフトはドリームキャスト本体のCDドライブの蓋を開けている状態か、ドリームキャスト用ゲームソフトが挿入されていない時に起動される。システムモードではビジュアルメモリのデータ管理、内蔵時計の管理、CDプレーヤーがある。なおCDプレーヤーで対応ソフトを再生すると、画面にそのCDに関連する絵が表示される。

インターネット接続

モデムアダプタ

インターネットモデムにより本格的なインターネット 対戦ゲームが楽しめるほか、アクセスNetFrontをベースとしたWebブラウザ「ドリームパスポート」を本体に同梱したことでWebサイトの閲覧も可能で、次世代のマルチメディア機として優秀な性能を備えていた。

インターネット接続にあたっては、本体のモデムに固定電話回線を接続したモジュラーケーブルを接続し、「ドリームパスポート」やオンライン通信対応のタイトルソフトを使用し、アクセスポイントダイヤルアップ接続することでアクセスできる。

任天堂のランドネットと異なり、既にPCでのインターネット接続用に他のISPを契約していた場合は、その接続アカウントとアクセスポイント番号(接続情報)をドリームパスポートを通じて本体に登録することにより、Webサイトのブラウジングやソフト毎に用意されたオンラインサービスの利用が可能であった。isao.net(旧 : セガプロバイダ)が提供するオンラインサービスの利用にあたっては、会員登録によるアカウントの取得と本体への接続情報登録が必要であるが、既存のISPを使用してのインターネット接続であればisao.netの接続料金は発生しなかった。

isao.net

ドリームキャスト専用に用意されたISPである「セガプロバイダ」が2000年4月上旬までプロバイダ料金が無料で提供された。セガプロバイダは、回線をぷらら(設立時にセガが出資)やHighway Internet(USENの買収により同社のISP部門)から借りていた。当初はアクセスポイントが大都市圏や県庁所在地などにしかなかったため、その他地域では遠方のアクセスポイントへ接続しなければならず、市外電話料金が高額になることも多かったが、その後アクセスポイントは各地方都市へも拡充されたため、この問題は解消されていった。

セガプロバイダは2000年4月下旬にCSKとセガの共同出資で1999年に設立した株式会社ISAOへ承継・譲渡し、サービスが「isao.net 」に変更した(同社創業者である大川功にちなんだものとされる)。プロバイダ料金を接続時間に応じた完全従量制と月額定額制にすると共に、PCユーザーにも開放し、総合ISPとしてISDNおよびADSLなどのブロードバンド接続サービスを開始。1アカウントでDCとPCを共用することが可能であった。

isao.netはセガによるドリームキャストの展開終了後も独自にDCユーザー向けの接続サービスとコンテンツ(プロバイダ内の電子メールなど)の提供を継続すると共に、ポータルサイトにおいてもゲーム情報の掲載や電子掲示板の提供などを通じてゲーマーに適したISPとして運営してきたが、2008年9月にフリービット傘下のDTIへ事業譲渡し、2009年にプロバイダもDTIに統合され消滅した(この時点で接続サービスを契約していたアカウントは解約の申し出を行わなかった場合はDTIへ入会扱い)。

終了に伴い、ドリームパスポートのセガプロバイダ / isao.netの接続情報復旧(isao.netのサーバーに接続し、アカウント情報を本体に登録する)が終了したため、isao.netへの接続は出来なくなっている。そのため、ソフトによって独自に用意されたオンライン対戦などの際にユーザー識別のため必要となる旧セガプロバイダの接続情報(アカウント)の本体への登録が出来なくなっている。しかしそれ以前にオンライン対戦のサービスがほぼ打ち切られているため影響は軽微とされる。なお、他のISPでダイヤルアップ接続ブロードバンドルーター等を介してインターネット接続し、一般のWebサイト閲覧することは従来通り可能である。

元の運営会社であるISAOはISP事業と並行してセガ関係のモバイルコンテンツ製作とオンラインゲーム運営関係のソフトウェアベンダーとして事業を行っており、2010年に豊田通商の完全子会社として株式会社ISAO(2代目)が新たに設立され、存続している。

インターネット接続対応ソフト

ブラウザの役目をする主だった接続ソフトの「ドリームパスポート (Dream Passport)」はバージョンアップごとにセガプロバイダおよびisao.netの登録ユーザに無料配布され、最終的に2001年6月リリースの「ドリームパスポートプレミヤ(Dream Passport PREMIERE 英略 : DPP)」となった。また、Hello Kitty ドリームキャストセットに付属の「ドリームパスポート2 『ハローキティ』Ver.」や、ドリームパスポート3をベースにした市販品「『でじこ』のまいブラ」などの、各種キャラクターを用いたアレンジ版も作られている。

ドリームパスポート3とDPPには、ドリームキャスト上でメガドライブPCエンジンのゲームをダウンロード配信する「ドリームライブラリ(2003年終了)」と、専用マイクやドリームアイを介してインターネット電話(固定電話含む)が可能な「DreamCall(DPPのみ、2003年1月14日終了)」を利用するための専用アプリケーションがバンドルされている。いずれも仮想通貨である「ドリム」を使用するものであった。

なお、前述のブロードバンドアダプタには専用の「ブロードバンドパスポート (Broadband Passport)」が付属し、ブロードバンド接続では当時のドリームパスポート2の代わりにこれを使用する必要があったが、ドリームパスポートプレミヤではブロードバンド接続にも対応している。これによって、ブロードバンドアダプタを装着していながら接続情報復旧のためにのみモデムに付け替えてドリームパスポートを使用しなければならない、といった手間から開放された。なお、DPP以前のドリームパスポートはSSLのアップデートに対応していないため、現在はSSLでの接続が必要なサイトは閲覧不可能である。

セガプロバイダやドリームパスポートとは別に、1999年前半にマイクロソフトとウェブティービーネットワークスによって開発されたWebTVをベースにしたインターネット閲覧ソフト「マイクロソフト ウェブティービー接続キット」が希望者のみに配布された。「ドリームパスポート」との互換性はないが、1999年12月頃にドリームパスポートよりも早く接続キットのブラウザがSSL128bit対応にアップグレードされ、東京三菱銀行(当時)のインターネットバンキングである「東京三菱ダイレクト(現 : 三菱東京UFJダイレクト)」のWeb TV版に正式対応していた[2]

オンライン接続対応のゲームソフトにはドリームパスポートの一部機能が制限されたバージョンが本編ディスクあるいは添付の専用ディスクに組み込まれており、ドリームパスポートに入れ替えることなくソフトの公式ホームページを閲覧したり、公開されている専用のセーブデータをダウンロードできるようになっているものもあった。

ほか多数

  • ゲーム関係以外のインタラクティブ機能を備えたタイトル
    • マイクロソフト ウェブティービー接続キット(前出)
    • JRA PAT for Dreamcast - 競馬のPAT(電話投票)システム
    • ビジュアルパーク (Visualpark) - ドリームアイのバンドルソフトで、ドリームアイで撮影した画像の取り込み・フォトレタッチや、添付メール作成、簡易テレビ電話が可能。
    • セガカラ for ドリームキャスト - セガ・ミュージック・ネットワークス(2007年にBMBへ事業譲渡後、2010年エクシングが吸収合併)の業務用通信カラオケ「Prologue 21」シリーズの楽曲データを活用した家庭用通信カラオケソフト。「ドリームキャスト・カラオケ」またはそれにDC本体をセットにした「セガカラ@ホーム」に同梱されている。管理楽曲の演奏不可・MIDI音源が脆弱という欠点はあるが、新譜もPrologue 21とほぼ同じタイミングで配信され、タイトーX55よりもコストが廉価(ドリームキャスト・カラオケ本体9,800円、利用料金は1日500ドリム、30日間2000ドリム)であった。発売時期が事業撤退表明後の2001年3月29日であったが5年後の2006年3月29日までサービス提供が継続された。ブロードバンドアダプタ対応。姉妹ソフトとしてWindows XP版の「セガカラ for PC」、同系統の後身ソフトとして「カラオケJOYSOUND Wii」がある。

MIL-CD

生産当初のドリームキャストには、MIL-CD再生機能が搭載されていた。MIL-CDとは「見るCD」の意味で、メディアは通常のCDプレーヤーでは音楽CDとして再生できるほか、ドリームキャストで再生した場合には独自のコンテンツを視聴できるというものである。ただし、MIL-CD対応メディア製品は数種類しか発売されなかった。

MIL-CDの実装原理はCD EXTRAと同一で、マルチセッションディスクとなっており、1番目のセッションに音楽が、2番目のセッションにデータが入っている。ドリームキャストは、この2番目のセッションを読み取って独自のコンテンツを実現していた。しかし、一部ユーザがこのデータ部分を利用し、ゲームデータをCD-Rにコピーしたディスクを動作させることに成功した。これはコピーディスクを違法に流通させるきっかけとなった。

また海外のユーザを中心に、自作ソフトをMIL-CD機能を使用し動作させる試みが存在した。自作のソフトにはDivXプレーヤーやメガドライブソフトのゲームエミュレーターなどがあり、これらは実際に実用的なレベルでの動作に成功していた。2012年現在でも、非ライセンスの商業ベースやいわゆる同人レベルの作品は多数が開発・発表されており、セガ側の思惑とは別にコアユーザ達にとっては現役機として浸透している。

歴史

発売前

開発中のコードネームは「KATANA」。「刀」ではなく、大阪弁で「勝たなければ」という言う意味の「勝たな(あかん)」から来ている。「ドリームキャスト」の名称は、候補を募り絞っていったもので、特定の命名者はいない[3] 。dream(夢)をbroadcast(広く伝える)という願いを込めた造語である[4] 。当時は、Pointcast等のプッシュ型テクノロジーが未来の情報配信技術として紹介されており、これに影響されたものと推測される。ユーザの間では「ドキャ」、「ムキャ」、「ドリャス」、「DC」、ロゴマークの渦巻きから「なると」など、様々な略称が用いられたが、セガ自身が「dricas.com」というドメイン名を取得したこともありドリキャスが公式の略称となった。

1998年5月21日、22日に続けて新聞での1ページ全部を使った連載広告が行われた。21日は「セガは倒れたままなのか」のコピーで始まった、戦国武将が討ち死にした場面のような広告で(当日午後、ドリームキャストが発表された)、22日は「11月X日 逆襲へ、Dreamcast」のコピーとともに、討ち死にしたと思われた武士たちが一斉に立ち上がる場面のような広告である。6月19日以降は「セガなんてだっせーよな!プレステのほうがおもしろいよな!」「帰ってプレステやろうぜ〜!」などのフレーズを使った自虐的なCMが放送され、話題になった[5] 。このCMにはセガの専務だった湯川英一をはじめとする当時の役員が出演している。また、このCMでソニーの商標である「プレステ」という言葉を用いる許諾をソニーから得ている。この宣伝戦略プロデューサーを担当した秋元康は、後にセガの社外取締役に就任した。この手法は、ソニーがかつて「ビデオ戦争」(VHSβの規格争い)での敗北を決定的にした時のものと類似している。その後は、湯川英一のほかにジャニーズJr.(当時)の滝沢秀明も出演したCMが放送された。発売直前から2000年にかけてセガ提供のテレビ番組のクレジットは「SEGA」ではなく「Dreamcast」だった。

当初は「128bitのゲーム機」という触れ込みで紹介されていたが、実際には32bitマシンである。CPUのSH-4が内蔵しているベクトル型浮動小数点演算ユニットが、32ビット浮動小数点演算を4本同時に行えるため、「32bi×ばつ4 = 128bit」相当ということにされていた。

発売

広告戦略においてハードとメーカーの知名度が共に急上昇し、「売りに出せば売れる」という人気を博したかに見えた。湯川英一は発売直後の1998年11月25日に「湯川専務」の名で日本コロムビアから企画盤のシングルCD「Dreamcast」をリリースし、マスコミに報道されるなど様々な方法で話題性を作り、てこ入れを行った。広告宣伝費の投入を継続したことによってDAIBAッテキ!!(チェキッ娘)や超発明BOYカニパンスポンサードし、翌1999年初夏にはそれぞれタイアップしたソフトを発売することになるが反響はごく限定的であった。

しかし、本体発売前から肝心の供給体制が整わないという懸案事項が生じていた。NECとVideoLogicが共同開発したグラフィックスチップPowerVR2の開発が予定よりも遅れたことが発端となり、ソフトウェアの開発に遅れが生じ始めた。さらに、チップの歩留まりが向上せず、十分な量を確保できなかったことが致命的だった。需要に見合った増産が望めず、結果的に初回出荷量の大幅減、予約キャンペーンも急遽取りやめといった「売りたくても、売りに出せない」という苦悩が続く非常事態となった。

