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所沢市

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ところざわし ウィキデータを編集
所沢市
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
市町村コード 11208-9
法人番号 9000020112089 ウィキデータを編集
面積 72.11km2
総人口 340,660[編集]
(推計人口、2025年1月1日)
人口密度 4,724人/km2
隣接自治体

埼玉県:入間市川越市
狭山市新座市三芳町

東京都:清瀬市東村山市
東大和市武蔵村山市瑞穂町
市の木 イチョウ
市の花 茶の花
市の鳥 ヒバリ
所沢市役所
市長 小野塚勝俊
所在地 359-8501
埼玉県所沢市並木1丁目1-1
所沢市役所
所沢市役所
外部リンク 所沢市
所沢市の県内位置
ウィキプロジェクト

所沢市(ところざわし)は埼玉県南部にあるである。さいたま市川口市に続いて、埼玉県内で3番目の人口を抱えている。特例市及び彩の国中核都市に指定されている。

概要

都心ベッドタウンとして、新所沢、小手指地区には集合住宅が多く、所沢駅前はプロペ通りを中心にした繁華街となっている。東所沢地区はJR 武蔵野線が開業した当時から人口が急増している。その反面、北部の富岡地区は江戸時代に行われた開拓により整備された農地(三富新田)が広がり、南部には宮崎駿監督作品の映画「となりのトトロ」の舞台にもなった狭山丘陵(トトロの森)が広がっており豊かな自然にも恵まれている。

日本で初めて飛行場が建設された地としても有名で、かつて飛行場であった所には所沢航空記念公園が作られ、所沢航空発祥記念館もある。東京航空交通管制部もここ所沢にある。

プロ野球球団西武ライオンズのフランチャイズのグッドウィルドームの所在地としても全国的に名が知られている。西武鉄道グループ(通称:西武グループ)の本拠地としても有名で、駅前には西武百貨店(ただし旧セゾングループ)など西武の名を冠するビルが連なっている。

なお、2007年4月末日現在に総人口が34万人を突破したが、7月末現在では339,900人前後を推移している。

市名の由来

「所沢」という地名は野老(トコロヤマノイモ科の植物)が群生する湿地の意といわれるが不詳。古くは「野老沢」(とろろさわ)と称した。市内中心部から東部を流れる東川(あずまがわ)を指しているとする説が有力である。[要出典 ]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

地理

所沢航空発祥記念館

埼玉県西部、武蔵野台地に位置し、南部には狭山丘陵が広がっている。 狭山丘陵から流れる東川柳瀬川は市内東部へ流れ、最終的には荒川に至る。 山口貯水池(通称:狭山湖)は所沢市内にあるが東京都民用の水源となっている(東京都水道局が管理)。

池袋を起点とする西武池袋線西武新宿を起点とする西武新宿線の2つの幹線が東と南からやってきて、ちょうど所沢駅に互い違いで乗り入れている。 その後2つの路線はそれぞれ北と西とに進路を変え市内を横断する。 西武池袋線東京メトロ有楽町線と相互直通運転を行っており、都心部へのアクセスも良い。 JR武蔵野線は所沢市内での他路線との接続はない。

関越自動車道が東部を通過しており、国道463号(旧・県道浦和所沢線)と所沢ICで接続する。 国道254号線と国道463号線は新座市の英インターで交差した後、市中心近くに至り、宮本町交差点を起点にそこから2本に分かれ(北側は通称「行政道路」、南側は通称「(国道463号、若しくは行政)バイパス」と呼ばれる)、入間市へと続いている。

所沢駅前のプロペ通りを中心とした地域は繁華街で西武百貨店、丸井(現在は閉鎖)、ダイエー、いせきの他、多くの飲食店、衣料品店などがある。 プロペ通りから続くファルマン通りも古くからの繁華街で、旧市役所のあった元町を経て、金山町の交差点まで続く銀座商店街がある。かつては、川越の蔵造りの街並みに引けを取らない街並みであったが、現在は高層マンションが立ち並んでいる。

航空公園を中心とする並木地区には公共機関が集中し、また在日米軍所沢通信基地がある。

新所沢は都市公団(現・都市再生機構)、小手指は西武鉄道とそれぞれが開発した集合住宅が広がっている。 近年では旧市街地に超高層マンション建設が相次いでいる。

所沢市を流れる河川

歴史

古代まで

所沢の近辺には、約2万年前から人類が定住しており、砂川遺跡を筆頭に市内には旧石器時代以降の遺跡や貝塚が点在している。

東日本各地に多く見られることだが、当地にも日本武尊の東征伝説がある。戦勝を祈願したといわれる神社(所澤神明社や北野天神社の由来)や、あるいは篭手をかざした(地名・小手指の由来)と言った伝承がある。

7世紀律令制度のもと、武蔵国 国府が現在の府中市に設置されると、武蔵国国府と上野国国府を結ぶ官道が築かれた。これが東山道武蔵路であり、市内の南陵中学校で遺構が確認されている。また、かつての郡境にあたる現在の松が丘付近には悲田処(行路病人などの救護施設)が設置されたという伝承がある。

武蔵国一帯は朝鮮半島からの渡来人が数多く定住しており、当地にも渡来人コミュニティが存在していた、との説もある。

中世

平安時代末期になると世情が乱れ、野武士軍団である武蔵七党の一派、村山党が定着した。 現在も市内に多く存在する山口、村山、金子といった姓は、この流れである。

1192年鎌倉幕府が成立すると、府中方面に通じていた街道は鎌倉街道上道となり、軍事的にも経済的にも重要な幹線道路として整備された。 特に所沢は、上道と間道である堀兼道・羽根倉道の合流地点として、栄えたという。

1333年京都後醍醐天皇が蜂起すると、上野国(群馬県)の新田義貞は呼応して鎌倉へ向かって進軍し、小手差原(現在の北野付近)で北条氏の兵と衝突、決着はつかず両軍とも一時兵を引いた。世にいう小手指原の戦いである。 市内に残る白旗塚・将軍塚(松が丘)・誓詞橋(砂川堀)・勢揃橋(柳瀬川)といった地名は、この戦いに由来する。 その後、1352年にも義貞の遺児である義興義宗の兄弟が足利軍と小手指原付近で衝突している。(武蔵野合戦)

戦国時代は扇谷上杉氏、のちに後北条氏の支配下にあり、地豪の大石氏が統治していた。柳瀬川沿いに山口城址・滝の城址などの中世城館跡が数か所残っている。

近世

江戸時代、所沢は江戸から近いこともあり、旗本領や天領(一部は川越藩領)として幕府の直接支配のもとに置かれた。 河原宿(現在の宮本町付近)から江戸 四谷への道(江戸街道・おおむね現在の西武新宿線沿い・現所沢街道に近い)が整備され、東(江戸街道)・西(秩父道)・南(府中八王子方面)・北(川越方面)へ延びる主要道路の中継地、あるいは物資の集積地として繁栄した。 また、市北部の富岡地区では、川越藩柳沢吉保による三富新田開拓が行われた(このうち上富地区は、現在は三芳町の域内)。

なお、地層が関東ローム層と礫層に覆われた武蔵野台地では地下水脈が深いため、所沢は井戸水の確保に苦労した。 その惨状たるや「所沢の火事は土で消せ」と言われたくらいであり、実際に1818年(文化15年)2月の神明社、薬王寺及び民家142戸が焼失する大火など、江戸期には数回の大火が発生している。

近代

明治維新後、現在の所沢市域の旧幕府直轄領だった大部分は1869年(明治2年)3月21日(旧暦2月9日)に品川県に、1871年8月29日(旧暦7月14日)に川越藩領だった一部は川越県となったが、同年12月25日(旧暦11月14日)に全域入間県1873年6月15日に熊谷県と移管された後、最終的に1876年8月21日、埼玉県に組み入れられた。1881年(明治14年)上新井村の本宿と久米村の金山を編入し、所沢村から所沢町になった。1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い、入間郡所沢町が誕生。

明治時代にも1875年(明治8年)、1880年(明治13年)、1885年(明治18年)などに大火があり、蔵造りの街並みが造られた。

ファイル:東京航空交通管制部 通信塔.jpg
並木地区
東京航空交通管制部 通信塔

1911年(明治44年)、現在の並木地区を中心とした一帯に陸軍が日本初の飛行場(のち陸軍航空整備学校)を設置し、基地の町という新たな顔をもつことになった。現在、所沢が「航空発祥の地」を標榜しているのは、これに由来する。(ちなみに日本人の初飛行は東京 代々木練兵場で、1910年(明治43年)12月29日。臨時軍用気球研究会所沢試験場が翌1911年4月1日にオープン。4月5日に陸軍大尉徳川好敏による初飛行が行われた) なお、これに合わせて武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)や旧西武鉄道(現在の西武新宿線)も競って基地への最寄駅を設置した。(現在は両駅とも廃止)

一方、交易中継地としての機能も健在で、「所沢飛白」「湖月縮」といった名産品により、「織物の町・所沢」として最盛期を迎えた。

1927年(昭和2年)、東京市民の水がめとして、山口貯水池(狭山湖)の建設が開始され、1934年に完成した。このため山口村の旧勝楽寺村と上山口村にわたる一帯が水没し、村の住民は隣の小手指村などに移住した。 狭山湖畔からの景観や付近の桜景色は、同湖完成直後から観光名所となり、後に周辺一帯が一大レジャーエリアとして開発される端緒となった。

現代

1943年(昭和18年)、所沢町と小手指・富岡吾妻松井・山口の5村が合併、1950年(昭和25年)に市制を施行し所沢市となった(埼玉県で8番目)。

ファイル:グットウィルドーム No1.jpg
グッドウィルドーム (2007年)

敗戦とともに、陸軍所沢飛行場および周辺施設はアメリカ軍に接収され、1971年(昭和46年)に6割、1978年(昭和53年)にさらに1割は返還されたものの、現在も通信基地として残っている。 1955年(昭和30年)には柳瀬と三ヶ島の両村を吸収し、現在の市域となった。

市制施行時、人口は約4万2千人であったが、昭和20年代〜30年代前半に沖縄からの移民団が新所沢東部や小手指付近に入植・開拓を行うなど人口は増加しつづけ、1959年(昭和34年)には住宅公団による新所沢団地の入居が開始された。 その後も小手指や新所沢地区を中心に大規模な住宅開発が行われ、2000年には人口33万人を突破している。

1978年(昭和53年)福岡を本拠地とし、経営不振に陥っていたプロ野球 パシフィックリーグクラウンライターライオンズ』を、国土計画堤義明が、西武鉄道沿線である所沢市への移転を条件に、全ての債務を肩代わりするなどして買収。狭山丘陵に自前の球場(西武ライオンズ球場(現:グッドウィルドーム)を建設。チーム名を西武ライオンズとした。

1982年(昭和57年)西武ライオンズが創設4年目にしてリーグ初優勝、日本一に輝く。以来2006年(平成18年)までにリーグ優勝15回、日本一8回達成し、80年代のパリーグ黄金時代を築く。

1997年(平成9年)に廃部となったバスケットボールチーム・アンフィニ東京ブロンコスの後継チームを発足。名称を所沢ブロンコスとし活動開始。2005年(平成17年)には埼玉ブロンコスに名称を変更し新潟アルビレックスBBとともにbjリーグを発足した。所沢市民体育館を本拠地としている。

1997年(平成9年)にはテレビ朝日テレビ報道に端を発するダイオキシン騒動が発生、社会問題となった。

2002年(平成14年)特例市へ移行した。

人口

所沢市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 136,611人
1975年(昭和50年) 196,870人
1980年(昭和55年) 236,476人
1985年(昭和60年) 275,168人
1990年(平成2年) 303,040人
1995年(平成7年) 320,406人
2000年(平成12年) 330,100人
2005年(平成17年) 336,100人
2010年(平成22年) 341,900人
2015年(平成27年) 340,386人
2020年(令和2年) 342,464人
総務省 統計局 国勢調査より


経済

産業

  • 西武グループ持株会社・株式会社西武ホールディングス本社(くすのき台)
  • 鉄道事業者・西武鉄道株式会社本社(くすのき台)
  • ホテルレジャー事業・株式会社プリンスホテル本社(くすのき台)
  • プロ野球興行運営会社・株式会社西武ライオンズ(上山口)
    • 1985年(昭和60年)5月16日、西武鉄道の本社社屋を豊島区から、所沢市駅前のくすのき台に移転する事業の起工式を開催。総工費40億円を掛けて建設され、翌年1986年(昭和61年)8月5日に本社を移転。所沢に本社を置く企業の中で最大の売り上げ規模(2004年度売り上げ2,030億円)がある西武鉄道に続き、西武グループ関連企業プリンスホテルなど数社の本社がその後移転され、所沢市は西武グループの拠点となる。
  • プロバスケットボール興行運営会社・株式会社埼玉ブロンコス(西所沢)
  • 食品製造・ピックルスコーポレーション(くすのき台)
  • 外食レストランチェーン・山田食品産業株式会社(山田うどん) 本社(上安松)
  • 外食レストランチェーン・ぎょうざの満洲本店(松葉町)
  • 機械製造・株式会社鷺宮製作所 所沢事業所(青葉台)
  • 機械製造・シチズン時計株式会社 所沢事業所(下富)
  • 計測器製造・株式会社シバソク 所沢事業所(若松町)
  • 光学機器・株式会社ビクセン 本社(東所沢)
  • 卓球用品・株式会社タマス(バタフライ) 所沢事業所(神米金)
  • 楽器製造・株式会社村松フルー卜製作所(美原町)
  • 自転車部品製造・株式会社三ヶ島製作所 三ヶ島ペタル MKS(糀谷)

農業

行政

日経消費産業研究所による行政革新度調査では行政サービス度評価は全国でも上位にあるものの、行政透明度評価はBB(8段階中5番目)と相対的に低い評価である。これは市が発注する入札の落札率は近年においても95%前後[1] [2] と非常に高いこと、東部クリーンセンター建設工事において、市職員がこの工事を受注した建設業者から雪見障子用のガラスを受け取り収賄の疑いが議会で指摘されたが、未払いであったとして1ヵ月の停職処分程度で済んだこと[3] や、この工事で官製談合が行なわれた疑いが議会で指摘されたこと[4] [5] などからも窺える。

市長

市議会

  • 議員定数:36
  • 議長:秋田孝(市民クラブ)(2007年5月-)
  • 副議長:中村太(会派「翔」)(2007年5月-)
  • 会派

広報番組

姉妹都市

文化

祭事・催事

  • ところざわまつり(毎年10月の日曜日)
    • 明治初期より続く伝統的な祭り。10基の山車を曳行、重松流祭囃子を披露する他、毎年多彩な催し物を企画している。
  • 所沢市民フェスティバル(毎年10月の土日に開催・開催時期は所沢市HPを参照)
    • 所沢市制施行30周年を記念して1980年から毎年開催される「市民の祭典」。場所は広大な立地を活用できる所沢航空記念公園。毎年県内外から2日間で約40万人の来場者が訪れ、多彩なイベント企画、地元企業による出店など所沢市内で開催するイベントとしては最大の規模。

名所・旧跡・観光スポット

商業施設

ファイル:ダイエー所沢店 (2007年).jpg
ダイエー・所沢店
ファイル:西武百貨店 (所沢店).jpg
西武百貨店・所沢店
ファイル:所沢丸井 2007.jpg
丸井・所沢店
2007年1月31日で閉店
ファイル:西友所沢駅前店.jpg
西友所沢駅前店
ファイル:YAOKO Tokorozawa.jpg
ヤオコー・所沢北原店
パルコ・新所沢店

デパート・大型電気店・ホームセンター

1980年代半ば頃にシズオカヤ、1990年代初頭にニチイが相次いで閉店したものの、1986年に西武百貨店が西武グループの御膝元にようやくオープンし現在に至っている。所沢駅周辺の再開発が進み、郊外に集客力の高い専門店を揃えた大型複合施設の出店、大型駐車場を備えた大型スーパー・家電量販店の進出などは所沢駅前のデパート各店の経営にも影響を及ぼし、2005年にはダイエー所沢店、丸井所沢店の撤退が相次いで発表され、所沢市と周辺住民や地元商店街の経営者に大きな衝撃を与えた。後に、所沢市からダイエーに閉店の撤回を求める陳情やダイエー側とビルオーナーの株式会社東栄との話し合いの末、撤退は撤回されて存続が決定となった。一方、1961年の開店から46年に渡り長く地元に親しまれてきた丸井所沢店(A館・B館)は、2007年1月31日をもって閉店、所沢プロぺ通りの中核店舗を失うことになった。

大型複合施設

スーパー

レストラン・飲食店・喫茶

映画・娯楽

  • 新所沢レッツシネパーク

温泉

  • 湯楽の里
  • 湯の森

地域

町域

  • 西狭山ケ丘
  • 西住吉
  • 西所沢
  • 花園
  • 日吉町
  • 東新井町
  • 東狭山ケ丘
  • 東住吉
  • 東所沢
  • 東所沢和田
  • 日比田
  • 星の宮
  • 堀之内
  • 本郷
  • 松が丘
  • 松郷
  • 松葉町
  • 三ケ島
  • 緑町
  • 南住吉
  • 南永井
  • 美原町
  • 宮本町
  • 御幸町
  • 元町
  • 山口
  • 弥生町
  • 有楽町
  • 若狭
  • 和ケ原
  • 若松町

健康

教育

小学校

  • 所沢市立荒幡小学校
  • 所沢市立泉小学校
  • 所沢市立牛沼小学校
  • 所沢市立上新井小学校
  • 所沢市立北小学校
  • 所沢市立北秋津小学校
  • 所沢市立北中小学校
  • 所沢市立北野小学校
  • 所沢市立小手指小学校
  • 所沢市立伸栄小学校
  • 所沢市立清進小学校
  • 所沢市立椿峰小学校
  • 所沢市立所沢小学校
  • 所沢市立富岡小学校
  • 所沢市立中央小学校
  • 所沢市立中富小学校
  • 所沢市立並木小学校
  • 所沢市立西富小学校
  • 所沢市立林小学校
  • 所沢市立東所沢小学校
  • 所沢市立松井小学校
  • 所沢市立三ケ島小学校
  • 所沢市立南小学校
  • 所沢市立美原小学校
  • 所沢市立宮前小学校
  • 所沢市立明峰小学校
  • 所沢市立安松小学校
  • 所沢市立柳瀬小学校
  • 所沢市立山口小学校
  • 所沢市立若狭小学校
  • 所沢市立若松小学校
  • 所沢市立和田小学校

中学校

  • 所沢市立三ケ島中学校
  • 所沢市立美原中学校
  • 所沢市立安松中学校
  • 所沢市立柳瀬中学校
  • 所沢市立山口中学校

注)一時期、山口中学校と狭山ヶ丘中学校は所沢の二大巨塔といわれていた[要出典 ]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

高等学校

大学

隣接している自治体

交通

鉄道

道路

高速道路

国道・県道

一般路線バス

全て西武バスが運行。特記以外は同社所沢営業所が担当。☆は深夜バス運行。

  • 久11-1 所沢駅東口〜沢の台〜新秋津駅全生園久米川駅
  • 所16 所沢駅西口〜西所沢駅入口〜北野〜早稲田大学
  • 所17 所沢駅西口〜西所沢駅入口〜北野〜椿峰ニュータウン
  • 所18・18-1 所沢駅西口〜悲田処跡〜松が丘中央西武園駅西武園ゆうえんち (注記)所18は西武園駅止まり
  • 所20-1・20-3 所沢駅西口〜航空公園駅〜秩父学園入口〜並木通り団地 (注記)所20-3は航空公園駅〜並木通り団地の運行
  • 大34・所58 所沢駅東口〜八軒家〜上福岡駅入口〜東大久保〜二ツ宮〜大宮駅西口(大34は大宮営業所と共管) (注記)所58は上福岡駅西口行き
  • 所46 所沢駅東口〜沢の台〜全生園〜上宮〜清瀬駅南口
  • 所52・55 所沢駅東口〜安松〜東所沢駅〜跡見女子大〜新座駅北入口〜北野入口〜志木駅南口 (注記)所55は所沢駅〜東所沢駅の運行
  • 所53-1 所沢駅東口〜安松〜東所沢駅〜所沢東高校入口〜エステシティ所沢
  • 所54 所沢駅東口〜安松〜東所沢駅〜所沢車検場〜エステシティ所沢
  • 所56・57、航01 所沢駅東口〜こぶし団地入口〜秩父学園入口〜航空公園駅〜秩父学園入口〜所沢聖地霊園〜エステシティ所沢 (注記)所56は所沢駅〜航空公園駅、航01は航空公園駅〜エステシティの運行
  • 清66 所沢駅東口〜安松〜中里〜清瀬駅北口
  • 小手01 小手指駅南口〜北野天神〜椿峰ニュータウン☆
  • 小手02 小手指駅南口〜誓詞橋〜早稲田大学
  • 小手03 小手指駅南口〜西埼玉中央病院狭山ヶ丘駅〜JA三ヶ島〜宮寺西〜箱根ヶ崎駅(小手03〜07は、飯能営業所担当)
  • 小手04 小手指駅南口〜西埼玉中央病院〜狭山ヶ丘駅〜JA三ヶ島〜宮寺西
  • 小手05 小手指駅南口〜西埼玉中央病院〜狭山ヶ丘駅
  • 小手06 小手指駅南口〜大六天〜JA三ヶ島〜宮寺西
  • 小手07 小手指駅南口〜大六天〜JA三ヶ島〜宮寺西〜栗原新田〜金子駅入口
  • 新所01 新所沢駅東口〜パイオニア〜所沢ニュータウン☆
  • 新所02 新所沢駅東口〜パイオニア〜下富〜上赤坂〜川越駅西口〜本川越駅(新所02・04は川越営業所担当)
  • 新所03 新所沢駅東口〜パイオニア〜所沢ニュータウン〜並木通り団地〜秩父学園入口〜航空公園駅
  • 新所04 新所沢駅東口〜パイオニア〜下富〜西武フラワーヒル
  • 深夜バス 航空公園駅→所沢ニュータウン→並木通り団地☆
  • ドーム100 西武ドーム〜芋窪〜奈良橋〜上北台駅 (注記)不定期運行(立川営業所が主に担当)
  • ドーム101 西武ドーム〜芋窪〜上北台駅 (注記)不定期運行

