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== エピソード ==
== エピソード ==
*[[第2次森内閣]]で、[[建設大臣]]、[[国土庁長官]]、研究・学園都市担当大臣、土地対策担当大臣、首都機能移転担当大臣に任命され、[[皇居]]宮殿での認証式に臨んだ(削除) した (削除ここまで)が、その際の服装に[[マスコミ]]や服飾評論家から批判が挙がった。これは当時[[香淳皇后]]崩御により皇室は喪中であったにも関わらず、扇が華麗なイブニングドレスを着用したため。
*[[第2次森内閣]]で、[[建設大臣]]、[[国土庁長官]]、研究・学園都市担当大臣、土地対策担当大臣、首都機能移転担当大臣に任命され、[[皇居]]宮殿での認証式に臨んだが、その際の服装に[[マスコミ]]や服飾評論家から批判が挙がった。これは当時[[香淳皇后]]崩御により皇室は喪中であったにも関わらず、扇が華麗なイブニングドレスを着用したため。
* [[2005年]]、[[参議院]][[議長]]公邸において『[[週刊アサ秘ジャーナル]]』([[東京放送]])の取材が行われた。話題が「紀宮さまのご婚約」に及ぶと、扇は面識がないにも関わらず[[黒田慶樹]]を「クロちゃん」と愛称で呼び、「私は三権の長だからお二人の結婚式に出席できる」などと嬉々として語ったが、[[黒田清子|紀宮清子]][[内親王]]と[[黒田慶樹]]の結婚式当日、[[天皇家]]からも黒田家からも扇は招かれなかった。<!--「紀宮さまのご婚約」は当時のテレビ・新聞等での一般的な表記を用いて番組内の話題を表した(引用した)ものなので「さま」は敬意表現であるが残す。しかし、その後にある素の部分の「殿下」は敬意表現に当たるので消去。-->
* [[2005年]]、[[参議院]][[議長]]公邸において『[[週刊アサ秘ジャーナル]]』([[東京放送]])の取材が行われた。話題が「紀宮さまのご婚約」に及ぶと、扇は面識がないにも関わらず[[黒田慶樹]]を「クロちゃん」と愛称で呼び、「私は三権の長だからお二人の結婚式に出席できる」などと嬉々として語ったが、[[黒田清子|紀宮清子]][[内親王]]と[[黒田慶樹]]の結婚式当日、[[天皇家]]からも黒田家からも扇は招かれなかった。<!--「紀宮さまのご婚約」は当時のテレビ・新聞等での一般的な表記を用いて番組内の話題を表した(引用した)ものなので「さま」は敬意表現であるが残す。しかし、その後にある素の部分の「殿下」は敬意表現に当たるので消去。-->
*ふたりの愛息とその嫁、そして内孫たちには自分のことを『ママ』とよばせている。嫁は第三者に姑のことをきかれるとき、(聞き手に)扇のことは『扇のママ』とよぶ。
*ふたりの愛息とその嫁、そして内孫たちには自分のことを『ママ』とよばせている。嫁は第三者に姑のことをきかれるとき、(聞き手に)扇のことは『扇のママ』とよぶ。

2006年9月27日 (水) 13:54時点における版

扇 千景(おおぎ ちかげ、本名林 寛子はやし ひろこ旧姓・木村(きむら-)、昭和8年(1933年)5月10日 ‐ )は、昭和・平成期における日本政治家参議院議員(5期)。参議院議長(26代)。称号フランス共和国のボージョレーワイン委員会とフランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士

宝塚歌劇団出身の元女優、元テレビタレント。タレントの林寛子とは同姓同名の別人である。宝塚時代の愛称(本名の寛子から)カンコ、血液型B型。

日本の旗 第26代参議院議長 扇 千景
生年月日 昭和8年(1933年)5月10日
出身地 兵庫県神戸市須磨区
出身校 兵庫県立神戸高等学校卒業
学位・資格
前職 女優
所属委員会 参議院議長
世襲
選出選挙区 比例区
当選回数 5回
所属党派 自由民主党(二階グループ)
(注記)党籍離脱中
党役職
会館部屋番号 参・議員会館436号室
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概要

生い立ち

公的場面での通名(芸名)使用

国会議員は国民の代表として立法に参画して行政にもの申す立場であり、行政機関の一員ではないため通名使用が認められているが、大臣・政務次官等に任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に行政機関の一員として公文書を発し、時に大臣等の肩書きで国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、責任明確化の観点から芸名の使用は認められていない。このため、参議院議長としては公式にも芸名の扇千景が用いられ、国土交通大臣等の行政官としても記者会見・ウェブサイト・テレビ出演等一般広報のような権力行使が直接伴わない場面では芸名が用いられたが、大臣任命の官記、大臣名義の公文書等の発出・署名など権力・権限に関連する部分ではすべて本名(林寛子)が用いられた。

  • 閣議口頭了解(2000年7月4日)は次のとおりである。
建設大臣・国土庁長官である扇千景(本名 林寛子)国務大臣の名前については、今後、政府代表等への任命行為及び許可等対外的な法律上の行為については林寛子名を使用し、それ以外は扇千景名を使用することとする。

エピソード

  • 第2次森内閣で、建設大臣国土庁長官、研究・学園都市担当大臣、土地対策担当大臣、首都機能移転担当大臣に任命され、皇居宮殿での認証式に臨んだが、その際の服装にマスコミや服飾評論家から批判が挙がった。これは当時香淳皇后崩御により皇室は喪中であったにも関わらず、扇が華麗なイブニングドレスを着用したため。
  • 2005年参議院 議長公邸において『週刊アサ秘ジャーナル』(東京放送)の取材が行われた。話題が「紀宮さまのご婚約」に及ぶと、扇は面識がないにも関わらず黒田慶樹を「クロちゃん」と愛称で呼び、「私は三権の長だからお二人の結婚式に出席できる」などと嬉々として語ったが、紀宮清子 内親王黒田慶樹の結婚式当日、天皇家からも黒田家からも扇は招かれなかった。
  • ふたりの愛息とその嫁、そして内孫たちには自分のことを『ママ』とよばせている。嫁は第三者に姑のことをきかれるとき、(聞き手に)扇のことは『扇のママ』とよぶ。
  • いまでも宝塚音楽学校への絶対的尊敬感情はアツく、変わらないといわれる。数年前(当時当世・扇雀の長女が出生前)「私の心残りは息子ふたり、孫も男児二人だったので、娘(女孫)を宝塚にいかせてやれなかったことだ。」と語っていた。扇雀に長女が出生した時の扇の喜びようは相当なものであったと伝えられる。

文献

著書

  • 『泣いて笑って3時のわたし』サンケイ出版、1977年4月
  • 『できることできないこと』世界文化社、2001年5月、ISBN 4418015094

関連項目

外部リンク


先代
倉田寛之
参議院議長
26代: 2004 ‐
次代
現職
先代
中山正暉
建設大臣
74代: 2000 ‐ 2001
次代
廃止
先代
森田一
運輸大臣
79代: 2000 ‐ 2001
次代
廃止
先代
森田一
北海道開発庁長官
74代: 2000 ‐ 2001
次代
廃止
先代
中山正暉
国土庁長官
37代: 2000 ‐ 2001
次代
廃止
先代
発足
国土交通大臣
初代: 2001 ‐ 2003
次代
石原伸晃
先代
結成
保守党党首
初代: 2000 ‐ 2001
次代
野田毅

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