事態は深刻さを極め、キラーソフトとして本体と同時期に投入予定だったローンチタイトルの多くが発売延期となった。自社の看板タイトル『バーチャファイター3tb』はなんとか間に合わせ、初回出荷分は即日完売となったものの、PowerVR2の開発の遅れがもたらしたソフト不足が最後まで足を引っ張り、販売台数は予定を下回る結果に終わった。さらにPowerVR2の歩留まりが向上しない事には、増産によるシェア拡大も望めない状況にあった。結果的にハードとソフトの供給の遅れが、市場形成期の成長に急ブレーキをかけた。Windowsと互換性がありソフトの製作のハードルは低かったものの、この立ち上がりのつまづきがサードパーティを消極的にし、ソフトメーカーの参入が伸びなかった。この影響を理由として、CD発売から15日後の1998年12月10日付けで湯川専務(執行役員)を執行役員常務へ降格させる人事を発表し、以後、「湯川元専務」の名でCMやマスコミに出ることになる。ソフト面では『バーチャファイター3tb』の他に、前機のセガサターンでは出さなかった『ソニックシリーズ』を1ヶ月後に発売させる等の戦略を取った。

1999年6月に入交昭一郎 代表取締役社長が同副社長に降格し、大川功会長が代表取締役社長を兼務する体制とし、定価を29,900円から19,900円へ値下げして再立ち上げを図った。値下げ相応の機械部品のコストダウンは図られていないため、1台売るごとに1万円の赤字となってしまった。

また、プレイステーションの販売方法を徹底的に模倣し、子会社のセガ・ミューズを通じて「再販価格維持」、「中古品売買禁止」、「同業者間の在庫転売禁止」の3点を小売店に強制した。当時、ソニー・コンピュータエンタテインメントが採用したこの販売方法は独占禁止法違反で公正取引委員会と係争中だったが、メーカーの圧倒的支持を受けており、ソニー・コンピュータエンタテインメントが独占禁止法違反の是非を争っている間にその販売方法を模倣すればスクウェアを始めとする有力メーカーの支持を一気に奪えるという計算が働いたからである。1999年11月にソニー・コンピュータエンタテインメントと同様に、セガに対しても独占禁止法違反容疑が表面化した。事件の処理に困ったあげく2000年8月にはセガ・ミューズの業務を本社に丸投げしてペーパー会社化するという「脱法行為」ギリギリの方法で摘発を逃れて一部から批判を浴びる。

末期、撤退

セガラリー2』・『シーマン』・『スペースチャンネル5』など単発的なヒットはあったものの、ソフト不足に悩まされる状況は変わらず、ハードの売り上げを牽引するキラーソフトの供給が続かなかった。本体の発売当初からその内容が注目を浴びていた「シェンムー」「Dの食卓2」が度重なる延期により1999年12月発売となったことがライトユーザーの痺れを切らした格好となりヒットには至らず、既に確固たる利用者層を積み上げていたプレイステーションと2000年3月4日に発売された後継機プレイステーション2の前に再び苦戦を強いられた。

2000年には一部タイトルで、TSUTAYAと提携し東京都内の一部店舗でのゲームレンタル開始や、1-2千円前後の廉価で機能限定版(体験版に近い)を販売し、ドリムを用いてアクティベーションの権利を購入(VMに課金データをダウンロード)することで通常版と同等にプレイできるシェアウェア型の「@barai(アットバライ)」というシステムをISAOと共同開発し数タイトル発売したが、どちらも物珍しいままで終わった。

この年には『サクラ大戦シリーズ』のSSからの移植版、『ファンタシースターオンライン』や『プロサッカークラブをつくろう!』などセガオリジナルのソフトが多くリリースされたが大ヒットには至らなかった。撤退への最終的な決断がされたのは2000年末の年末商戦の結果を踏まえた上であり、北米では『NBA2K1』、『NFL2K1』というミリオンセラーが期待出来るタイトルとの本体同梱版がリリースされたが、勢いを取り戻す事は出来なかった。

2001年1月24日に一部報道でドリームキャストの生産中止がリークされ、翌25日にセガは報道の内容を一部認めるコメントを出した。そして1月31日の15時過ぎ(株式市場終了後)に家庭用ゲーム機事業から撤退を「構造改革プラン説明会」と題した記者会見上で大川会長兼社長ら役員同席のうえで正式発表する。コンシューマ向けゲーム事業についてはプレイステーション2ニンテンドーゲームキューブゲームボーイアドバンスなど他のプラットフォームへのソフト供給へ転換することにした。また、この時期に大川が私財約850億円をセガに寄付し、莫大な損失を抱えることになったセガの財務面での下支えに寄与した。

大川功はその後体調が悪化し、ドリームキャストの終焉とセガの再建を見届けるような形で同年3月16日に逝去する。同月末には全世界で200万台の在庫が残っていたDC本体を日本では9,900円という投げ売り状態の破格の定価に改定することにした。更にセガを取り巻く情勢を自虐的なパロディとして反映させたシミュレーションRPGセガガガ」が発売され、これらは1998年の本体発売前の広告内容から続く一連の衝撃的な話題として報道番組新聞で報道された。

その後、日本市場での売れ行きが好調となったため、海外市場版の本体を日本版のパッケージに巻き直す(リアセンプル版)などの策が図られた。そして市場において一度も優位に立つことなく、2002年前半にはゲーム機売場から消え、本体の新品販売が終了した。

このドリームキャストを最後にセガは家庭用ゲーム機の製造・販売事業から撤退し、家庭用ゲーム市場においては他社のゲーム機向けソフトの開発と販売に専念することとなる。

撤退後

家庭用ゲーム機としての役目をほぼ終えたが、そのアーキテクチャ自体は評価が高い。同時期に発売されたほぼ同設計の業務用基板「NAOMI」が今でも現役のほか、サミーの業務用基板「ATOMISWAVE」としても活躍している。

また、本体や周辺機器の製造が終了してからも2005年頃までは恋愛ゲーム中心にリリースが続いた。 恋愛ゲームが発売されなくなって以降も、NAOMI基板で出たアーケード用シューティングゲームの移植を中心に年2本程度のペースで新規ソフトが発売されており、新規タイトルが発表になるたびに「ドリームキャスト最後のソフト登場」と話題となる(2007年当時)。PSEマークの無い中古家電機器の流通を禁止するPSE問題の影響により、中古品市場での本体の入手はかなり困難となることも懸念されたが、2006年 4月以降もハードオフなどでPSEマークつきで販売されている。セガによる本体ならびに本体付属周辺部品の有償修理は、2007年 9月28日佐倉事業所CSサービスセンター到着受付分を以て終了している[6] 。2007年3月8日にドリームキャスト最後のソフトとなる『カラス』が発売。本体の発売から9年という長い歴史に終止符を打った。

2007年12月、セガオブアメリカが「Dreamcast」の商標登録の更新を申請した。一部で「後継機が開発されているのでは」と噂されたが、セガオブアメリカは「登録内容に問題があったためであり、コンソールビジネスに戻る予定は無い」と否定した[7]

2010年、セガにおいて「#セガ・ドリームキャスト復刻プロジェクト」を立ち上げ、ドリームキャストの一部タイトルのプレイステーション3Xbox 360の移植版を製作し、プレイステーションストアXbox Live Arcadeダウンロード販売形式で販売・配信する試みがされている。

2012年現在、『Gunlord』などの新作ソフトが海外のみでリリースされ続けている。

市場での敗因

プレイステーション2との勝敗を分けた要因として、ソフトの上位互換性が挙げられる。それまで「ハードが変更されると旧機のソフトはプレイ不可」ということが一般的で、DCもセガサターン用のソフトは使えなかったが、PS2がPS用ソフトのほとんどをプレイできる仕様だった。

ドリームキャストに上位互換性を持たせなかったのは、セガサターンが設計上、マルチプロセッサ機能を持っていた事に起因する。サターンと上位互換性を持たせようとすると処理チップ数が増加し、コストが高くなるという問題を孕んでいた(尚、PS2はI/OプロセッサとしてPSのCPUを搭載させることによりこの問題を解決させている)。これには、セガは業務用・家庭用を問わずハード設計の際には、なるべく汎用ICを使って設計する(必然的に基板に実装するICの種類が増える)という方針や、後方互換性を維持する事でサポートコストの増大や過去の負の遺産を引き継ぐことを嫌った、当時までのゲーム業界の慣習を引きずった事も影響している。

既に多くのサターンのソフトがPSへ移植されていたが、DCそのものにはキラーソフトが少なく、その一方でまだ市場が残っていたサターンへのソフト供給が途絶えてしまったことから、これを転機としたユーザ離れを引き起こすことになってしまった。

セガサターンからドリームキャストの変更によるメーカー側の開発難航が、供給低下の原因にあることも見逃すことができない。PS2が商業的に成功した要因として、PS用ソフトのほとんどがそのままプレイできる上位互換性を有するうえ、コントローラのボタン数やデザインも従来どおりだったため、PSから親しんできたユーザにとっても何の抵抗もなくプレイすることができたことにある。また、セガサターン純正のコントローラは、後に同形のコントローラーパッドがPS2用およびパソコン用で販売された経緯がある。それに慣れ親しんだユーザにとっては、ドリームキャストの純正コントローラは非常に使いにくいものだった。またドリームキャストのコントローラーはコードが下部から付いているので腕に対する負担が少なく、見た目よりは軽量だが、メモリカード等を装着すると当然重量は増加し、長時間プレイすると腕に対する負担が大きかった。これはプレイヤーの使用しないポートのコントローラーなどにメモリカードを挿すことなどによってある程度は回避可能だが、実際にはソフトの多くはポートAの1番スロットにしか対応していないなど、不備も目立った。

PS2はDVDプレーヤーとしても機能することがPS2のシェア拡大に少なからず貢献し、結果としてDVDビデオ視聴環境の普及にも大きく貢献することとなったが、ドリームキャストでは独自の規格であるGD-ROMドライブを搭載していたためにDVDビデオの視聴は不可能だった。この点に関して、ドリームキャスト開発当時はDVDドライブがまだ高価で、コスト面での不利から搭載を見送られていた。末期には外付けのDVDドライブの開発が検討されたこともあったが、製造中止に伴って立ち消えとなっている。GD-ROMは、ドリームキャスト発売当時としては容量も十分なものだったが、DVDが普及するにつれて、記録容量、ドライブの製造コスト、ディスク単価、市場でのシェアなど、どれをとってもDVDに対し劣るものとなっていた。

PS2やNINTENDO64に対し優位に立つかに思えたインターネット機能の標準搭載も、対応ゲームの少なさや発売の遅さ、テレホーダイ以外の手段による通信料金定額の未整備ゆえに、優位性が充分に発揮されないまま終わってしまった。ドリームキャスト発売当時は電話回線を使用したダイヤルアップ接続が主流であり、通信にかかる費用はユーザにとって決して軽いものではなかった(当初はモデム接続のみのため、東西NTTのISDN回線による通信費パック料金制のアイ・プランや完全定額のフレッツ・ISDNを用いるためのデジタル接続も不可であった。)。しかも、日本の一般家庭でのインターネット接続環境は2000年以降ブロードバンドの商用化によって急速に普及し始めた、という悪条件が追い討ちをかけた。

なお、大川功セガ会長(当時)がXbox開発の話を聞きつけ、マイクロソフトビル・ゲイツ社長(当時)に何度も直談判し「セガのタイトル資産を提供するからドリームキャストの互換性をXboxで実現させてくれ」とドリームキャストの道筋を作ろうとした。だが、ドリームキャストはインターネット環境を有するのに対し、Xboxはインターネット環境を考えておらず、この話は結局破談となった。当時日本法人マイクロソフト株式会社社長を勤めていた古川享が、後にこのことをTwitterで語っている[8] 。セガはドリームキャスト撤退後、Xboxにもゲームソフトを供給している。

本体のバリエーション

サクラ大戦 Dreamcast for Internet
サクラ大戦シリーズ』をイメージした限定モデル。
Hello Kitty ドリームキャストセット
ハローキティ』のロゴが入ったスケルトンモデル。色はピンクとブルーの2種類。
ドリームキャストR7
パチンコ店向けの端末として販売されていたものと同じ外観の限定モデル。黒地にR-7(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律における7号営業を表すRegulation 7の略)と書かれている。
セガカラ@ホーム
カラオケ用周辺機器「ドリームキャスト・カラオケ」を装着したモデル。
シーマンモデル
シーマン』のロゴが入ったスケルトンモデル。シーマンのソフト、マイクデバイス、サウンドトラックCDなどを同梱。限定500台。赤いクリスマス仕様の限定版も存在する。
バイオハザード CODE:Veronica リミテッドボックス
レッドスケルトン、ブルースケルトンの2種類。特別仕様VM、ベロニカ初回限定版ソフト同梱。2000台限定。

MIL-CD対応品と非対応品

セガはMIL-CD機能の悪用による違法コピー対策として、2000年秋頃から出荷された製品をMIL-CD非対応とした。具体的には、メインボードのリビジョンを更新し、MIL-CD機能を削除した。この厳密な時期は定かではないが、概ね11月1日の社名変更のタイミングと重なっている。そのため、本体ケース底面に書かれている社名によって推測する事ができる(ただし、一般にケースよりメインボードの製造が後のため、中身が交換されていなくても必ずしも正確に推測できるわけではない)。また、対応品をセガに修理に出した場合、非対応品にされて戻される事例も存在した。

両者の判別は新品であれば可能で、いわゆる湯川専務バージョンはMIL-CD対応品で、末期に製造されたロットは外箱に「MIL-CD非対応」と明記されている。しかし、中古品販売で入手するしかない現状では、外箱と中身が一致しているとは限らないため、本当に対応品かそうでないかを見分けるのは難しい。非対応品を対応品に改造する方法がゲーム改造専門誌に掲載された(ただしこの方法は、対応品として製造されたメインボードがジャンパによって非対応品とされている場合、いわゆる「封印」が施されているメインボードを対応品に戻すだけであって、元来非対応品として生産されたメインボードを対応品とする事はできない。そのため、この記事自体はほとんど嘘だと言ってよい)。販売店によっては、対応品かどうかを独自にチェックし、その旨を表示して販売しているところも存在する。

例外的に、黒い外観のドリームキャストR7は末期の製造ながら、初期ロットの在庫処分のためMIL-CD対応であり、箱にも明記されている。ただし流通量は少ない。

また、「MIL-CD非対応」と外箱に明記された物でも、海外仕様(一般に、海外仕様のものには非対応品は存在しない)のものを国内向けに変更したリアセンブル版や、故障品のパーツを再組立した再生品(もともとが故障品のパーツの寄せ集めであり、部品精度の検証が不足していたために、出荷分の初期不良率は異常に高かった)を中心に、実際はその多くは対応機であり、全体の生産量からするとMIL-CD非対応機はごく一部でしかない(日本国内分でさえ1割にもはるかに満たない)。

周辺機器

アーケードスティック
ネオジオポケット接続ケーブル

セガ純正

  • LANアダプタ (HIT-0300)
  • ブロードバンドアダプタ (HIT-0400 - HIT-0401)
  • インターネットスターターキット (HKT-2000)
  • ドリームキャスト・キーボード (HKT-4000)
  • メモリーカード4X (HKT-4100)
  • ドリームキャスト・カラオケ (HKT-4301)
  • ドリームアイ (Dream eye、 HKT-9402)
    • 専用デジタルカメラ(2000年代後半で言う所のWebカメラ機能を備えたトイデジカメ形態に近い)。2000年9月14日発売。本体をコントローラー端子に接続し、付属ソフト「ビジュアルパーク」を使用することで、本体に記録した写真データをフォトレタッチして電子メールとして送信したり、付属のヘッドセットを拡張スロットに接続すれば、同じ機器環境をもった相手方とコマ送りの簡易動画ながらテレビ電話をインターネット経由(まちあわせ通信)もしくはモデムの回線交換接続 (P2P) で行うことができる。希望小売価格が14400円とDC本体に迫る高価格であったためか余り普及しなかった。2003年1月にまちあわせ通信によるテレビ電話接続が終了している(相手方の一般加入電話回線に接続したビジュアルパークを呼び出す回線交換接続方式であれば現役で利用可能)。
  • ビジュアルメモリ (HKT-7002)
  • モデムアダプタ (HKT-7100)
  • マイクデバイス (HKT-7200)
  • アーケードスティック (HKT-7300)
  • レーシングコントローラ (HKT-7400)
  • ツインスティック (HKT-7500)
  • ドリームキャスト・コントローラ (HKT-7700 - HKT-7701)
  • ドリームキャスト・ガン (HKT-7801)
  • S端子ケーブル (HKT-8000)
  • RGBケーブル
  • VGAボックス (HKT-8100)
  • モジュラー延長ケーブル (HKT-8200)
  • 音声接続ケーブル (HKT-8300)
    • 市販のオーディオ用変換ケーブルと同等の商品。
  • ステレオAVケーブル (HKT-8500)
  • ぷるぷるぱっく (HKT-8600)
  • つりコントローラ (HKT-8701)
  • MIDIインターフェイスケーブル (HKT-9200)
  • 対戦ケーブル (HKT-9500)
  • ドリームキャスト・マラカスコントローラ (HKT-9700)
  • ドリームキャスト・マウス (HKT-9900)

