コンテンツにスキップ
Wikipedia

エディ藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2025年1月20日 (月) 20:41; Bcxfubot (会話 | 投稿記録) による版 (外部リンクの修正 http:// -> https:// (blogspot.com) (Botによる編集))(日時は個人設定で未設定ならUTC)

Bcxfubot (会話 | 投稿記録)による2025年1月20日 (月) 20:41時点の版 (外部リンクの修正 http:// -> https:// (blogspot.com) (Botによる編集))
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
この存命人物の記事には検証可能出典が不足しています 信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります
出典検索?"エディ藩" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2023年1月)
エディ藩
出生名 潘廣源
生誕 (1947年06月22日) 1947年 6月22日(77歳)
出身地 日本の旗 日本神奈川県 横浜市 山下町
学歴 関東学院大学
ジャンル グループ・サウンズ
職業 ボーカリストギタリスト
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 1967年 -
共同作業者 ザ・ゴールデン・カップス
著名使用楽器
フェンダー・テレキャスター

エディ藩(エディ ばん、Eddie Ban、1947年 6月22日 - )は、ギタリストボーカリスト。本名は潘 廣源。神奈川県 横浜市 山下町出身。中国国籍[1] [2] [3]

(注記)1946年生まれの可能性あり。ザ・ゴールデン・カップスのメンバーはデビュー時に所属事務所から1歳サバを読むように指示されていた[4] [5] 。1951年生まれのギタリスト・李世福[6] は、インタビューでエディ藩のことを5つ年上だと話している[7]

(注記)日本に帰化したという情報もある[8] [5] 一方で、「華僑」だとする情報[9] [10] もあり、現状の特定は困難。

経歴

[編集 ]

1947年 6月22日横浜市 山下町で誕生。実家は中華料理の老舗・名店であった「鴻昌」[2] [3] (現在は閉店[11] [12] )。

小学校はインターナショナル・スクールに通う[2]

中学校は関東学院中学校に入学し[13] 、この頃からギターに興味を持つ[2] [14] 。香港で高価なギター機材を買い揃えたこともあり[15] [14] 音楽仲間が増えて、後にゴダイゴマネージャーとなるジョニー野村(1〜2歳年上)らと知り合う[16]

高校は関東学院高等学校に通い[17] 、ジョニー野村らとザ・ファナティックスを結成して注目を集める。このバンドには一時期デイヴ平尾(2〜3歳年上)も在籍していた[18] [2] [3]

(注記)なお、高校に関してはセント・ジョセフ・カレッジに転校したという情報もある[3] が、のちに関東学院大学へ進学していることから、転校せずにそのままだった可能性もある。もしかすると、エディ藩が通っていた小学校がセント・ジョセフ・カレッジ(インターナショナル・スクール)だったのと、ジョニー野村とザ・ファナティックスの初期メンバーであった聘珍樓の林康弘[19] [20] [21] の二人がともに高校まで通っていたのがセント・ジョセフ・カレッジだったので、それらが混同したのかもしれない。また、同じ横浜出身の中華系ギタリスト・陳信輝[22] や李世福との関係が「先輩」や「後輩」で語られることに起因して、中華学校武相高校に在学していたと書かれたこともあった[23] 。実際、李世福はインタビューでエディ藩が中華学校の先輩だと答えている[7]

1966年 4月、関東学院大学に入学する[17] 。すでにザ・ファナティックスは解散しており、学校は学生運動が盛んで休講が多かったことから、渡米して音楽的知識を吸収すると共に音楽的技術を磨く[24] [2] [18] [3] [14] 。渡米中に偶然出会ったデイヴ平尾(本名:平尾時宗)[25] [2] [18] [3] と、帰国後に平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)を結成[3] [18] 1967年 6月、「いとしのジザベル」でデビュー[2] [3] [1] [18] 。リードギター担当としてバンドの中心的存在となる[3]

1969年 4月25日、エディ藩グループ結成のためザ・ゴールデン・カップスを脱退[1] [3] [26] [27]

1970年 1月1日付でザ・ゴールデン・カップスとエディ藩グループとが合併。ザ・ゴールデン・カップスに復帰する形となる[1] [3] [26] [27]

1972年 1月2日付でザ・ゴールデン・カップスが正式に解散[27] [1] [18] [14] 。その後は様々な音楽関係者と関わる中で自身の作品も残す[2] [3] [26] [28] [29] [30] [14]

1980年代中盤〜1990年代中盤は、「鴻昌」の経営に注力[1] [3] して音楽活動を控えていたが、1990年代後半から音楽活動を再開[3]

2003年、ザ・ゴールデン・カップス再結成。音楽番組への出演やライブハウスでの演奏を続け、現在に至る[3] [1]

ディスコグラフィー

[編集 ]
  • エディ藩とオリエント・エクスプレス/その1 日本コロムビア 1974年6〜7月発売
  • エディ藩とオリエント・エクスプレス/1974ワンステップ・フェスティバル スーパーフジ 2019年4月発売
  • エディ藩とスーパー・セッション・バンド/ベイサイド・スウィンガー 日本コロムビア 1976年10月発売
  • ブルー・ジェイド 東芝EMI 1982年2月発売
  • ネオン・シティ 東芝EMI 1982年10月発売

映画音楽

[編集 ]

出演映画

[編集 ]
  • ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム(2004年11月20日)
  • 『歌謡曲だよ人生は』(2007年5月12日)
  • 『オース!バタヤン』(2013年5月18日)に、夫人の潘しのぶと共にカメオ出演している。

