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ナインティナイン

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ナインティナイン(NINETY-NINE)は、日本お笑いコンビである。岡村隆史(ボケ)と矢部浩之(ツッコミ)のコンビ。1990年結成。吉本興業(東京本社)所属。 略称「ナイナイ」「99 」「NN」。

概要

初期に披露した漫才では、岡村の全身を使ったダイナミックなボケと矢部の「〜じゃないスか」などの冷静な「敬語ツッコミ」が特徴的。岡村が「身長はひゃく**じゅっ**ンチです」とゴマかす「チビネタ」や、岡村が常識的なことをあえて知らないフリをしたり勘違いしたまま暴走し、それを矢部が軽く突っ込みながらも岡村を泳がす「勘違いボケ」などを得意とする。初期は舞台を中心にコントや漫才を行なっていたが、大阪から東京に活動の場を移してからはテレビのバラエティ番組をメインに活動している。

1990年のコンビ結成直後から常に第一線で活躍し続けている人気コンビで、2007年現在は芸歴的にはすでに「若手」の域を越え、立場的に「中堅」と呼ばれる位置である。

同時期にデビューした芸人たちの中では最も早出世であったため、現在も冠番組を数多く抱えている。その反面、1990年代後半頃からは他の番組へのゲスト出演が少なく、吉本のタレントが集合した番組及びイベントには、一切出演しないスタンスを取っている。

それぞれ単独で活動する際、活字の上では「ナイナイ岡村」「ナイナイ矢部」と表記されるか、知名度が非常に高いため単に「岡村隆史」 「矢部浩之」と表記されることもある。

メンバー

略歴

大阪府立茨木西高等学校 サッカー部の先輩後輩として出会う。岡村隆史(当時高1)は矢部の兄・矢部美幸(当時高2、現ファンタスタープロモーション代表取締役社長)とサッカー部の先輩後輩で面識があり、自宅へ招かれたところに矢部浩之(当時中3)がいたのが初対面となる。後に矢部が同じ高校のサッカー部に所属し、練習中に矢部から岡村に「岡村さん、『夕やけニャンニャン』って見てはります? 僕あれ観てるとドキドキするんですよ」と話しかけたのが初めての会話。

1989年、矢部が大学受験に失敗したことに伴い当時立命館大学夜間部の学生だった岡村隆史を誘い、NSCに9期生(同期はほっしゃん。宮川大輔)として入所、コンビ結成当時は岡村がツッコミ、矢部がボケを担当していた、しかしNSCの講師に「ボケとツッコミが逆」と言われたことにより役割を交替している。

吉本興業に所属するきっかけを作ったのは先にお笑い芸人として同社に所属していた矢部の兄・美幸、しかし実際のところ2人は正式にNSCを卒業しておらず、授業料未納により除籍処分となっている。

1991年、吉本の若手コンビ6組で構成されるユニット「吉本印天然素材」に加わり東京進出、ここで岡村が一際目立つ小柄な体格とダンス経験を活かしたキレのいい動きで活躍、これに合わせてコンビとしても頭角を現し全国的に徐々に知名度を得ていった、その後は単独でテレビに出演する機会も増え1994年に「天素」から脱退する。

程なくして、当時人気番組であった『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)の芸能人大会にコンビで出演。岡村が豪快に振られる等お笑い芸人として見事な活躍を見せる、この頃から人気・知名度が急上昇し芸歴4年そこそこながら多くのレギュラー番組を獲得していった。

その後レギュラー番組が途切れることもなく第一線で活躍、現在に至っている。

1999年にはゴロ合わせで「ナイナイの年」と銘打ち、映画出演や多数のライブイベントなどを精力的にこなした。

備考

コンビ名の由来

「2人が吉本総合芸能学院(NSC)の第9期生であったことから9を2つ重ねて命名した」と公には答えているが、実際には「詳しく答えるのが面倒なのでそういうことにしている」らしい。岡村のブレイクダンスの得意技の名前という説、2人の母校・茨木西高等学校が大阪府立の99番目の高校だからとする説がある。

お笑いを目指すきっかけ

大学生だった当時は体育教師を目指していた岡村だったが、それは「安定した職についてほしい」という父の勧めによるものであった。矢部の誘いをきっかけに「俺は親父の敷いたレールの上を歩いていただけやった」(岡村談)と思い直し、お笑いへの方向転換を決意したという。
この時岡村の父は「隆史をヤクザの世界に誘いおって、矢部を絶対に許さへん!」と大激怒し、その後矢部が岡村の家に遊びに行っても口を全く聞いてくれなかった。お笑い芸人として成功した現在も岡村の父は矢部を完全には許してはおらず、険悪な関係のままのようであるが、岡村は「今では親父も少しは認めてきている」とラジオの中で発言している。

サッカー

部活経験から現在も共にサッカーファンとして有名。岡村は草サッカーチームを持っており、矢部に至ってはテレビ朝日系列で『やべっちFC』というサッカー情報番組を持っている。
矢部に嫉妬する岡村は、時々『やべっちFC』にVTR出演しキャスター起用を直訴するほか、『オールナイトニッポン』の中で「おかっちFC」というコーナーを勝手に作り、勝手に日本のサッカーを批評している。

マネージャー

ナインティナイン担当の歴代マネージャーはあだ名を付けられるのが恒例になっている。命名は何故かよゐこ有野晋哉。特にキャラクターが特徴的な人物は『ナインティナインのオールナイトニッポン』で面白いエピソードとして語られてしまうため、リスナーにもネタにされることが多い。
岡村には「自分が芸能人である以上、一般のサラリーマンであるマネージャーとは一線を引いて付き合う」というポリシーがあり、呼び捨てにしたくないという気持ちからあだ名を必ずつけることにしているようである。一方の矢部は普通に苗字を呼び捨てで呼んでいる。
歴代マネージャーのあだ名には、河内マン(河内)・坪倉大臣(ツボクレンジャー、坪倉)・磯塚センターフライ(磯塚)・イトックス(伊藤)・なかなかじま(中島)・お茶子さん(中村)・サトスター(佐藤)・アジアンビューティー(土橋)などがある。


その他

吉本の後輩芸人であるビッキーズの須知裕雅は矢部と高校の同期。また南海キャンディーズの「しずちゃん」こと山崎静代は同校の後輩にあたる。 岡村は、携帯電話のメモリーに矢部浩之を「やへ」で登録しており、矢部の兄でファンタスタープロモーション社長の矢部美幸を「やべ」で登録している。(本人談)

賞歴

漫才

映画

メディア

現在のレギュラー番組

テレビ

レギュラー番組

スペシャル番組

ラジオ

1994年4月から担当。「allnightnippon SUPER!」(1999年4月〜9月)、「@llnightnippon.com」(1999年10月〜2003年3月)時代を含め、13年以上続く長寿番組(2007年9月現在、「オールナイトニッポン」の歴代パーソナリティ最長記録を更新中)。

過去のレギュラー番組

ドラマ
バラエティ
単発・スペシャル


ラジオ

作品

ライブ

毎年9月9日を「ナインティナインの日」と位置付け、2人の地元である大阪で毎年同日に『ナイナイライブ』を行なっており、衛星放送のWOWOWでほぼ生中継されている(諸事情により編集後放送のためリアルタイムではない)。2004年は当日が木曜日であったためラジオ大阪より『オールナイトニッポン』を放送した。

  • ナインティナインライブ Vol.1 「鉄人の逆襲」 (1997年 IMPホール)
  • ナインティナインライブ Vol.2 「GREEN」 (1998年 近鉄劇場)
  • ナインティナインライブ Vol.3 「シンドバッドな男たち」 (1999年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.4 「尺八」 (2000年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.5 「カステラ」 (2001年 大阪府府立青少年会館)
  • ナインティナインライブ Vol.6 「GTI」 (2002年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.7 「西」 (2003年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.8 「チョピン」 (2004年 大阪メルパルクホール)
  • ナインティナインライブ Vol.9 「ZAMAS」 (2005年 大阪メルパルクホール)

映画

ゲーム

CM

CD

  • 『愛した人はバツイチ』 ナインティナイン with 清水ミチコ(1994年)
  • 『想い出がいっぱい』 岡村隆史 (映画『無問題』主題歌、H2Oの広東語カヴァー)
  • 『無問題2 - オリジナル・サウンドトラック』

外部リンク

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