他社発売

  • アスキーパッドFT CAPCOM Ver
  • アスキーパッドFT SNK Ver
  • 電車でGO! 専用コントローラ
  • DDR 専用コントローラ
  • ネオジオポケット接続ケーブル (NEOP22020)
    • ネオジオポケットとドリームキャストの対応ゲーム間で通信する際に使う。ネオジオポケットの周辺機器に分類される。

ソフト一覧

セガ・ドリームキャスト復刻プロジェクト

2010年にセガにおいて「セガ・ドリームキャスト復刻プロジェクト」を立ち上げ、ドリームキャストの一部タイトルのプレイステーション3Xbox 360移植版を製作し、プレイステーションストア [9] Xbox Live Arcade上でダウンロード販売形式で販売・配信が行わている。

復刻(発売)タイトルは以下の通り

  • ソニックアドベンチャー(2010年9月29日配信)
  • クレイジータクシー(2010年11月24日配信)
  • ゲットバス(2011年10月5日配信予定)
  • スペースチャンネル5 パート2(2011年10月5日配信)

脚注

  1. ^ PC Watch ドリームキャストのゲームも遊べる個性的なデザインが特徴のテレビ「CX-1」
  2. ^ ウェブ・ティービー・ネットワークス、東京三菱銀行と新サービスを開始、家庭のテレビでインターネットバンキング1999年11月19日 ascii.jp
  3. ^ 『ゲームの話をしよう』永田泰大 エンターブレイン 2000年 ISBN 4-7572-0662-3 P174
  4. ^ エンターブレイン『セガ・コンシューマー・ヒストリー』(2002年2月27日初版発行)P.244
  5. ^ 夏休み特別企画:セガDreamcast特集 Vol.1―「プレステのほうがいいよな」なんて言っていいのか? 「いいのだ!」―
    井上秀樹「感情模索[7] 自虐という名の安全策――昇華できれば生きる原動力に」『朝日新聞』2009年1月10日付朝刊、第13版、第20面。
  6. ^ SEGA 『セガサターン』『Dreamcast』有償修理終了のお知らせ
  7. ^ GameDaily Updated Dreamcast Trademark Sparks 'Dreamcast 2' Rumor
  8. ^ 幻に終わったXboxのドリームキャスト互換・今明かされるその理由:Kotaku JAPAN, ザ・ゲーム情報ブログ・メディア
  9. ^ オンライン専売タイトル扱いでありゲームアーカイブスとは異なる。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ドリームキャスト に関連するカテゴリがあります。
据え置き型
携帯型
復刻機
その他
周辺機器
セガ・マークIII/セガ・マスターシステム
メガドライブ
関連パソコン
機種マスコット
 
HTC (HT)

E30HT(HTC Touch Pro)

東芝/富士通東芝→富士通モバイル (T/TS)

IS02(TSI01・dynapocket)- IS12T(TSI12・Windows Phone) - E31T(ビジネスケータイ)

 
HTC (HT)

SoftBank X01HT - SoftBank X02HT - SoftBank X03HT - SoftBank X04HT(HTC Touch Diamond) - SoftBank X05HT(HTC Touch Pro)

東芝 (T)
 
日本国外の携帯電話会社から提供される端末
サムスン電子
HTC (HT)
ソニー・エリクソン

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /