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十段戦 (将棋)

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十段戦(じゅうだんせん)は、読売新聞社が主催していた将棋棋戦1962年に九段戦を改称して始まり、1987年に発展解消して竜王戦となった。十段戦七番勝負の勝者は十段と呼ばれ、タイトル保持者となる。段級位制では将棋の最高段位は九段だが、段位とは別に誰々十段と呼ばれた。

挑戦者決定方法

予選と十段戦リーグによる。

予選

  • トーナメントで行われる。勝ち抜いた2人が十段戦リーグに参加できる。
  • 第15期十段戦までは一次予選〜三次予選と三段階の予選を行っていたが、第16期からは前期リーグ残留者以外の全棋士を2ブロックに分け、トーナメント優勝者がリーグ入りする方式に改められた。
  • それと同時に、トーナメント優勝者には優勝賞金が出るようになり、トーナメント6人抜きでの優勝者には50万円、以下5人抜きで30万、以下1人減るごとに15万円、7万円、3万円......という賞金が支払われた。トーナメントの最下層から出場する若手棋士が優勝賞金を獲得するのは不可能と見られていたが、いきなり開始1年目に当時四段だった土佐浩司が優勝を果たし、賞金50万円を獲得した。

十段戦リーグ

  • 前年度の十段戦敗者、前年度の十段戦リーグの2〜4位の3人、予選を勝ち抜いた2人の合計6名によるリーグ戦である。
  • 総当たりで2局ずつ、先後を入れ替えて対局する。5人の相手と2局ずつ対戦することから、1人あたり10局の対戦が組まれることになる。
  • 成績最上位の棋士が十段に挑戦する。なお、勝数が同じ場合は順位が上の者を優勝とし、原則としてプレーオフは行わなかった。そのため、順位1位(前年度七番勝負の敗者)が再度挑戦するケースが非常に多かった。陥落も同様で、勝数が同じ場合は順位が低い方が陥落となった。
  • 順位・成績ともに同じだった場合のみ優勝(残留)決定戦を行った。

永世十段

十段位を10期獲得した棋士には、永世称号である永世十段が与えられる(前身の九段戦も含んで数える)。永世十段の資格を持つ棋士は大山康晴中原誠の2名。なお、塚田正夫は、前身の九段戦で永世九段(3連覇で獲得)の資格を得ている。

歴代七番勝負

年は七番勝負が開始された時点。

九段戦

1950年は三番勝負、1951年から1955年までは五番勝負。

  1. 1950年:大山康晴 2-0 板谷四郎
  2. 1951年:大山康晴 3-0 南口繁一
  3. 1952年:塚田正夫 3-2 大山康晴
  4. 1953年:塚田正夫 3-0 花村元司
  5. 1954年:塚田正夫 3-0 松田茂行
  6. 1955年:塚田正夫 3-2 花村元司
  7. 1956年:升田幸三 4-1 塚田正夫
  8. 1957年:升田幸三 4-2 大山康晴
  9. 1958年:大山康晴 4-2 升田幸三
  10. 1959年:大山康晴 4-3 二上達也
  11. 1960年:大山康晴 4-0 松田茂行
  12. 1961年:大山康晴 4-2 二上達也

十段戦

  1. 1962年:大山康晴 4-3 升田幸三
  2. 1963年:大山康晴 4-3 升田幸三
  3. 1964年:大山康晴 4-2 升田幸三
  4. 1965年:大山康晴 4-3 二上達也
  5. 1966年:大山康晴 4-1 二上達也
  6. 1967年:大山康晴 4-1 二上達也
  7. 1968年:加藤一二三 4-3 大山康晴
  8. 1969年:大山康晴 4-2 加藤一二三
  9. 1970年:中原誠 4-2 大山康晴
  10. 1971年:中原誠 4-2 大山康晴
  11. 1972年:中原誠 4-1 大山康晴
  12. 1973年:大山康晴 4-3 中原誠
  13. 1974年:中原誠 4-1 大山康晴
  14. 1975年:中原誠 4-0 大山康晴
  15. 1976年:中原誠 4-3 加藤一二三
  16. 1977年:中原誠 4-3 加藤一二三
  17. 1978年:中原誠 4-3 米長邦雄
  18. 1979年:中原誠 4-1 米長邦雄
  19. 1980年:加藤一二三 4-1 中原誠
  20. 1981年:加藤一二三 4-2 米長邦雄
  21. 1982年:中原誠 4-2 加藤一二三
  22. 1983年:中原誠 4-2 桐山清澄
  23. 1984年:米長邦雄 4-3 中原誠
  24. 1985年:米長邦雄 4-3 中原誠
  25. 1986年:福崎文吾 4-2 米長邦雄
  26. 1987年:高橋道雄 4-0 福崎文吾

十段戦リーグ在籍者

リーグの定員は6名、入れ替えも年2名であったことから、リーグ戦入りは難関中の難関といわれた。過去の在籍者もほとんがタイトル・A級経験者である。以下に各期リーグ戦の在籍者を記す(左から順位上位、にじゅうまるは挑戦者、さんかくはリーグ陥落)。

  1. 1962年:にじゅうまる大山康晴、さんかく塚田正夫、にじゅうまる升田幸三(以上九段経験者シード)、大野源一さんかく灘蓮照、二上達也(以上予選勝ち抜き者)......成績上位の大山と升田で七番勝負
  2. 1963年:にじゅうまる升田幸三、二上達也、大野源一、熊谷達人さんかく加藤博二さんかく廣津久雄
  3. 1964年:にじゅうまる升田幸三、二上達也、熊谷達人、さんかく大野源一、加藤一二三、さんかく長谷部久雄
  4. 1965年:升田幸三、にじゅうまる二上達也、加藤一二三、さんかく熊谷達人、さんかく塚田正夫、山田道美
  5. 1966年:にじゅうまる二上達也、山田道美、加藤一二三、升田幸三、さんかく丸田祐三さんかく有吉道夫
  6. 1967年:にじゅうまる二上達也、山田道美、加藤一二三、升田幸三、さんかく灘蓮照、さんかく佐藤大五郎
  7. 1968年:さんかく二上達也、山田道美、升田幸三、にじゅうまる加藤一二三、さんかく松田茂役西村一義
  8. 1969年:にじゅうまる大山康晴、山田道美、さんかく升田幸三、さんかく西村一義、中原誠、内藤國雄
  9. 1970年:加藤一二三、さんかく山田道美(リーグ戦途中で逝去)、にじゅうまる中原誠、内藤國雄、さんかく大友昇、加藤博二
  10. 1971年:にじゅうまる大山康晴、加藤一二三、内藤國雄、さんかく加藤博二、さんかく塚田正夫、桐山清澄
  11. 1972年:にじゅうまる大山康晴、加藤一二三、内藤國雄、さんかく桐山清澄、さんかく升田幸三、米長邦雄
  12. 1973年:にじゅうまる大山康晴、米長邦雄、さんかく加藤一二三、内藤國雄、さんかく加藤博二、佐藤大五郎
  13. 1974年:にじゅうまる中原誠、米長邦雄、内藤國雄、さんかく佐藤大五郎、有吉道夫、さんかく勝浦修
  14. 1975年:にじゅうまる大山康晴、内藤國雄、米長邦雄、有吉道夫、さんかく二上達也、さんかく桐山清澄
  15. 1976年:大山康晴、米長邦雄、有吉道夫、さんかく内藤國雄、さんかく二上達也、にじゅうまる加藤一二三
  16. 1977年:にじゅうまる加藤一二三、さんかく大山康晴、米長邦雄、有吉道夫、淡路仁茂さんかく土佐浩司
  17. 1978年:加藤一二三、にじゅうまる米長邦雄、さんかく有吉道夫、さんかく淡路仁茂、大山康晴、森安秀光
  18. 1979年:にじゅうまる米長邦雄、さんかく大山康晴、森安秀光、加藤一二三、勝浦修、さんかく桐山清澄
  19. 1980年:米長邦雄、森安秀光、にじゅうまる加藤一二三、勝浦修、さんかく青野照市さんかく田中魁秀
  20. 1981年:中原誠、森安秀光、にじゅうまる米長邦雄、さんかく勝浦修、谷川浩司さんかく安恵照剛
  21. 1982年:米長邦雄、にじゅうまる中原誠、さんかく谷川浩司、森安秀光、大山康晴、さんかく石田和雄
  22. 1983年:加藤一二三、さんかく森安秀光、さんかく大山康晴、米長邦雄、にじゅうまる桐山清澄、西村一義
  23. 1984年:桐山清澄、さんかく西村一義、さんかく加藤一二三、にじゅうまる米長邦雄、谷川浩司、福崎文吾
  24. 1985年:にじゅうまる中原誠、谷川浩司、福崎文吾、さんかく桐山清澄、さんかく有吉道夫、有森浩三
  25. 1986年:さんかく中原誠、谷川浩司、にじゅうまる福崎文吾、さんかく有森浩三、桐山清澄、高橋道雄
  26. 1987年:米長邦雄、にじゅうまる高橋道雄、谷川浩司、桐山清澄、有吉道夫、泉正樹

「上位者に有利」と言われたリーグ戦だったが、極めてハイレベルな戦いであったため、大山康晴や中原誠、谷川浩司といったところも陥落の憂き目を見ている。リーグ末期在籍者を除くと、一度もリーグから陥落しなかったのは米長邦雄だけである。

関連項目

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