コンテンツにスキップ
Wikipedia

カズ・ハヤシ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。58.85.228.199 (会話) による 2008年1月23日 (水) 08:46 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (外部リンク )であり、現在の版 とは大きく異なる場合があります。

58.85.228.199 (会話)による2008年1月23日 (水) 08:46時点の版 (外部リンク )
カズ・ハヤシ
プロフィール
リングネーム カズ・ハヤシ
獅龍
エル・ボスケ
884%マシーン
ミゲル・ハヤシJr?
本名 林 和広
ニックネーム 男の中の色男
身長 173cm
体重 86kg
誕生日 (1973年01月02日) 1973年 1月2日(51歳)
出身地 東京都 世田谷区
所属 全日本プロレス
スポーツ歴 サッカー
トレーナー グラン浜田
デビュー 1992年
テンプレートを表示

カズ・ハヤシ(本名:林 和広、1973年 1月2日 - )は、全日本プロレスに所属しているジュニア・ヘビー級のプロレスラー東京都 世田谷区出身。現在までにみちのくプロレスWCWWWEに所属した。

2007年 7月3日から、テレビ東京系で放送されている『キティズパラダイス』に、体操のお兄さん「マッスルフェアリーカズくん」としてレギュラー出演中である。

経歴

獅龍時代

1991年 12月ユニバーサル・プロレスリングに入門。1992年 11月19日後楽園ホール大会でテリー・ボーイ(現:MEN'Sテイオー)と組み、モンゴリアン勇牙(現:新崎人生)&バッファロー張飛(引退)組を相手に覆面レスラー 獅龍としてデビューを飾る。1993年みちのくプロレス入団。みちプロ時代から並外れた身体能力は注目され、新日本プロレスのリング参戦時も「欽ちゃんジャンプ」で人気を博す。

1994年8月、SATO(現:ディック東郷)とテリーボーイとで平成海援隊を結成。1996年船木勝一TAKAみちのくが合流し、グループ名を海援隊★DXに改名。1998年海援隊★DXでWCWに参戦。一時帰国した海援隊から離れ単身メキシコへ。その後、ファンの間では消息不明説が流れる。しかし週刊誌の記事にて「元みちプロ、獅龍はメキシコにいた!」と2ページを飾ってしまった。2月23日のサクラメソト大会で1度敗れたウルティモ・ドラゴンと再戦するため覆面を脱ぎ、カズ・ハヤシに改名した。6月新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアには獅龍の名前でエントリーされていたが、改めてマスクを脱ぎカズ・ハヤシとして参加した。

WCW〜WWF

1998年7月にWCWと3年契約を結ぶ。2000年にはジミー・ヤンジェイミー・サンと共にヤング・ドラゴンズを結成しレギュラーポジションを獲得する。同年4月、第3回スーパーJカップトーナメントに出場する為一時帰国。1回戦でザ・グレート・サスケと恩讐を越えて戦うも、敗退。8日後の両国国技館大会にもトーナメント敗者によるタッグ戦に出場予定であったが「トーナメントに勝つために戻ってきたので、負けた以上日本に残る意味は無い」とこれを拒否。そのままWCWに戻る。2001年にはWCW最後のマンデー・ナイトロ生中継にも日本人としてただ一人出場している。

WCW崩壊後、WWFが選んだ24人の契約選手に残り、WWFと契約。しばらく下部組織のHAWでトレーニングをしていたが、2002年に全日本プロレスへ移籍したばかりの武藤敬司からのラブコールにより、WWFを退団し全日本プロレスに入団した。

全日本プロレス

2003年 12月小島聡と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇。ジュニア選手として、同リーグ戦を初めて制覇する快挙を成し遂げる。この時の公式戦で武藤敬司&組に苦戦しながら、カズが嵐からフォールを奪った際の小島の発言「カズ、ありがとう。お前は男だ、男の中の色男だ。」から、男の中の色男がキャッチフレーズとなる。

2004年 2月22日、BLUE-K(TAKAみちのく)との王座決定戦に勝利し世界ジュニアヘビー級王座を獲得。その時、次期挑戦者としてアピールしにリングに上がったNOSAWA(現NOSAWA論外)に対し「お前は(挑戦者としては)論外だ」と言い放ったのは名言である。(これを機にNOSAWAが"NOSAWA論外"というリングネームに改名する)。ハッスルにも、レオナルド・スパンキー、ジミー・ヤンらとタッグを組み参戦。

2005年 1月5日、TAKAに世界ジュニア王座を奪われてからは、NOSAWA論外に強引に組まされる形でユニット「論カズ」を結成、コミカル路線に走りかけるも、結局は全日本ジュニアを熱く盛り上げる道を選択。この頃から練習生にトレーニングの指導を始める。

2006年、全日本プロレスの第1回ジュニア・ヘビー級リーグ戦で優勝し、8月27日近藤修司の持つ世界ジュニア王座に挑戦したが、奪還出来なかった。

2007年 2月20日全日本プロレスを無期限で欠場すると宣言。メキシコに渡った。しかしその直後、全日本プロレスに「メキシコ・アミーゴス」なる謎のメキシカン・レスラー3人組が参戦。その中にはミゲル・ハヤシJrという、カズ・ハヤシに似たレスラーも含まれていた(他の2人は「ペペみちのく」と「エル・ノサワ・メンドーサ」)。4月、後楽園ホールで「メキシコ・アミーゴス」はVOODOO-MURDERSと対戦。"brother"YASSHIはマイク・パフォーマンスで「お前、カズ・ハヤシやろ!」とミゲル・ハヤシJrに言いがかりをつけた。なお、「メキシコ・アミーゴス」は「メキシコ・アミーゴスDX」と改名後、2007年12月16日に「全日本プロレス 2007ファン感謝デー」にて解散した。この時には「正体を知らないふりをしてくれてありがとうございました」のコメントを残している。

獲得タイトル歴

全日本プロレス
KAIENTAI-DOJO
K-AWARD
  • 年間最高試合賞(シングルマッチ部門)...2004年
その他
  • 中央アメリカミドル級王座
  • NWA インターナショナルライトヘビー級タッグ王座

得意技

ファイナルカット
相手の首の前に左腕を巻き(ドラゴンスリーパーのような形)、そこから右腕で相手の喉元にエルボーを打ち込む技。雪崩式で仕掛けることもある。カズにとっての決め技である。地味に見える技だが、相手はエルボーとネックブリーカーの両方のダメージを受けるため、非常に有効なフィニッシュホールドである。
WA4
相手を水車落としの原理で担ぎ上げ、担ぎ上げたほうと逆の方で頭を抱え込み、背中から落とす技。大一番では雪崩れ式も行う。最近では相手の腕を股に挟んで受身を取れなくして、首から垂直に落とす垂直落下式も見せる。諏訪魔に垂直落下式を見舞い観客を驚かせた。
ライオンサルト
相手をボディースラムで倒し、その相手にダッシュしてセカンドロープをの反動を利用してムーンサルトプレスを見舞う。主に試合の中盤に使用する。クリス・ジェリコの得意技で、彼の別リングネーム「ライオン・ハート」から名付けられている。
クランチループ
変形のインディアン・デスロック。足の裏で相手の足の甲をグイグイ押して痛めつける。
ハンドスプリングエルボー(リバウンドエルボー)
ロープに向かいダッシュし前方にハンドスプリング、そこからロープの反動を利用し後ろ向きに踏み切り相手にエルボーを放つ技。現在では使う選手をよく見れるようになったが、この技のパイオニアはTAJIRIである。カズの場合は応用編としてエルボー以外にも延髄斬り、ソバットもある。
ハイフライスプラッシュ
高さを追求したトップロープからのボディープレス。jr.リーグ戦のために習得した技。
アサイDDT
近藤修司が保持していた世界ジュニア挑戦に備えて用意したウルティモ・ドラゴンの技。近藤の先生の技を使う事で、精神的な揺さぶりをかける狙いがあった。

入場テーマ曲

  • 舌 / Laputa(旧テーマ曲、現在はオリジナル曲)

リングネーム

  • カズ・ハヤシ
  • 獅龍
  • エル・ボスケ(プロモ・アステカで使用)
  • 2億%マシーン(コスチュームに884(ハヤシ)と書かれている)

エピソード

  • カズ・ハヤシと獅龍が同一人物であることは明白だが、本人は「獅龍なんて知らない」と言い張っている。またそれと歩調を合わせるように第3回スーパーJカップで対戦したザ・グレート・サスケも「カズ・ハヤシ?誰だソレ?久々の対戦?知らねぇナァ〜」と答えている。
  • 獅龍はメキシコ在住である。
  • 獅龍時代のマスクはほとんど自作である(当初はケンドー製を使用)。
  • 獅龍時代、1996年3月に平成海援隊から海援隊★DXに改名する際、SATOはディック東郷に、テリーボーイはMEN'Sテイオーにそれぞれ改名することになり、自身も東京GIN(当時流行っていた森高千里の曲「GIN GIN ジングルベル」に便乗して、また自身が東京出身であることから)に改名するはずだったが、ファンからの反対意見が殺到した為、所属していたみちプロに止められ断念した。
  • カズはWCW崩壊後、WWFと契約したものの結局一度も出場できなかった。この理由としては、WWF幹部がカズの起用法に困っており、当時WWFで活躍中だったタジリとキャラが被ることが原因だと言われている。なお、カズもタジリもファイトスタイルのモチーフはグレート・ムタである。
  • WWFの下部団体だったHWAにいた頃、飲酒運転でクビになる直前のエディ・ゲレロジャマール、ロージー、ディーロ・ブラウン、チャーリー・ハースなどと一緒だったという。
  • ヴィジュアル系バンド、Laputaのファンで入場曲や技名にも取り入れられている。
  • 2006年にブログにて結婚を発表した。
  • マイクアピールは上手くない、下手である(解説者席の武藤敬司から「止めとけ」と言われた)。

外部リンク

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /