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'''太良未太'''(たらみた<ref name="鈴木靖民"/>、{{lang-ko|태량미태}}、生没年未詳<ref name="鈴木靖民"/>)は、[[百済]]の寺院建築の[[職人|工匠]]。'''丈羅未大'''とも<ref name="鈴木靖民"/>。[[イラン]]([[ペルシア]])などの[[西域]]から[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]を経て[[百済]]に寄留していた[[イラン系民族|イラン系]]([[ペルシア]])[[胡|胡人]]かその子孫とみられる<ref name="伊藤義教"/><ref name="井本英一"/><ref name="鈴木靖民">{{Cite book|和書|author=(削除) [[ (削除ここまで)鈴木靖民(削除) ]] (削除ここまで)|date=1994年11月01日|title=太良未太|series=[[朝日日本歴史人物事典]]|publisher=[[朝日新聞出版]]|ISBN=4023400521}}</ref><ref name="松木明知449"/>。[[伊藤義教]]は、太良未太の原語を「太丈羅未大」と復原しており、これを[[パルティア語]]「tajar-amid」の[[漢訳|音写]]とみている<ref>{{Cite book|和書|author=(削除) [[ (削除ここまで)伊藤義教(削除) ]] (削除ここまで)|date=2001年10月01日|title=ゾロアスター教論集|series=|publisher=[[平河出版社]]|ISBN=4892033154|page=167}}</ref>。
'''太良未太'''(たらみた<ref name="鈴木靖民"/>、{{lang-ko|태량미태}}、生没年未詳<ref name="鈴木靖民"/>)は、[[百済]]の寺院建築の[[職人|工匠]]。'''丈羅未大'''とも<ref name="鈴木靖民"/>。[[イラン]]([[ペルシア]])などの[[西域]]から[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]を経て[[百済]]に寄留していた[[イラン系民族|イラン系]]([[ペルシア]])[[胡|胡人]]かその子孫とみられる<ref name="伊藤義教"/><ref name="井本英一"/><ref name="鈴木靖民">{{Cite book|和書|author=鈴木靖民(追記) |authorlink=鈴木靖民 (追記ここまで)|date=1994年11月01日|title=太良未太|series=[[朝日日本歴史人物事典]]|publisher=[[朝日新聞出版]]|ISBN=4023400521}}</ref><ref name="松木明知449"/>。[[伊藤義教]]は、太良未太の原語を「太丈羅未大」と復原しており、これを[[パルティア語]]「tajar-amid」の[[漢訳|音写]]とみている<ref>{{Cite book|和書|author=伊藤義教(追記) |authorlink=伊藤義教 (追記ここまで)|date=2001年10月01日|title=ゾロアスター教論集|series=|publisher=[[平河出版社]]|ISBN=4892033154|page=167}}</ref>。
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[[伊藤義教]]、[[井本英一]]、[[鈴木靖民]]などの研究によると、復原した人名の原語に差異がみられるものの、寺工の太良未太、[[文賈古子]]、鑪盤博士の[[白昧淳]]、瓦博士の[[麻奈文奴]]、[[陽貴文]]、[[㥄貴文]]、[[昔麻帝弥]]、画工の[[白加]]、[[陽古]]など、これらの工人たちはいずれも[[イラン系民族|イラン系]]([[ペルシア]])[[胡|胡人]]である点では意見が一致している<ref name="伊藤義教"/><ref name="井本英一"/><ref name="鈴木靖民"/><ref name="松木明知449">{{Cite news|author=[[松木明知]]|date=1983-10|title=欽明朝に来日した百済の医師王有稜陀について|publisher=[[日本医史学会]]|newspaper=日本医史学雑誌 29(4)|page=449}}</ref>。
[[伊藤義教]]、[[井本英一]]、[[鈴木靖民]]などの研究によると、復原した人名の原語に差異がみられるものの、寺工の太良未太、[[文賈古子]]、鑪盤博士の[[白昧淳]]、瓦博士の[[麻奈文奴]]、[[陽貴文]]、[[㥄貴文]]、[[昔麻帝弥]]、画工の[[白加]]、[[陽古]]など、これらの工人たちはいずれも[[イラン系民族|イラン系]]([[ペルシア]])[[胡|胡人]]である点では意見が一致している<ref name="伊藤義教"/><ref name="井本英一"/><ref name="鈴木靖民"/><ref name="松木明知449">{{Cite news|author=[[松木明知]]|date=1983-10|title=欽明朝に来日した百済の医師王有稜陀について|publisher=[[日本医史学会]]|newspaper=日本医史学雑誌 29(4)|page=449}}</ref>。
百済は、[[高句麗]]、[[新羅]]と比較しても[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]との交渉が盛んであり、[[黄海]]を渡れば近いという地勢的な事情により、[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]からの[[渡来人]]も多かった<ref name="犬飼隆"/>。『[[梁書]]』列伝東夷条の[[新羅]]に関する記述に「語言待百済而後通焉」とあり、[[中国人]]が新羅人と会話するときは、百済人を[[通訳]]にたてるのが常であった<ref name="犬飼隆">{{Cite book|和書|author=(削除) [[ (削除ここまで)犬飼隆(削除) ]] (削除ここまで)|date=2008|title=「鳥羽之表」事件の背景|series=愛知県立大学文学部論集 国文学科編 (57)|publisher=[[愛知県立大学]]|page=6}}</ref>。百済が[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]と密接な交流があったことは、[[インド]]の僧[[摩羅難陀]]によって[[東晋]]から百済に[[仏教]]が伝来されたことからも明らかであるが<ref>{{Cite book|和書|(削除) author (削除ここまで)=(削除) [[ (削除ここまで)田村圓澄(削除) ]]・[[ (削除ここまで)黄寿永(削除) ]] (削除ここまで)|date=1978年10月01日|title=百済仏教史序説|series=百済文化と飛鳥文化|publisher=[[吉川弘文館]]|ISBN=4642020861}}</ref>、[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]には早い時代から[[イラン系民族|イラン系]]([[ペルシア]])[[胡|胡人]]、[[アラブ人]][[商人]]たちが進出していたことが指摘されており<ref>{{Cite book|和書|author=(削除) [[ (削除ここまで)杉山二郎(削除) ]] (削除ここまで)|date=1980|title=正倉院 : 流沙と潮の香の秘密をさぐる|series=|publisher=[[瑠璃書房]]|ISBN=|(削除) page (削除ここまで)=175-176}}</ref>、[[飛鳥寺|法興寺]]の造営に携わった百済の工人たちも、そのような経路をとって百済に至った[[イラン系民族|イラン系]]([[ペルシア]])[[胡|胡人]]か、その子孫とみられる<ref name="伊藤義教">{{Cite book|和書|author=(削除) [[ (削除ここまで)伊藤義教(削除) ]] (削除ここまで)|date=1980|title=ペルシア文化渡来考―シルクロードから飛鳥へ|series=|publisher=[[岩波書店]]|ISBN=|(削除) page (削除ここまで)=48-68}}</ref><ref name="井本英一">{{Cite book|和書|author=(削除) [[ (削除ここまで)井本英一(削除) ]] (削除ここまで)|date=1980年01月01日|title=古代の日本とイラン|series=|publisher=[[学生社]]|ISBN=4311200382|(削除) page (削除ここまで)=9-14}}</ref><ref name="鈴木靖民"/>。
百済は、[[高句麗]]、[[新羅]]と比較しても[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]との交渉が盛んであり、[[黄海]]を渡れば近いという地勢的な事情により、[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]からの[[渡来人]]も多かった<ref name="犬飼隆"/>。『[[梁書]]』列伝東夷条の[[新羅]]に関する記述に「語言待百済而後通焉」とあり、[[中国人]]が新羅人と会話するときは、百済人を[[通訳]]にたてるのが常であった<ref name="犬飼隆">{{Cite book|和書|author=犬飼隆(追記) |authorlink=犬飼隆 (追記ここまで)|date=2008|title=「鳥羽之表」事件の背景|series=愛知県立大学文学部論集 国文学科編 (57)|publisher=[[愛知県立大学]]|page=6}}</ref>。百済が[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]と密接な交流があったことは、[[インド]]の僧[[摩羅難陀]]によって[[東晋]]から百済に[[仏教]]が伝来されたことからも明らかであるが<ref>{{Cite book|和書|(追記) author1 (追記ここまで)=田村圓澄(追記) |authorlink1=田村圓澄|author2=黄寿永|authorlink2= (追記ここまで)黄寿永|date=1978年10月01日|title=百済仏教史序説|series=百済文化と飛鳥文化|publisher=[[吉川弘文館]]|ISBN=4642020861}}</ref>、[[中国]][[南北朝時代 (中国)|南朝]]には早い時代から[[イラン系民族|イラン系]]([[ペルシア]])[[胡|胡人]]、[[アラブ人]][[商人]]たちが進出していたことが指摘されており<ref>{{Cite book|和書|author=杉山二郎(追記) |authorlink=杉山二郎 (追記ここまで)|date=1980|title=正倉院 : 流沙と潮の香の秘密をさぐる|series=|publisher=[[瑠璃書房]]|ISBN=|(追記) pages (追記ここまで)=175-176}}</ref>、[[飛鳥寺|法興寺]]の造営に携わった百済の工人たちも、そのような経路をとって百済に至った[[イラン系民族|イラン系]]([[ペルシア]])[[胡|胡人]]か、その子孫とみられる<ref name="伊藤義教">{{Cite book|和書|author=伊藤義教(追記) |authorlink=伊藤義教 (追記ここまで)|date=1980|title=ペルシア文化渡来考―シルクロードから飛鳥へ|series=|publisher=[[岩波書店]]|ISBN=|(追記) pages (追記ここまで)=48-68}}</ref><ref name="井本英一">{{Cite book|和書|author=井本英一(追記) |authorlink=井本英一 (追記ここまで)|date=1980年01月01日|title=古代の日本とイラン|series=|publisher=[[学生社]]|ISBN=4311200382|(追記) pages (追記ここまで)=9-14}}</ref><ref name="鈴木靖民"/>。
2022年6月25日 (土) 06:07時点における版