高速バス

コミュニティバス

ファイル:Tokorobus.jpg
ところバス
航空公園駅ところバス発着場にて
ところバス
ところバスは埼玉県所沢市内を走行する域型の公共交通機関である。
所沢市の交通安全課が担当部署だが運行は西武バスへ委託されており、西武バス所沢営業所が営業を担当している。

歴史

  • 1998年 5月1日 東路線(航空公園駅起点)・西路線で運行開始。
  • 1999年 4月1日 南路線(航空公園駅起点)・北路線追加。
  • 2004年 11月1日東路線(東所沢駅起点)・南路線(所沢駅起点)追加。

使用車両

  • 主に路線バスの走行してない地域や細い道を走行する性格上、小型のバスが主に用いられるが、中には中型のバスも用いられる。

路線

  • 東路線(航空公園駅起点)
  • 東路線(東所沢駅起点)
  • 西路線
  • 南路線(航空公園駅起点)
  • 南路線(所沢駅起点)
  • 北路線

人・名物

在住の有名人

出身または以前在住の有名人

名産品

所沢市が舞台の映像作品等

電話番号・市外局番

  • 所沢市の電話局エリアは、所沢MA
  • 所沢市の市外局番は当初は「0429」だったが、1998年 4月29日付けで市内局番の不足を補うため市外局番末尾の「9」を市内局番の冒頭に変更し「042」とした。しかしそれでも市内局番の不足が懸念されることから、2004年 1月11日には市外局番を「04」の2桁にして、「29」は市内局番の冒頭に再変更された。これらの措置は、同じMAに属する入間市狭山市でも行われた。
  • なお、既に市外局番「04」で始まる地域は千葉県柏市流山市野田市我孫子市(こちらは市内局番がそれまで市外局番の末尾だった「71」で始まる4桁)、並びに鴨川市と、安房郡等の一部地域(こちらは市外局番末尾「70」で始まる4桁)が存在しているが、千葉県の「04」地域と通話をする場合も、必ず「04」からまわすことになる。
  • 但し天気予報に関しては従前と同じく「0429-177」となっている。

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、所沢市 に関連するメディアがあります。

脚注

  1. ^ 所沢サバイバルプラン マニフェスト版 市議会議員ホームページ
  2. ^ 議会報告 市議会議員ホームページ
  3. ^ 記者席 2006年2月9日 日刊新民報
  4. ^ 行革、クリーンセンターなどで論議 2006年6月18日 日刊新民報社
  5. ^ 調査権を持つ百条委員会の設置申し入れ 前市議会議員ホームページ

外部リンク

さいたま市
その他市部
北足立郡
入間郡
比企郡
秩父郡
児玉郡
大里郡
南埼玉郡
飾郡
カテゴリ Category:埼玉県の市町村 Category:さいたま市の区

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