関連項目

[編集 ]

外部サイト

[編集 ]
この節には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2024年2月)

脚注

[編集 ]

出典

[編集 ]
  1. ^ a b c d e f g "プロフィール". BARKS (2004年11月18日). 2024年2月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i "本日はザ・ゴールデン・カップスの"伝説のギタリスト"エディ潘の誕生日". music-calendar.jp. 2024年2月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o "日本ロック名鑑". www.studio-g3.com. 2024年2月20日閲覧。
  4. ^ "気ままに生きる(26/203) | 小説サイト ベリーズカフェ". 小説サイトBerry's Cafe -ベリーズカフェ-. 2024年2月22日閲覧。
  5. ^ a b "ルイズルイス加部の現在!身長や家族・病気と死因【イケメンハーフ歌手】 | Arty[アーティ|音楽・アーティストまとめサイト]". arty-matome.com. 2024年2月20日閲覧。
  6. ^ "李世福プロフィール". 李世福|Official Web Site. 2024年2月22日閲覧。
  7. ^ a b sabadragon (2020年6月15日). "【INTERVIEW】李世福『LIVE 1976』". indiegrab. 2024年2月22日閲覧。
  8. ^ "岸部四郎、マモル・マヌーともに71歳の死...「GSブーム」とは何だったのか(小泉 カツミ) @gendai_biz". 現代ビジネス (2020年9月24日). 2024年2月20日閲覧。
  9. ^ "さまよう血 - 思いがけない依頼". ウェブマガジン「あき地」. 2024年2月20日閲覧。
  10. ^ イエロードッグ (2020年9月22日). "B面に恋をして。: フェンスの向こうはアメリカ。本牧とゴールデンカップス(2)". B面に恋をして。. 2024年2月20日閲覧。
  11. ^ "中華街大通りの老舗「鴻昌」が閉店 - 中華街ランチ探偵団「酔華」". goo blog. 2024年2月20日閲覧。
  12. ^ "横浜パラダイス(16) 横浜中華街の思い出(1) エディ藩さん「鴻昌」". 横浜パラダイス (2016年9月24日). 2024年2月20日閲覧。
  13. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2023年8月18日). "×ばつ藤竜也、横浜のレジェンドが紡いだ名曲誕生から46年 最新映画で再び主役とエンディングテーマで〝共演〟(1/3ページ)". zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2024年2月20日閲覧。
  14. ^ a b c d e 『ロック画報12』株式会社ブルース・インターアクションズ、2003年6月25日、34-37頁。 
  15. ^ "【昭和ロックを語る時が来た!】中3の時に香港で買ってもらったフェンダー2本とギブソンのアンプ". 東スポWEB (2021年1月31日). 2024年2月20日閲覧。
  16. ^ "【昭和ロックを語る時が来た!】米ディズニーランドで見た!!ジェフ・ベック時代のヤードバーズ". 東スポWEB (2021年2月21日). 2024年2月20日閲覧。
  17. ^ a b "エディ藩だいやまーく横浜ホンキートンク・ブルース タブレット純のかながわ昭和歌謡波止場(29)". カナロコ by 神奈川新聞. 2024年2月20日閲覧。
  18. ^ a b c d e f "121.ザ・ゴールデン・カップス | 素敵なミュージシャン達 - 楽天ブログ". plaza.rakuten.co.jp. 2024年2月20日閲覧。
  19. ^ "第274回 株式会社聘珍樓 代表取締役 林康弘氏【飲食の戦士たち:株式会社キイストン特別コラム】". in-shoku.info. 2024年2月22日閲覧。
  20. ^ "tousai". www.oisii-net.co.jp. 2024年2月22日閲覧。
  21. ^ "スピード・グルー&シンキは終わらない。陳信輝と李世福が語る60〜70年代横浜ロック史". Mikiki. 2024年2月22日閲覧。
  22. ^ "日本ロック名鑑". www.studio-g3.com. 2024年2月22日閲覧。
  23. ^ "intro". www.goldencups.com. 2024年2月23日閲覧。
  24. ^ "【昭和ロックを語る時が来た!】ニューオーリンズで聴いて衝撃!ブルースのルーツはやっぱり黒人 音の厚みが違った". 東スポWEB (2021年3月21日). 2024年2月20日閲覧。
  25. ^ "【昭和ロックを語る時が来た!】ヴァン・モリソンが在籍したゼムのコンサートで後にバンドを組むデイヴ平尾と遭遇". 東スポWEB (2021年3月7日). 2024年2月20日閲覧。
  26. ^ a b c "エディ藩グループ". www.studio-g3.com. 2024年2月20日閲覧。
  27. ^ a b c "【昭和ロックを語る時が来た!】エディ藩が明かす 柳ジョージの加入とカップス解散の真相". 東スポWEB (2021年6月20日). 2024年2月20日閲覧。
  28. ^ "エディ藩とオリエント・エクスプレス". www.studio-g3.com. 2024年2月20日閲覧。
  29. ^ "エディ藩とスーパー・セッション・バンド". www.studio-g3.com. 2024年2月20日閲覧。
  30. ^ "【昭和ロックを語る時が来た!】エディ藩が語るカップス解散後 ショーケンから頼まれた松田優作への伝言". 東スポWEB (2021年7月4日). 2024年2月20日閲覧。
メンバー
旧メンバー
シングル
アルバム
出演映画
関連項目

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /