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徳川宜子

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とくがわ ことこ

徳川 宜子
生誕 (1956年11月05日) 1956年 11月5日(68歳)
日本の旗 日本 東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 文化学院卒業
東洋英和女学院短期大学卒業
職業 建築家
団体 石橋徳川建築設計所
徳川剛(父)
徳川宝子(母)
家族 徳川礼子(妹)
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徳川 宜子(とくがわ ことこ、1956年(昭和31年)11月5日 [1] - )は、日本建築家紀州徳川家第19代当主。

第16代当主・徳川頼貞為子夫妻の孫で、第125代天皇 明仁はとこにあたる。妹に礼子がいる[1]

経歴

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東京都出身。紀州徳川家第18代当主・徳川剛宝子の長女として生まれたが、両親は1965年8月に離婚した[2]

中学生時代から建築に関心を持つ。1977年東洋英和女学院短期大学を卒業した後、文化学院で建築を学び、1981年に卒業する。同年、大成建設株式会社に入社する。1985年、大成建設における同僚の石橋利彦と共に株式会社石橋徳川建築設計所を設立する。1988年、東京建築士会評議員。1992年、東京YMCAデザイン研究所講師。建築関係で多数の表彰歴がある。

また、2009年 10月1日朝日新聞のインタビューでは、紀州徳川家の後継について自然の流れに任せると語った。

表彰歴

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  • 1977年 - 枠組壁工法住宅設計競技 1等
  • 1981年 - 東京理科大学100周年記念図書館設計競技 佳作
  • 1981年 - 第8回日新工業建築設計競技 1等
  • 1981年 - 第4回読売住宅設計競技 佳作
  • 1982年 - 第5回読売住宅設計競技 3等
  • 1985年 - 第1回久保田施工例コンテスト 1等
  • 1985年 - 第1回住宅建築賞 受賞
  • 1985年 - 関東甲信越建築士会ブロック会賞 受賞
  • 1989年 - 第2回久保田施工例コンテスト 入賞
  • 1990年 - 第1回畳スペースデザインコンテスト 金賞
  • 1992年 - 第8回住宅建築賞 受賞
  • 1995年 - 第18回INAXデザインコンテスト 金賞
  • 1997年 - 第20回INAXデザインコンテスト 金賞
  • 1998年 - 東京電力快適住宅コンテスト 優秀賞
  • 1998年 - 銅を用いた建築コンクール 優秀賞
  • 1998年 - 第4回松下電器健康な住まいコンテスト 優秀賞

著書

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  • 『建築家のワークスペース─VectorWorks製図ガイド』(石橋利彦との共著)エクシードプレス、2000年 ISBN 4893697706
  • 『相関のディテール』(石橋利彦との共著)住まいの図書館出版局、1995年 ISBN 4795208735

脚注

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外部リンク

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紀伊徳川家
(宗家)

頼宣1619-1667 | 光貞1667-1698 | 綱教1698-1705 | 頼職1705 | 吉宗1705-1716 | 宗直1716-1757 | 宗将1757-1765 | 重倫1765-1775 | 治貞1775-1789 | 治宝1789-1824 | 斉順1824-1846 | 斉彊1846-1849 | 慶福1849-1858 | 茂承1858-1906 | 頼倫1906-1925 | 頼貞1925-1954 | 頼韶1954-1958 | 1958-1965 | 宜子1965-現在

分家・支流

御連枝
(松平家)
西条松平家
高森松平家

頼職 | 断絶

葛野松平家

頼方 | 断絶

鷹司松平家

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